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北海道の交通関係
深名線のバス転換から26年、そして転換バスと沿線バスに乗ってみました
2021/04/24
JR北海道が深名線を廃止したのは1995年9月。それから26年が経過しようとしています。
代替バスはジェイ・アール北海道バスが運行しており、そのバス運行経費の赤字はJR北海道本体が現在も負担しています。
JR北海道の路線維持問題を見るなかで、過去、JR北海道が深名線をどのように廃線していくことになったのか?そして、25年以上経って沿線はどうなり、現状バスはどのように運行されているのか、短い時間ではありますが現地を確認してきました。
深名線の建設と廃止
深名線が全線開業したのは1941年(昭和16年)となります。現在の朱鞠内湖の元になる雨竜ダムの建設工事への資材輸送、木材輸送がありましたが、1960年の幌加内町の人口は1万人以上であり、旅客輸送も年間140万人を数えることになります。とはいえ当時ですら1日4000人レベルであることに留意する必要があります。また、1960年台初めには和寒から幌加内町内に路線バスが開設されていますが、1964年には和寒町内の西和ペオッペ駅逓までに撤退しています。(現在町営バス)また、士別から添牛内への路線も開設された記録があるようですが、これも1960年代の数年間で廃止になり、現在の温根別北16線に短縮されたようです。
多度志地区には戦後すぐに沼田とを結ぶバス路線が開設されており、現在は深川を結ぶ便が残っています。
1968年国鉄諮問委員会の「赤字83線」といわれるローカル線廃止勧告に深名線は含まれました。この時の基準は
・営業キロが100km以下で、鉄道網全体から見た機能が低く、沿線人口が少ない。
・定期客の片道輸送量が3,000人以内、貨物の1日発着600t以内。
・輸送量の伸びが競合輸送機関を下回り、旅客・貨物とも減少している。
というものがありました。しかし、深名線は距離も長く、対抗となる民間路線バスなどはほとんどなく、当然のように「深名線廃止反対期成会」が結成され、1972年に時の政権が結果的にこの取り組みを凍結することになり、一旦は廃止は撤回されることになります。
国鉄再建法での特定地方交通線の選定では冬季の代替道路未整備として選定から外されています。特に蕗ノ台および白樺両駅は1970年代には集落自体が無人であり、冬季休止駅となっていました。並行道路は現在でも冬季通行止めであり、道道528号となる朱鞠内湖畔-蕗の台駅跡付近に至っては通年通行止め区間であります。この2駅を除けば、概ね道路は平行しており、1980年代終わりには代替交通には問題なかろうというのが大方の意見だったと思われます。
幌加内町の人口も1980年3,740、1990年2,635、2000年2,217、2010年1,710、2021年1月で1,383と減り続けています。これは「鉄道が無くなったから」ではないのは、10年スパンでは減少率が改善していることから明らかですが、とはいえ、毎年10%程度人口が減り続けているのも事実です。
深名線の利用数に関しては、1977-79年輸送密度で272、1984年で123という惨状で、JR北海道は1994年では80まで下がっていることが発表されています。
北海道新聞 1993/12/18
<緊急リポート 深名線廃止>中 住民感情 強い鉄路への愛着感 交通弱者に貴重 バス転換を警戒
><深名線利用者数の推移>
(JR調べ、1日当たり)
87年度 88年度 89年度 90年度 91年度 92年度
511人 461人 407人 407人 389人 354人
(1日利用客と「輸送密度」は比較できないので注意されたい)
また、赤字額についても
北海道新聞 1995/09/02
深名線あす廃止 54年間の歴史に幕
>年間の運賃収入は四千二百万円なのに対し、輸送コストや除雪費など経費は年間十億円に上り、赤字額は道内最大。バス転換により、赤字は一億円余りに圧縮される見通し。
と報道されており、鉄道の維持は難しかったといえましょう。また、高校生の利用については名寄側は
北海道新聞 1995/05/10
<道北 各駅停車の旅>11 深名線・朱鞠内駅 “うわさ”の真偽確かめに
>朱鞠内駅から深名線を利用する地元客は名寄市内の高校に通う生徒三人、それに病院通いのお年寄りが数人だけ。
深川側は
北海道新聞 1994/11/24
<鉄路とともに 深名線 ひと・暮らし>9 多度志 心強い通学の足 下級生が席譲る光景も
>幌加内から高校生らが二十数人乗り込み、途中駅の乗客に多度志駅の高校生を加えると六十人余になる。
深名線の廃止反対運動は盛り上がりを見せず、高校生を動員したデモ行進が行われたのもあくまでも廃止が決まった後の話でありました。
北海道新聞 1995/05/22
「冬季のバス運行不安」 深名線存続求めデモ行進 深川
>「守れ!安全な深名線!全道集会」が二十一日、深川市民会館に全道から約百二十人が参加して開かれ、JR北海道と深川など深名線沿線四市町との同線廃線・バス転換合意の撤回を求める決議の後、市内をデモ行進した。
これは1994年に深川・名寄で市長選挙があった関係で廃止反対を争点にした場合は、せっかくJR自身が負担を表明していた代替交通の自治体負担などの問題が発生するといった憶測などもあったように見えます。
「深名線を存続させる会」が発足したのは1994年9月と遅く、しかも労働組合や「市民団体」(実際には政党の息がかかる団体)だけで、幌加内では議会の反対決議があったものの実際の不便をほとんど感じない深川・名寄の動きは鈍かったこともあります。
北海道新聞 1995/01/28
深名線 廃止やむを得ない 知事 深川の集会で示唆
>【深川】横路知事は二十七日、深川市で開かれた「ふるさと訪問」の地元高校生との対話集会で、JR北海道が廃止を提案している深名線について「深名線の代替バスは利便性の高いものにしてもらうよう、JRに働きかけたい」と、間接的ながら同線廃止やむなしとする姿勢を示した。
当時の北海道知事横路氏もバス転換に前向きであることを示唆しています。
深名線の廃止は1995年9月3日に決定、ただ、使ってもいない深名線の自治体対応にJRはかなり苦戦したことは事実で、妥協の結果である1㎞900万円の「振興寄付金」とバス運行赤字のJR全額負担はその後もJR北海道の経営を苦しめることになります。
北海道新聞 1995/03/31
7期ぶり赤字予想 JR北海道96年3月期 基金運用益減少で
>JR北海道の収支実績
(94、95年度は計画、単位・億円、▼はマイナス)
年度 営業収益 営業損益 経営安定 経常利益
(鉄道・バス (本業の 基金運用益
収入など) もうけ)
87 919 ▼538 498 ▼22
88 940 ▼533 498 ▼12
89 998 ▼527 495 2
90 1050 ▼490 489 16
91 1063 ▼483 490 20
92 1054 ▼469 469 13
93 1059 ▼453 444 5
94 1029 ▼415 408 3
95 1014 ▼412 383 ▼17
現在に繋がる経営安定基金運用益の減少による赤字は深刻になっており、深名線を維持できないのは自明でありました。
そして、その後に路線廃止を「続けられない」ことがJR北海道の深刻な経営事態に進むことになります。
深名線代替バスの運行
1995年9月4日からJR北海道直営で運行を開始した深名線バスは、鉄道時代より停留所と本数を増やしたものの、本来は自治体が整備すべき停留所の待合室が無い等の不満が報道されることになります。また、深川市内で並行する北空知バス(現空知中央バス)との住み分けの問題で深川市内に停留所を設けなかったこともありますが、報道はその理由を伝えず批判することになります。北海道新聞 1995/12/02
<波動>深名線バス初の冬 過疎…客足伸びず 停留所の位置、暖房設置 届かぬ利用者の声
>(多度志)「建設中の小学校前にバス停があるが、市街地からは離れていて不便。それに市役所前は素通り。もう少し配慮してくれれば、ぐっと便利になるのに」。
>幌加内から多度志を通って深川へ向かうバスは一日十本。五本しかなかった鉄道に比べかなりの充実ぶりだ。
しかし、「きめ細かく停車できるなど、鉄道とは違う利点を生かさねば利用者は定着しない」
>河野順吉・深川市長は「確かに施設や道路整備、それに跡地問題に気をとられ過ぎ、利用者の細かな要望を吸い上げてこなかった」と反省する。
とはいえ1年後には評価の声も伝えることになります。
北海道新聞 1996/09/03
JR深名線廃止から1年 過疎との闘い いまなお バス転換はまずまず “夢の黒字”へ観光カギ
>バス(上下各十便)の利用は一日平均三百一人。鉄道時代の廃止前三年間の平均三百三十四人より少ないが、鉄道廃止で浮き彫りになった過疎と地域住民の闘いは、なお続いている。
>幌加内町の峰岸政義町長は「列車が果たした役割をバスは十分に肩代わりしている。幌加内峠のトンネル化など、国道の改良を進めたい」と話す。
>名寄-朱鞠内間の利用は一日平均六十人前後。決して採算の合う数字ではない。
なぜか深川市ではバスにトイレをつけろという声が大きく、JRから受け取った地域振興資金は停留所建屋などには使われず、この時点でも「鉄道跡地の利用とともに、地域のために資金をどう使うか知恵を絞りたい」と発言しています。
結果的に1998年からは一部の便にトイレ付きバスが登場し、2000年からバス事業を分社したジェイ・アール北海道バスに路線を引き継ぐことになります。
北海道新聞 2000/09/02
JR深名線廃止から5年 過疎、赤字…課題重く 減る乗客、増える負担 「減便などダイヤ調整も」
>廃線前年の九四年度は、一日平均乗客数は三百二十九人。バス転換後の九六年度は、同三百二人。その後、乗客数は減少を続けており、九九年度は二百七十四人にまで落ち込んでいる。
>沿線三市町でつくる「JR北海道バス深名線連絡協議会」(事務局・深川市)は「マイカーを運転する人が増え、人口も減ったから」。幌加内町によると、同町の人口は現在約二千二百人で、九五年から二百人減少、乗用車の数は現在約千二百台(軽自動車を含む)と、この五年間で百台以上増加した。
>代替バスは、運行当初から年間一億二千万円程度の赤字を見込んでいた。しかし、実際の赤字は年間約二億円。ピーク時で年間十億円近い赤字だった鉄道より改善されたが、同社は代替バス運行に自治体などからの補助を受けておらず、負担は大きい。
バス運行のための道路整備と除雪改善を約束した自治体と道、開発局の努力は、結果的に沿線の車での利用が便利な状況を強化したことになります。
2001年にはバス運行を北空知バスに委託することを検討するもこの話は反故になったようです。とはいえ前年からさらに利用客は減少。
北海道新聞 2001/11/27
代替バス3割減便へ 旧JR深名線 北空知バスに委託
>二〇〇〇年の一日平均乗客数は二百四十八人、営業赤字は二億三百万円に上る。
2002年2月からは運行本数を減便、9月からは道北バスに委託し運行することになります。さらに12月からはやっと深川市役所通と多度志神社前の2か所の停留所を新設。これは北空知バスの多度志線と完全に競合することから、今までできなかったことです。バス規制緩和も理由の一つでしょう。
北海道新聞 2005/09/24
<特報 土曜フラッシュ>JR深名線廃止10年「喪失感」ぬぐえぬまま 転換バスゆるり定着 合理化に妥協、運賃補てん 自治体 維持に全力
>バスの運行便数は転換当初の三分の二以下にまで減ったが、昨冬の運休は半日が二回、遅延は計十便にとどまり、鉄道に比べて遜色(そんしょく)ない。十年で停留所の待合室整備やバスのトイレ設置も進み、住民の足として定着してきた。
>幌加内町も、バス転換に伴う約二割の運賃上昇分を補てんするため、通学定期と高齢者の回数券購入に助成し、利用促進に努める。
>転換バスの経営はジェイ・アール北海道バス(札幌)。2002年末から運行管理業務は道北バス(旭川)に委託した。現在深名線バスの年間赤字額は約8000万円。
深名線廃止バス転換10年の記事では減便と委託で赤字額が大幅に改善していることがわかります。
2010年には幌加内町はそれまでの空知支庁から上川支庁に編入されます。公共交通機関が深名線転換バスの深川、名寄行きしかない幌加内町ですが、この時点でも医療の95%を町外に依存しており、そのうちの67%が旭川、バスで通院というのも多くない事実があります。
また、高校は地元幌加内高校か、深川の2高校への通学が基本であるのは実質的に旭川に通う公共交通機関が無いことが挙げられます。
反面2010年には国道275号線幌加内峠の幌加内トンネルが開通、道路距離が約600m短縮され、また、18か所の急カーブが解消されました。このトンネルは深名線廃止の代替道路という名目があったものの、幌加内と深川の結びつきが減る中で、地域は旭川への利便を求めている皮肉な結果になります。
北海道新聞 2015/09/04
幌加内の足 模索20年 JR深名線廃止 人口34%減 苦悩続く
>3日午後、旭川市から幌加内に向かう町民限定の無料乗合自動車「ほろみん号」は、白い花が咲くソバ畑の中を快走していた。
>昨年10月の試験運行開始から既に20回近く利用する。深名線廃止後、JRの子会社が幌加内―深川、幌加内―名寄間で代替バスを運行するが、バスで深川に向かい、JRに乗り換えると旭川まで2時間半以上かかる。
>代替バスは当初、1日計37本あったが、現在は計26本に。302人いた1日当たりの利用者も昨年度は88人に落ち込んだ。細川雅弘町長(59)は「深川より都市機能が充実した旭川に人が流れる傾向はあったが、(2010年の)支庁再編で町が空知から上川管内に移管されたことで、それがさらに強まった」とみる。
>深名線廃止当時の幌加内町長、峰岸政義さん(80)は「マチが廃れるという不安感を町民に与えた」と振り返る。約2400人だった人口は、8月末現在で1578人に。当時からの減少率は34%で、今も鉄道が走る周辺の市町より高い。
鉄道廃止が人口減少につながったと言いたい道新ですが、現実的にそれはイコールとは言えないでしょう。むしろ、鉄道があった時代に大幅に人口減少した現実、そして、減少が自然減と若年者の未定着であるのは自明でありますので、鉄道が残っていたとしても状況は大きく変わらないでしょう。
それ以上に大きいのは町の旭川志向で、完全にバスが住民の利用したい方向に走っていないことが問題になりそうに思います。この状況でもバスが走れるのは、地域がバスに対して補助せず、赤字をJR北海道が持っているということであって、地元は乗らなくても走っているという歪な安心があるということになります。
北海道新聞 2016/11/15
幌加内―旭川間 無料送迎車「ほろみん号」 町、有料化移行を検討 来年度から 「接続便」新設も JRバスと競合課題
>幌加内―旭川間の公共交通路線の開設を目指す町は、町民を対象に同区間で試験運行している無料送迎車「ほろみん号」について、2017年度から有料の本格運行に移行し、町内全域の住民が利用できるよう、新たな接続便を無料で運行する検討を始めた。
>接続便の運行は、旧JR深名線廃止に伴いジェイ・アール北海道バス(札幌)が名寄―幌加内―深川間で運行する代替バス路線と重なることから、実現に向けた今後の協議は曲折も考えられる。
>ジェイ・アール北海道バスは、深名線上下26便(土日祝日は21便)について、1日平均乗車人員は1996年度の302人から年々減少し、02年の減便後も年間1億円前後の営業赤字が続く厳しい経営状況を説明。ダイヤの見直しも人員体制などから難色を示した。会合後、同社は「深名線の現状を説明した。接続便案は初めて聞いた」と述べるにとどまった。
また、深名線バスの観光利用について何度か記事があるものの、具体的な形になったものは一切なく、沿線の温泉施設せいわ温泉ルオントに関しても、幌加内町民は無料送迎バスを利用可能で、バス利用に繋がっていない現実があります。
幌加内町 広報ほろかない2020年5月
せいわ温泉ルオント無料送迎バス
http://www.town.horokanai.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2020/05/75ed5b98a60ab53c79c6c05ad85acdd7.pdf
(週2回沼牛-上幌加内までの各バス停から無料送迎があるため、ルオント利用者のバス利用は少ない)
多度志地区の空知中央バスの運行
深名線とは前後はしますが、多度志-沼田・多度志-深川の運行していた北海道中央バスは1990年に深川地区の運行を子会社の北空知バスに分離しました。その後2001年からは空知地区の中央バスの運行の委託を受け滝川に営業所を新設、2004年に本社を滝川に移転の上、空知中央バスと社名を変更しています。
さらに岩見沢地区も含めた空知地区の中央バス路線は基本的に空知中央バスが運行することになります。
また、多度志町は1970年4月に深川市に編入されました。
1970年の中央バス時刻表を見ますと、深川-多度志5往復、沼田-多度志15往復、またこの時期は多度志-上宇摩に3往復、多度志-中多度志-湯内4往復の路線を持っています。宇摩、湯内に関しては1966年に多度志町が宇摩、湯内の小中学校廃校で多度志へのスクールバスとして開業した経緯があります。
1988年に多度志-上宇摩・多度志-中多度志-湯内廃止、深川-多度志4往復、沼田-多度志4往復と大幅に減便されます。特に沼田-多度志は7往復からの半減となり、この時期でも沿線の過疎化、モータリゼーションの発達がよくわかります。
2003年に沼田-多度志を廃止し沼田町営バスに移管(現在はデマンドバスで町民であり利用登録が必要)となり、深川-多度志のみが残っている状況です。

2018年には3往復に減便、2020年冬ダイヤからは2往復に減便され、多度志から深川への通学利用ができなくなります。

そして2021年夏ダイヤからは土曜・休日には全便運休となり、平日のみ2往復となりました。
実際に深名線バスに乗ってみた
深名線転換からしばらくは、新蕎麦の時期などに深名線バスでの旅行も楽しんだ当サイト管理者ではありますが、ここ数年はご無沙汰になっていました。バス減便だけでなく、クルマでの利用に問題ない地域であり、なおかつ、現地での足の確保を考えると、どうしてもバスの利用は難しい部分があります。
今回も、まだ寒い中ではありますが、自転車を使用した途中区間の移動も考えてはいました。しかし、実施するのが水曜日でせいわ温泉ルオントが休業日であることもあり、今回はバスのみを利用することにいたします。
●深川8:05発快速幌加内行
沼田町と深川駅で留萌線などの利用客を確認したあとに、早速このバスに乗ってみようと思います。前回記した通り、幌加内からの深川7:51着の通学バスの下車人数は12人となっており、中型の32人乗り1台で充分間に合う数の乗客しかいません。バス転換当時幌加内発2台、上多度志発1台の3台運行だったはずですが、現在は1台だけです。

深川駅で待っていますと、やってきたのは中型の路線車両。現在深名線バスは5台配置で、2ドアの中型車は3台あると思われます。最前部の座席はコロナ対策で座れなくなっており、換気などの対策も取られているようで、少し車内が肌寒く感じます。
珍しく(と言っては失礼だが)お若そうな女性1名が乗車、深川発車時は2名となります。バスは一旦空知中央バスや沿岸バス・道北バスが発着する深川十字街を通り国道233号線に入ります。快速便であるこの便は多度志までどこにも停車せず、市内のあけぼの地区で道道281号深川多度志線に入り、ちょっとした峠を超えて行きます。
沿線は道路こそ舗装が出ていますが、両脇には雪がまだ多く残ってます。やはり自転車はまだ早かったなと思うところです。
下り坂の先にセイコーマートが見えたら多度志の市街地です。幌加内町にはコンビニエンスストアが無いので、ここがこの先名寄までの最後のコンビニになります。多度志小学校に隣接する形で設置されている多度志バス停で下車します。運賃は430円です。

●多度志バス停と待合所
多度志小学校は1997年に地域統合校として幌成、鷹泊、多度志の3校が統合されたもの。通学はスクールバスであり、特段バス停位置はここである必要はないように思うが、旧駅や空知中央バスの停留所から少し離れた国道沿いのこの場所に設置されたものです。
多度志バス停は転換から2年後の1997年にやっとトイレ付きの待合室が設置され、これはJRからの交付金の活用となります。本来なら転換時にできていなければならなかった施設です。旧駅や旧役場などの施設や住民が住む場所から少し離れているのも気になるところです。


空知中央バスの「多度志」バス停は旧駅前にあり、本来であればここに統合するのがよいのでは?という印象はないでもありません。
多度志バス停から少し歩いて1停留所、多度志神社に来ました。旅の安全を祈願して、ここから一旦深川に戻ります。
●多度志神社前8:43発普通便深川駅行
深川行の2便目となるこの便は、通常で考えると通院や用務客が乗る便と思われます。また、上多度志、円山を経由する便でもありますので、これにも乗ってみようと思ったんですね。
2分ほど遅れて到着したのは、中型の観光型タイプの車両です。最後尾にトイレがついた車両で、深川営業所の配置車両では唯一となります。その代わり座席数は28席となっており、若干ですが狭い印象があります。最前列の4席はコロナ過もあって使用できません。

車内には3名の高齢男性が乗車しており、いかにも地方の路線バスな車内です。上多度志で高齢女性が1名乗車。乗り慣れている、よく使っているという感じがいたします。
多度志から上多度志までの道路は道道98号旭川多度志線で、留萌方面から旭川に行くには深川を経由せずに最短距離で行く道になります。交通量は少なく、快適な道路です。
上多度志からは道道875号多度志一已線に入ります。この道路は2001年に多度志トンネルが開通するまで冬季通行止めなダート細道で、この道路の開通までは転換バスは一旦上多度志で折り返してから道道281号深川多度志線に入るルートでした。この開通により普通便は15分以上の短縮となりました。

円山、達布と行きますが乗降なく、一已8丁目踏切をわたり道道57号旭川深川線に入ります。あとはまっすぐ行けば深川市街地です。深川市役所通ではちょうど降車する方がいましたので、私も下車することにします。運賃は400円です。ここで降りると深川駅に行くより30円安くなります。
●市道2番通り10:01発深川市立病院行
さて、多度志からもう一つの深川行であります、空知中央バスにも乗ってみようと思ったのですが、残念ながら多度志行は午後までありません。仕方ありませんので、市役所前からとぼとぼとあけぼの方面に徒歩で向かいます。
途中深川農業高校の跡地に出ました。2007年に閉校しており、深川東高校の生産科学科に移行しているはずです。建物の跡地は拓殖大学北海道研修所として使用されていますが、この日は人の気配がありませんでした。

さらに歩きますと、左側にひときわ大きな建物が見えます。これが深川第一病院です。グループホームやデイサービスも行う総合病院です。病院は国道沿いに立っており、さきほど幌加内行快速バスで横を通過しています。しかし、バス停はありません。空知中央バスは沼田線と深川市内線のバスがこの前の停留所に停車し、多度志線は約500mと少し離れた、この市道2番通りバス停が最寄になります。
もし、この病院へ通院する方がおられれば、このバス停を使用すると思ったわけで、逆にこのバス停以外に多度志側から「降りる」要因のあるバス停は見当たりません。
さて、バスがやってきました。誰も降りてきませんし、車内はお客さん1名のみ。乗車された位置はわかりませんが、多度志集落かあけぼの団地しかありません。いずれにしても、午前中の少し遅い時間とはいえ、この便を逃せば、深川市内の用事を足そうとしても難しいと思われます。
バスは私が歩いてきた道路を淡々と走ります。住宅こそ少なくありませんが、誰も乗ってきません。一已小学校を通ります。留萌線の北一已とは大きく離れていますがこのあたりが1963年までは独立した一已村でした。

先ほども通った一已8丁目踏切で特急を待ち、深川市役所の横を通り、バスは深川十字街に停車。一人きりのお客さんもここで下車するようです。
多度志からの運賃は520円で、ジェイ・アール北海道バスに比較して90円高いことになります。また、初乗り運賃は190円で、ジェイ・アール北海道バスは170円です。深名線のバス転換当時北空知バスの賃率で設定された深名線バスの運賃は消費税以外の値上げは最小限に留められて、差が出てしまっているのが現状です。
●深川のターミナル事情
深川はジェイ・アール北海道バス深名線が深川駅に発着、沿岸バス・道北バスの旭川-留萌線と空知中央バスは駅から250m離れた深川十字街を通ります。しかも、経由する道路の違いがあり、旭川方面へのバス停が沿岸・道北バスと空知中央バスで向かい側で別位置。さらに空知中央バスは深川市立病院を発着します。単純に駅から700mは離れています。
過去に中央バスが深川ターミナルを開設していたころでも、駅とは離れていましたので、もともと深川には3カ所「ターミナル拠点」があることになります。

これが、他の地域に比較するともはや「一見さんお断り」状態になっており、バスも鉄道も使われにくい土壌として存在しているわけです。単純に深川から旭川でも滝川でも、留萌でも複数の会社の複数の経路が、複数のターミナルにあって、市民でも説明できる人は多くないでしょう。少々知ってるマニアでも深川十字街バス停の「どっち側」が旭川に行きますか?って質問に簡単に答えられはしません。
深川市と各バス会社はそろそろ深川市内の拠点バスターミナル、または駅にターミナル機能を考える時期に来ていると思っています。あくまで他の地域に住む私にとっては深川は「わからん」です。
●深川10:25発快速幌加内行
深川発2便目の幌加内行も快速ですから、先ほどの便と同じ経路を通ります。深川からの乗車は4名、1人は旅人風で、2名は地元客風です。今度の車両は、また中型の観光型タイプですが、こんどはトイレのない32人乗りで、同様に最前列は使用できません。
多度志で1名が下車、鷹泊で1名が下車したら、もう地元客は0。旅行客風の方は多分私と同じ行程で名寄に抜けると思われるので、これでおしまいです。

まだ平野部もあって、農地が広がっていた車窓ですが、鷹泊を過ぎるとどんどん山が迫ってきます。国道275号線は2010年に改良され幌加内峠の幌加内トンネルを通ると幌加内町に入ります。バスは乗降も無く淡々と進んでいきます。外は寒いのでしょうが、バスの中は暖かく、先ほど歩いた疲れもあってウトウトしてしまいます。

ちなみに深川-幌加内は鉄道時代もトンネルを2カ所設けていました。転換後道路もこの2か所付近にトンネルを新設して峠をクリアしています。これは江差線も転換後に道路をトンネル化しているわけで、当時の地方の道路事情が鉄道よりも遅れていたという事実でもあります。
バスは突然鋭角に右折して沼牛駅跡を見ると細い町道を走ります。駅から集落は少し離れていることもあって、このあたりにバス停は無く、沼牛小学校前は既に小学校としては2002年に閉校しています。その先に新成生駅跡があるとは思うのですが、車窓からはわかりません。

国道に復帰しますと幌加内高校の前を通り、終点幌加内です。終点到着は少し余裕があり早着。深川からの運賃は1,130円となっています。転換当時の運賃は990円ですので、運賃値上げは最小限に留められているといえそうです。

●幌加内市街地
幌加内のバス停は幌加内交流プラザの中に設置されています。この交流プラザは1998年に開設されています。もちろんJR北海道の支援金を使った施設になります。

1階には蕎麦店雪月花が入っており、2016年にオープンしています。2014年まで営業していた蕎麦店が撤退後町が募集しており、茨城県から移住したオーナーさんが営業されているとのことです。


まず、ここでお蕎麦をいただきます。まだ時間が早めなのでお客さんはおらず「黙食」が楽しめます。暖かいお蕎麦とミニかき揚げ丼は大当たり。店内はたくさんの色紙が貼ってあり、バイクや自転車で訪れた方が書いたもののようです。

次は交流プラザ2階のJR深名線資料館。こちらは昨年からコロナ過で土曜休日は閉館しており、平日しか見ることができません。大きくはありませんが良くまとまっており、10分程度のバス待ち時間だと厳しいでしょうが、今回は1時間半ほど時間を取っていますので余裕があります。

幌加内駅舎は転換当時はバス待合所として使用していましたが2000年3月19日に火災にあい全焼。その後もJRバス車庫前という名称でバス停がありましたが、現在は交流プラザに統合され、車庫のみが残っています。通常ここには3両が滞泊し、乗務員宿泊所もあると思われます。駅跡は雪の堆積場を兼ねているのかうず高く雪が残っており、連休中でも多分溶けてはいないでしょう。
●幌加内12:58発名寄行

名寄行は深川からのバスが直通という形になります。やはり定刻より少し早く12:44に深川からのバスが到着。2人ほどが降りてきました。その前には12:47発の深川行が停まっており、2名乗客を乗せて出発準備・・・なのですが、運転手さんお二人がタバコ吸いながら談笑中。外とはいえ施設内禁煙の表記が多々あって、ドア前でタバコを吸うのはあまりいい印象ではありません。ただ、休憩は大事ですし、運転手さんも人の子、また、今日は風も強く、バスの運行は楽ではないでしょう。
定刻の5分ほど前に名寄行バス停にバスが着車、案の定乗客は2名です。時刻通り発車すると国道をひた走ります。
車窓は蕎麦畑なはずですが、まだ雪の下。国道275号線は集落もまばらななか進んでいきます。バス車内は暖かく、単調な車窓でもあってうつらうつらしてしまいます。右側に線路跡がみえるはずなのですが、駅どころか集落もよくわかりません。

1994年に開業したせいわ温泉ルオントは隣接地に1998年から道の駅森と湖の里ほろかないとしても営業。温泉施設が開業した当時、既に政和温泉駅は廃駅となっており、地元が駅復活を働きかけたもののそれはかなわず、場所的にも時刻的にもなかなか公共交通での訪問は難しいところでもあります。

また、手前には第三雨竜川橋梁が残されており、車窓から楽しむこともできます。しかし、バスでは一瞬の通過。
道の駅も温泉も駐車場に停まる車もなく、バスもロータリーを一周して国道に戻ります。水曜日で温泉施設自体はお休みといっても、道の駅に車一台もないというのは、この道路の通過台数の少なさも物語るものです。国道275号線は札幌と美深を結びますが、実際にここを通して運転することはないでしょう。

政和集落を過ぎ、日本海側の苫前・羽幌方面への国道239号線の分岐を見ますと添牛内地区に入ります。深名線と、建設途中に遺棄された名羽線が開通していたとしても、利用は限られたことでしょうし、運ぶべき貨物がもはや無い中で鉄道の建設だけが進められていたこと、止めることが難しかったことを、今ならば言いようがありますが、当時は難しかったのかとも思わないでもありません。
この国道239号線も非常に閑散とした国道ではありますが、霧立峠のトンネル化工事が進められており、安全な道路になっていくことは間違いがありません。

バスは朱鞠内トンネルをくぐり朱鞠内の市街地に近づきます。見えませんが右側には深名線の第一雨竜トンネルが並行しており、国道の旧道トンネルもあるような話も聞いています。
朱鞠内は鉄道時代は要所であって、乗り換えを要する駅でした。しかし、集落自体は大きいものではなく小学校はあるものの、中学校はスクールバス通学になっているはずです。
バスの乗降は相変わらずなく、駅跡のバス停ロータリを回って国道に復帰します。
バスは国道を逸れて坂を上ります。道道528号蕗の台朱鞠内停車場線とはいいますが、通年通行止めの道で、夏季は朱鞠内湖畔まで運行しますが、この時期は三股バス停で折り返しです。ここが湖畔駅のあったところで、簡素な駅ではありましたが、雰囲気が好きで現役時代にも何度か訪問しています。

国道へ戻ってきたバスは湖を右に見ながら高度を上げていきます。車窓には雪が降ってきました。4月も半ばというのに雪が降るほど過酷な土地であり、なおかつ住む人もない無人の山道をバスは右に左にカーブを抜けながら走り続けます。朝に乗った2扉のバスがすれ違い、無線で先の道路情報を交換するのは、ほとんど乗客も無く、まして道路を走行するクルマすら多くないこの道路では貴重な情報源なのでしょう。

やっと少し集落が見えてきたら母子里です。北母子里駅の「北」を隠された停車駅接近標識が道路標識に括りつけられています。

ここからの道道688号名寄遠別線は批判も多い開発道路ですが、2025年開通予定で遠別町までの建設が進められています。しかし、名寄側も決して良い道とはいいがたく、1800m以上もある名母トンネルを抜けた後も右に左に急カーブを走り坂を降り続けます。特に冬季は運転手さんの苦労も多かろうと思われます。眼下は雪もあるのでしょうが低い雲で覆われています。この名母トンネルも完成は1991年で、このトンネルの開通でやっと深名線はバス代替ができるようになったとも言えます。

名寄市内に入り、人名バス停の日塔宅前を過ぎると狭い市道に入り天塩弥生に向かいます。駅跡地は駅舎も解体され、しばらくは何もなかったのですが、2016年に木造駅舎風の建物を新築して民宿がオープンしています。一部には池北線大誉地駅の部品なども使っているとのことで、一度訪問してみたいところです。
集落は出てきましたが、やはりバスの利用は全く見えず、現実にこの時間帯に名寄に向かうバスを使う層がいるとも思えないところではあります。
ライスセンター前には以前から農協施設があった西名寄付近に1997年にさらに増築開業した上川北部の4農協が共同で建設した施設で、西名寄の停車駅接近標識が敷地内にあります。このあたりのバス停には名寄市が設置したアカゲラのプレートが待合室についており、アクセントになっています。
名寄の市街地では市立病院前と西條百貨店に近い西3条6丁目を経由し、名寄駅に定刻より少し早めに到着しました。

幌加内-名寄駅の運賃は1,530円、幌加内でバスを乗り継ぐ場合は直通運賃で良いはずですが、特段案内は無く都度払っています。(深川駅-名寄駅は直通では2,520円になるはずです)
●さいごに
単純に旧深名線沿線のバスを何本か乗ってみましたが、どれも乗客の数が本当に少なくて、かなり厳しい感じは見えます。特に幌加内-名寄はこのまま無人の運転を続ける必要があるのか、また、幌加内町内から名寄市内の高校に通う学生は、鉄道時代すら3名(後2名)でありました。
高校通学生の数が、深川方面ですら大きく減っている以上、もはや「定期バス」である必要があるのか?というのは誰の目にも明らかです。
しかも幌加内町の上川支庁(振興局)への編入後、深川への需要が本当に少ないことも、それを必要とするかどうか?というのはあります。
さらに、深川市内となる多度志地区に関しては、既に空知中央バスが平日2往復、そしてジェイ・アール北海道バスは快速便や円山経由となり、経由地は違うとはいえ、お互いが侵食しないことを「考慮」する必要がどれだけあるのか?という面があります。もはや多度志地区住民は「不便なバス」に見切りをつけ、自分たちでボランティアによるデマンド交通を始めています。
北海道新聞 2021年04月15日
深川のデマンド型交通 浸透 有志が自家用車で輸送サービス 乗り合いタクシー試行 本年度
>市内北部の多度志地区では、住民でつくる有志組織の「移動ボランティア」事業が行われている。住民の足として、深川―名寄間を結ぶジェイ・アール北海道バス(札幌)などがあるものの、「便数が少なく使いにくい」などの声があり、「自家用車で助けあいながら、地域で生活を続けていける環境をつくろう」と、昨年10月に始まった。
同事業は営業行為にあたらないため、道路運送法上の許可はいらない。自家用車を所有していない高齢者らを対象とし、自宅から目的地までの多度志地区内が移動範囲。事前登録制で、燃料代の負担が必要だ。
開始から3月末までの半年間で30人の利用があった。
しかし、利便は高いかもしれませんが、結局は白ナンバーボランティア頼みというものは、安全性も、継続性も疑問です。そんななかで、バスだけが地元の支援を一円も出さなくてもいい、JR北海道が億単位の赤字を抱えてくれることを「あたりまえ」として、こんな状況を長く続けていくことが正しいのか?ということを、誰も疑問に思わないのか、また、その継続性に危険を感じないのか?と思わないことが不思議でなりません。
遠くない将来、ジェイ・アール北海道バスも空知中央バスもこの地域のバス事業を撤退するという話をすることになるでしょう。その時にいつも見てきた反対表明とマスコミを通じての事業者批判を行ったところで、これだけの事実を突きつけられて、困っていませんよね?を他の地域の人に「報道しなければ」「気が付かれなければ」それでいいのでしょうか?