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北海道の交通関係
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JR北海道の高架駅と、高架化に進みそうな釧路駅と、高架化されなかった北見駅
2021/04/20
広大な大地と、どこまでも広がる地平線~みたいな印象を持たれる北海道ではありますが、それでも各所に「都市」があり、そこに鉄道が敷かれ、道路と交差すれば踏切が必要となります。
鉄道側が基本的に優先され、列車の本数が多くなれば遮断時間も長くなり、遮断されていなくてもクルマ側に一時停止が必要となる踏切は交通渋滞の元でありますし、事故が起きれば多くが死亡に繋がることもありますので、本来は全線で立体交差になっているのが理想であります。新幹線は全線が立体交差であり、在来線規格のままであるミニ新幹線区間や特殊な工場出入などの箇所を除けば踏切はありません。
北海道内では特に国道は早期から立体交差化が進められ、現在国道で踏切として残っているのは留萌線と国道275号線が交差する「第6旭川留萌線踏切」が唯一となっています。北海道が管理する道道や市町村道でも主要道では多くが立体交差となっていますが、市街地では用地的な問題もあり、残念ながら踏切を完全に解消できていません。特に緊急度の高い踏切として5箇所が上げられています。
北海道開発局
緊急踏切対策
https://www.hkd.mlit.go.jp/ky/kn/tihou_seibi/ud49g70000002k0u.html
>北海道内の緊急対策踏切箇所:5箇所
1 東9丁目 北海道札幌市中央区北5条東9丁目
2 名越道路 北海道士別市6057の2
3 台糖 北海道伊達市館山下町無番地(160-1地先)
4 七重浜道路 北海道北斗市七重浜2丁目14
5 石狩街道 北海道石狩郡当別町若葉505-31
鉄道高架化
踏切の解消と線路が街を分断していることの弊害が叫ばれ、鉄道を高架化等を行いこれを解消したところがあります。北海道では1964年の小樽-南小樽、1973年の千歳線白石-北広島の付け替え新線が皮切りと思われます。北海道内にある鉄道の高架駅は以下の15駅でしょうか。括弧内は区間、高架距離、除去踏切数。
●函館線
・稲積公園 (1983年現在の発寒-手稲間高架化区間に1986年駅開業)
・琴似 (1988年琴似-桑園-札幌駅付近高架化 9.2km 19箇所)
・桑園
・札幌
・野幌 (2011年駅付近高架化 2.4km 2箇所)
・旭川 (2010年駅付近高架化)
●千歳線
・新札幌 (1973年開業)
・千歳 (1980年駅付近高架化 4.4km 6箇所)
●学園都市線
・八軒 (1996年桑園-当駅付近高架化)
・新川 (1999年八軒-新琴似付近高架化 3.7km 10箇所)
・新琴似
●根室線
・柏林台 (1996年開業)
・帯広 (1996年西帯広-柏林台-当駅付近高架化 6.2km 9箇所)
●宗谷線
・旭川四条 (1973年旭川-新旭川2.7km 12箇所)
●石北線
・柏陽 (1992年北見-愛し野高架化)
また、築堤などで地平からホームへ登る形になる小樽や上野幌のような駅は他にもありますが、純粋に高架橋の下が抜けられるような構造であるいわゆる高架駅となると例示したものになろうかと思います。

(2011年に高架化した野幌駅。元の北口、南口に別れた駅舎が統合され、エレベータ等の施設や道路を廃止してのバスターミナル動線が整備された)
また、駅は設けられていない区間で見ますと、
1977年 西北見-北見 トンネルによる連続立体交差化 3.2km 9箇所
2008年 新大楽毛-新富士間高架化 2.2km 2箇所
などが行われています。
1990年代以降に高架開業した駅に関してはおおむねエレベータ等バリアフリー設備も設置されていますが、大きな駅になればなるほど駅本屋(切符売り場や待合室のある建屋)からホームへの移動は跨線橋などを要しますので、高架化で改札口前のホームという概念こそ無くなるものの、エレベータ等が設置されれば使いやすくなるとも言えます。それ以上に近隣の踏切が無くなること、そして高架下に店舗や駐車場を整備する土地の有効活用という面があります。
釧路駅の高架事業
北海道の地方ブロック紙であります北海道新聞でも札幌紙面を見る限りはあまり見る機会の無い記事が釧路駅の高架事業についての記事です。
(痛みが激しく見える現釧路駅。1961年に開業した「民衆駅」であります。釧路ステーションデパートを併設していましたがこちらは2004年に閉店。北海道の民衆駅で残っているのは釧路だけです。)

(駅の改札口目の前に特急列車が発着する光景は見慣れたものですが、ホーム間で乗り換える場合など、不便な面もあります)
釧路市では1991年頃から釧路駅とその前後合わせて2.7kmを高架化することを構想しています。しかし、事業費用の負担が大きいこと、また、釧路駅付近の商業者自体が少なくなっており、駅の南北を一体化する意味について疑問が生じているのも事実ではあります。
北海道新聞 1997/01/21
JR鉄道高架化構想 合意形成へ住民説明会 マイナス面も紹介 新年度から市が開催 「熱意確認したい」
>鉄道高架化構想は、鉄道の南北両側の交流を活性化させたいとする鉄北地区の商業者の要望を背景に、市が一九九一年度に策定した総合計画の中で「可能性を検討する」と初めて位置付けた。以降、毎年度調査費を計上、技術的に可能か検討を進めてきた。
北海道新聞 1999/02/06
鉄道高架推進へ本格始動 釧路商工会議所 8日に帯広視察
>JR釧路駅周辺の鉄道高架事業推進へ向けて八日に、すでに高架化を実施した帯広市を視察する。同会議所は十年ほど前から事業計画に高架推進を掲げているが、具体的な活動をするのはこれが初めて。
沿線である帯広駅は1996年に高架化を完了しており、それによって分断していた街がどう変わったのか?という面は当然計画段階で視察するべきものではあろうと思いますが、1999年の時点で地元商工会議所もこのくらいの動きだったとは言えましょう。
2002年では上記で取り上げている新大楽毛-新富士の高架調査を開始、これは釧路市が西地区第4埠頭の供用開始で踏切による物流阻害を解消するためのものでもあります。
北海道開発局
釧路港:国際バルク戦略港湾
https://www.hkd.mlit.go.jp/ks/kusiro_kouwan/qgmend000000051z.html
エネルギー関係でも、穀物関係でも、線路を渡ることでの弊害は避けなければなりません。特に新富士駅の貨物列車入替などでの踏切閉鎖時間が長い時間帯などを考えるとこの区間の高架化は急がれました。2008年にこの区間の高架化は完成しています。
2005年、なかなか進まない高架化に関して、釧路商工会議所は北海道新聞にかなり強い言葉で整備の必要性を訴えています。このときにA案高架化、B案橋上駅化、C案現状維持という3案が示され、車が通れないB案や現状のままのC案という意見に異を唱えます。
北海道新聞 2005/04/13
「鉄道高架問題」提言を前に 釧路商工会議所・井上淳副会頭に聞く 「不要論」は議論不足 まずは最小限整備を
>「JR釧路駅前が今のままで良いはずはない。昨春まとまったアンケートでも、駅周辺を『変えたい』『多少変えたい』は合計84%に達し
> --三百五十億円前後の整備費が課題です。
「鉄道高架だけなら百億円ぐらい。架け替えが必要となる釧路駅東側の旭こ線橋と西側の北中こ線橋の合計整備費と変わらない。検討委のA案では、駅周辺で大規模な社会基盤整備を行うため、経済的負担が大きい-と分析しているようだが、三百五十億円というのは大規模な区画整理なども含む費用です」
> 「区画整理に伴う財政負担などは約束できないが、駅周辺に投資する企業を探し出して誘致したり、にぎわいを取り戻したりする努力は当然の責任だ。関係する行政機関と協力し合い、五十年後を見据えたまちづくりを進めたい。個人的には、多くの市民が十分な議論を尽くし、高架不要という結論に至るなら、それでいいと考えている」
北海道新聞 2006/04/13
街並み一変 渋滞知らず 高架10年目の帯広は 「素通り増えた」と不満も
>九カ所の踏切はなくなり、新設や拡幅で新たに三十の道路が高架下をくぐり、渋滞とは無縁に。さらに駅周辺の整備も進んだ。倉庫街だった駅南口にはロータリーや多目的施設・とかちプラザを整備。三月には市図書館も開館するなど、駅南口は文教地区のたたずまいだ。
「線路は『川』と同じようなもの。川をなくして橋の渋滞を解消し、土地も使えるようになった。高架がなければ今の南口の姿はなかったはず」と波岡和昭・都心振興課長は胸を張る。高架建設を推進した帯広商工会議所の元専務理事小室陸雄さん(76)も「高架がなければ、郊外の大型店に揺さぶられ中心街は惨憺(さんたん)たるものだったろう」と話す。
この記事には高架が街の活性化になっていないという意見もあるのですが、あくまでも住んではいない私が見る限り、帯広は渋滞が無くなり南北がスムーズに移動できることで、中心街の活性化には繋がらなかったかもしれないけれど、渋滞しないから中心街に行く状況が残ったとは思います。線路が残り渋滞があり、線路に行く手を阻まれて南北の行き来ができない、そんな状況なら郊外のショッピングセンターの方がずっと行きやすいわけで、これは札幌でも同様な面があると言えます。今の鉄道高架が無く、高架前の踏切とアンダーパス数だけだったら、北区、東区側から札幌都心部へは非常に行きにくいし、行きたくないという意識が働くのです。
2006年には当時の伊東良孝釧路市長(現衆議院議員)が高架化計画を凍結、JRはその後も市の要望で何度か高架化の試算を出し直させられ、商工会を中心にした賛成派も市民団体を中心にした反対派も要望を出し続け、そして市民の関心は薄れていきます。
それが大きく変わったのは2011年の東日本大震災ではないかと思います。線路で分断された海側である南側から北側への避難は数少ない跨線橋とアンダーパスを経由するしかありません。防災機能を駅に付加することで新たな補助制度も受けられるということも検討の再開の根拠になるとのことです。
北海道新聞 2013/04/03
防災面を最重視 JR釧路駅周辺整備 避難施設や経路 念頭に 市、本年度から検討
>駅周辺整備は、街のにぎわいや拠点性の向上を目的に検討が始まり、東日本大震災を契機に、防災上の観点を加えた。街の活性化へ、駅を核とし、線路で分断された南北の市街地間を、より円滑に移動できるルートづくりを構想。津波発生時の安全な避難路とも位置づける。さらに一時避難施設の設置も念頭に検討を進めていく。
2015年には高架化検討を再開、そして、2018年には駅周辺整備指針が策定、2019年には事業の圧縮も示唆されます。しかし、やはり大きく推進に動いたようには見えません。内部的には進んでいるのかもしれませんが。
北海道新聞 2019/04/25
釧路駅高架化 具体策検討へ 釧路市 津波防災で避難路整備 駅規模縮小で事業費圧縮
>事業構想では、駅舎を西に移動させて高架化し、駅南北を直線道路で結ぶなど、津波発生時の避難時間短縮を図る道路整備を再検討する。駅舎の延べ床面積を、07年の計画の7千平方メートルから1200平方メートルに縮小。高架区間の両端をコンクリート橋ではなく盛り土にして費用を抑える方針だ。
2020年には釧路市長選挙が行われ、この釧路駅高架化も争点となります。現職である蝦名大也市長は公約で駅高架化を基本とした周辺整備に言及、次期4年間で成り立たせると意欲を示し、対立候補2名は高架化に反対の姿勢を表明しています。結果蝦名氏が当選し、事態は動き始めることになります。
ただ、釧路市のページでの駅高架化に関しての情報の入手は非常にわかりにくいです。検索しても出てくるのがPDFばかりで、これがどのように繋がった、いつの時点のものなのかまとめられたものが見えません。新聞記事にはパブリックコメントの全意見に市の見解を掲載してるとのことなのだが、正直見つけられていません。
単純な高架化に関しても最初に出てくるのが2006年の「Aプラン」としてのもの。結局これは拒否されてるはずなのです。
もちろん私個人は釧路市民ではありませんので、ここでどのような結論になっても構わないのですが、どのようになるのか?どのようにしたいのか?がイマイチ見えない計画は、特に駅に隣接する車両基地、整備拠点である釧路運輸車両所をどうするのかや、取付線路についても、資料から見えないのです。もしかすると他に資料があるのかもしれませんが。
また、バスに関しても現在駅前から大きく巡回して北側に抜けるバスのルートは、都心側で乗る人以外は時間がかかりすぎますし、南側繁華街から駅を経由し北側に抜けるルートを構築した方が利便は高まるようにも見えます。
(釧路駅前のバスターミナル。それほど広くは無く、駅北側方面へのバスはここから北大通りを通り、十字街、旭町を通り駅東側の旭跨線橋で線路を横断する。)
(例えば大楽毛方面に行く場合は地下通路で駅の北側へ抜けてから「駅北口」バス停を使うと時間とバス運賃を節約できることになる。ただし北口ロータリーに入るわけでも無く、バスを待つような施設もない)
時事通信 2021年04月08日
駅周辺を再整備、にぎわい次世代に=蝦名大也・北海道釧路市長
https://www.jiji.com/jc/article?k=20210408NG29
> 釧路市の中心部は線路で南北に分断され、車は陸橋を通って行き来している。陸橋の老朽化を受け、駅高架化は30年以上前から検討されてきた。東日本大震災後に実施したシミュレーションでは、災害時には車が陸橋に集中して動けなくなることも分かり、防災・減災の観点から高架化計画が加速した。
一方、駅と観光スポットである幣舞橋を結ぶメインストリートの北大通は、国道沿いなどに進出した量販店に客を取られて空洞化が進み、週末はあまり人通りがない状態。「車社会が都心部を疲弊させた」との反省が「人と公共交通中心」の構想につながった。「高齢化社会では、公共交通の重要性が高まる」との判断もあった。
釧路市長のインタビュー記事から、やはり駅の高架化は「東日本大震災」と、「高齢化社会」が関連しているようですが、ここ最近の新聞投書でも、街が小さくなるのに大規模投資は~などの批判が載ります。ただ、駅をこのままにはできません。現実的にバリアフリーのない、不便な駅と、駅北側への導線を考えると、このままにするという選択肢だけは無いことはわかります。とはいえ、すぐには事業が動くようにも見えません。
地下トンネルと高架の狭間にある北見駅
また、高架化の話は出ていないのですが、特徴的な線路の高低差のある北見駅も見てまいりましたので、この項で。旭川方からまいりますと、北見駅到着前に2.1kmもの長さになる北見トンネルを潜ります。このトンネルは連続立体交差事業として作られたもので、トンネルができる前は鉄道は地上を走っていました。
特に北見駅直前、国道39号線と交差する踏切、そして道道261号置戸福野北見線との本町1丁目交差点など、渋滞ポイントとなっていました。北見駅に近いだけに閉鎖時間も長かったというのもあります。
この区間は高架での解消は難しい(費用面でトンネルの方が利があった)という判断でトンネルとなりました。9箇所の踏切が解消され、線路跡は緑道である石北大通公園となって市民の憩いの場となっています。1977年にこの区間が切り換えられました。
さて、トンネルの区間は南北がスムーズに行き来できるようになりましたが、トンネルの北見側出口付近、南北を線路を横断する市民が絶えず、新聞記事にもなっています。
北海道新聞 1978/9/19
線路を渡っちゃダメだよ 不心得者が後を絶たぬ北見駅構内 “あの世”へも近道! 辛抱して遠回りを
宅地が広がる駅南側と商店街が広がる駅南側の行き来が多いことと、出口付近の道道がトンネル出口付近で「跨線橋」となっており、遠回りになることが線路横断を誘発していたようです。
(北見トンネル北見駅側出口)
(ただ、この位置に人道跨線橋である南仲町跨線橋が設置されており、この跨線橋は1976年製の模様。記事のときには既にあったと思うのだが)
この記事の後きたみ東急百貨店が1982年に開業、駅南口に集客施設が生まれました。地上7階地下1階延べ床面積は3万平米を超えます。札幌だとイオン札幌苗穂並み、旭川駅前のイオンモール旭川駅前よりも店舗規模は大きいといえば、その大きさが想像できますでしょうか。とかく、この店が北見駅前にどーんとある状態で、市内だけでなくオホーツク圏全域から客を集めることになります。
そのときに作られた(と思われる)のが、駅の南北を結ぶ地下歩道(泉通地下歩道)になります。
(北見駅側から見る「きたみ東急百貨店」だった現パラボ。ちなみにこの屋上の赤い看板は2018年と最近設置された。パラボ内にあったバスターミナルは駅前再開発で駅とパラボの間に移設され、交通ターミナルとして機能している)
(パラボ側からの地下通路入口)
(比較的広く明るめに作られている。当時は多数の行き来があったのだろう)
(南側出口、パラボが見える)
(南側は階段アクセスが避けられず、車椅子用の昇降装置があるが故障中だった)
2007年のきたみ東急百貨店閉館後北見市はこの建物を取得しパラボとして第三セクター方式で運営、建物の一部は市役所の仮庁舎が入っていました。北見と市役所庁舎というと、それだけで記事が一つ書けそうなので他に譲りますが、ついにこの建物に隣接する形で新庁舎がオープンしています。(撤退した旧北見東急インの跡地)
(南仲町跨線橋から見る市役所新庁舎、後ろにパラボが見える)
(パラボ側から見る市役所新庁舎。2階にパラボと庁舎を繋ぐ通路も新設された)
(訪問は日曜日だったので、ここからは庁舎に入れず)
パラボ内の市役所機能が抜けた後の空きスペース問題は今後も問題になりそうですが、ともかく、駅から市役所まで歩道の屋根と店内通路で接続されたことになります。また、地下通路などを通じて南側からもアクセスできるようになったわけです。
駅舎に隣接して南北を繋ぐために新設されたのが「中央プロムナード」通称みんとロードです。2000年12月に開通しています。北見駅周辺の区画整理事業に合わせたもので、北見市の財政難で2年ほど遅れ、一部の施設を省略して開通しています。1998年に開設された北見芸術文化ホールに遅れ駅南側から行きにくく不便という声が新聞に掲載されることになります。
(南側の入口。隣には北見市中央図書館、写っていないが北見芸術文化ホールなどの施設がある。駅前の遊休地は鉄道利用者が駐車可能な「パークアンドトレイン」施設になっている)
ホーム部分はホーム屋根を切り欠いている。仮にこの通路を使用してホーム側にエレベータをつけられるかな?と思ったが、柱と筋交いの位置的に難しそうだ)
(玉葱のオブジェなどがある通路内部)
(北見駅側出口、一旦外に出るが駅までの屋根は繋がっている、南側も芸術文化ホールと繋がっているわけではない)
さらに網走側に行きますと、JR貨物の北見駅があります。今も秋から春にかけて貨物列車が残る北見駅ですが、実際の取扱量は発送21万トン(2015年)とのことで、貨物列車で運ぶのは半分以下の6万トンに過ぎません。ですので、多くのJR貨物のコンテナはトラックにて旭川の北旭川貨物駅に運ぶことになります。その結果トラック輸送の効率化、安全を願えば貨物駅に石北峠のトンネル化、2車線化などの要望が幟として立てられることになります。
(北見貨物駅の北見通運敷地に立てられている幟)
アンダーパスは後にして、さらに網走側です。東5丁目踏切という人道踏切が残っています。北見駅近郊は旭川側が北見トンネルで踏切を解消、網走側は高架橋にて踏切を解消していますが、この間に挿まれる形で1箇所だけ踏切が残っています。過去には桜町踏切の名で自動車の通行も可能でしたが、アンダーパス開通で人道専用となっています。
私が訪問した際も高齢の方が車止めの柵に座って一休みしながら、おもむろに踏切を渡っていきました。
北見神社や寺、温水プールのある北側から、自宅のある南側への行き来、たしかにここに踏切が無いと不便であろうとも思います。しかし、せっかくここまで線路を渡らずに安全に移動できる手段をいくつも提供されているのに、ここに踏切が残ってしまったのは「もったいない!」感が強く感じられます。
(東5丁目踏切は複線のような2線を渡る。本線と引き上げ線)
(踏切からすぐに高架橋が見える。引き上げ線は高架にはならず道道217号線北見美幌線・青葉通手前で途切れる)
この東5丁目踏切からちょっと北見駅よりに東4丁目アンダーパスがあります。今まで人道の跨線橋、地下道、跨線橋、踏切とみてきましたが、車が通れる道路としては駅を挟んで道道122号北見端野美幌線と道道217号線北見美幌線の2本しかありません。西4丁目から東9丁目ですから、迂回の距離も大きく不満が大きいとも思われます。
2003年にやっとこの間を線路の下を通り南北を繋ぐ東4丁目アンダーパスができます。ここには歩道も併設されて、付近の踏切も廃止となる予定でしたが、地元の強い要請で歩行者踏切として存置されることになります。
(スロープになっている歩道も整備されているアンダーパス)
北見駅は、プロムナード設置時に駅そのものの構造変更等も一時期には視野にあったと思われます。例示すれば東室蘭駅のような橋上駅スタイルが最も望まれたであろうと思います。しかし、現実には市の財政的にも厳しかったとも思われるところです。
その中でもなんとか各ホーム間のエレベータ設置なんかを考えてくれると、利用者にも優しい「駅」になるようにも見えるのですが、現在のプロムナードの構造上それは難しそうです。
北見は、まちづくりとしては駅の周囲に公共施設を集めることでのバスターミナルも含めた中心街利便性を考えているのだろうけど、現実には駅と線路が市民にとって「とても迷惑な」施設に成り下がっているようにも見えます。実際に鉄道を使おうと思えば隣の柏陽も階段利用は避けられず、多分高齢者は利用できないでしょう。
また、プロムナードを跨線橋スタイルで建設した以上駅高架化も検討されなかったと思われますし、旭川方にトンネルで立体交差にした以上駅手前に勾配が続くのも高架駅化は難しかったかもしれません。ただ、駅自体は改築や増築を繰り返した古いものですので、いつかは建て替えなども検討しなければなりません。そのときに、今のままエレベータも無い状態でいいのか?
北見を見ていると、非常に言葉は悪いけど場当たりに街を作ってしまった感じが見えてしまい、駅付近基本不便よね。そんな感じがします。しかし、その中でも、バスターミナルを駅に近づけ、市民が駅まで出てくることで市役所を始め様々な施設にアクセスできるように整備されたことは評価できようとは思います。
その中で駅だけが取り残されて、不便な状況のままであること、結局その問題が石北線の路線維持問題でも地元住民の鉄道を使いたくない意識として出ているのかもしれません。