北海道の交通関係


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千歳線の旧線区間に行ってきました(その1)

2021/06/21

千歳線は1926年(大正15年)に民間会社として開通、戦前に国鉄に買収、1960年代から複線化が行われる前は単線の細道でありました。
今は新千歳空港への空港輸送、函館・釧路方面への特急メインルート、そして本州方面への貨物輸送のルートとして北海道の鉄道輸送には欠かせない路線となっています。

徐々に複線化が進展し、無煙化も行われた千歳線ですが、北広島-苗穂の区間は急曲線と急勾配が続き、また沿線の宅地化で複線化用地の取得が難しいこともあり、現在のルートに付け替え、複線化と勾配緩和を行うことにしました。これが完成したのが1973年(昭和48年)となります。

これにより廃止された区間は累積距離と駅名で
0.0 北広島
4.3 西の里信号場(旧)
9.5 上野幌(旧)
13.0 大谷地
16.1 月寒(当駅-東札幌-白石は1973年切り替え時点では貨物線として存置)
18.8 東札幌
21.9 苗穂
となります。上野幌駅は現駅から大きく離れており、地下鉄駅と同じ駅名に関しても、全く位置が違います。

また、それを前に1968年(昭和43年)に 函館本線貨物支線として、白石から東札幌駅への支線が開業しています。当時札幌-苗穂-東札幌は定山渓鉄道が乗り入れており1969年(昭和44年)に廃止。月寒駅がアサヒビール北海道工場に隣接し、製品輸送のために貨物駅としては残りましたので、月寒-東札幌との貨物列車は1976年(昭和51年)まで運行されます。また、東札幌駅が完全に廃止されたのは1986年となります。


白石サイクリングロードの開通と旧東札幌駅

札幌市の人口は増え続け豊平町や手稲町など周辺町との合併もありますが、1970年(昭和45年)に100万人を突破し1972年(昭和47年)の政令指定都市化で白石区が誕生します。
白石サイクリングロードの整備を行ったのは、都市化が進む札幌で、廃線跡を利用して緑道としても使える緑の残る場所としての意味もあったと言えそうです。
また、この当時国道12号線の混雑緩和のための南郷通が1974年(昭和49年)開通、そしてその南郷通の地下を走る地下鉄東西線の建設が開始されており1976年(昭和51年)に白石-琴似の区間で開通します。

白石サイクリングロードは1974年(昭和49年)8月に万生公園(南郷7丁目駅付近)ー上野幌で開通します。

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(1976年撮影の航空写真。万生公園付近の線路跡が少し広くなっており、ここから自動車道スタートだったことがわかる。アサヒビール北海道工場付近の月寒駅は現役、そしてこの間にある水源地通は踏切が撤去されている。また、当初は自転車道も立体交差ではなく、自転車側を停車する「踏切」だったこともわかる)
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(1976年撮影の旧大谷地駅付近。廃止時は旅客駅で交換設備しかなかったようで、自転車道も「上下」に分かれている。まだ白石東冒険公園は未整備。南郷18丁目駅はまだ着工も行われていない)
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(1976年撮影の厚別川付近。鉄道の橋梁が撤去されており、南郷通まで迂回する河川敷の道路が整備されていたことがわかる。1981年にここに虹の橋が開通し、直線的に超えられるようになった)
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(1976年撮影の旧上野幌駅付近。厚別中央通りがまだ厚別側に開通していない。当時のサイクリングロード「終点」は旧上野幌駅付近と思われ、このあたりから先の整備はまだこれからだったと思われる。青葉中学校・新札幌わかば小学校はまだ開校していないし、厚別南公園もまだ整備されていない)


月寒駅の廃止により、1979年(昭和54年)白石サイクリングロードは万生公園-東札幌を延伸開業します。この当時まだ東札幌駅自体は貨物駅として残っていたため、将来的な延伸を予定して環状通までの暫定的な開業だった模様。(環状通付近から地名としては東札幌となる)

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(1985年撮影の東札幌駅、地下鉄白石駅付近。サイクリングロードとして整備されていたのは環状通の東側のように見える。環状通西側は緑道として当時は開通してた模様。貨物駅にはまだ貨車が見える)


1981年(昭和56年)厚別川に虹の橋が開通、また、1989年(平成1年)環状通に環状夢の橋が開通します。これにより東札幌1条3丁目付近の米里・行啓通まで延伸しますが、まだ更地であった旧東札幌駅付近までは接続できない状況です。
1997年(平成9年)には道道札幌北広島自転車道線として路線認定されます。

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(1993年撮影の地下鉄白石駅ー東札幌付近。真っ白に新しい環状夢の橋が開通していますが、肝心のサイクリングロードは米里行啓通付近から緑道になっている模様。旧東札幌駅は駅廃止から8年近く経過していますが貨物ホームなどの形を残したまま更地が続いています)


旧東札幌駅は国鉄清算事業団が土地を保有し、札幌市はこの広大な敷地の利用に迷走します。ホワイトドーム構想では共和汚職事件の舞台となり、結果的に跡地利用は宙に浮いた形で更地となったこの土地は長らく放置された状態になります。結局駅廃止から10年以上経過した1998年に札幌市は旧東札幌駅跡地の計画を発表します。

北海道新聞 1998/06/18
旧国鉄東札幌駅跡地の大開発 本格スタート 市、年度内に実施設計 公共3施設 4年後の完成目指す
>市は本年度中にコンベンションセンターなど三つの公共施設の基本設計をまとめ、さらに実施設計にも着手。四年後の二〇〇二年度の完成を目指す。


その後2003年に札幌コンベンションセンターほか札幌市の施設がオープン。少し遅れて2008年に商業施設イーアス札幌(2018年ラソラ札幌に変更)がオープンします。

白石サイクリングロードはこのコンベンションセンター建設時期に現在の形で開通したものと思われます(2004年の航空写真には南郷通までの道とコンベンションセンター付近の道が見えます)

北広島方は2001年(平成13年)に北広島駅付近、2004年(平成16年)に北広島市共栄から北広島駅までの区間が開通し、白石サイクリングロードと連結されます。2004年には道道札幌恵庭自転車道線として認定され、将来的には恵庭まで自転車道として利用できるようになる予定です。

現在、交差道路のほとんどはトンネルによるアンダーパスが採用され、適度な高低差と自動車からの安全を確保することに成功しています。また、歩行者やジョギングなどでの利用も制限はしていませんので、「自転車道」ではないという観点から白石区は「白石こころーど」、厚別区は「陽だまりロード」そして北広島市は「エルフィンロード」という愛称がつけらています。


(旧上野幌駅跡地である厚別南公園に設置されている古めかしいサイクリングロード看板。幾度か書き換えられているものと思われるが、白石側は環状通まで、また北広島方が記載されていない。旧東札幌-苗穂・白石への三角形の線路が記載されているなど、かなり年代を感じる資料になる)


線路跡を「自転車」で走る

では、実際に千歳線旧線と函館線貨物支線の痕跡を探しに行ってみましょう。まずは、貨物支線の白石からスタートです。

●白石-東札幌(平和通り付近)

まずは、橋上駅化された白石駅から。南側がもともとの駅舎のあった側になります。2011年に周辺整備とバリアフリー化を含めて橋上駅化されました、貨物支線は現在もホームのない待避線として残されている最も駅舎側の線路から出ていたものと思います。この側線、カートレインの発着場所としても使われていましたし、現在も札幌貨物ターミナルと繋がって貨物出区に使えるはずです。

(なんとなく1線分単線の線路が並行していたような幅を保ちながら、米里・行啓通の跨線橋あたりから南側に分岐。架線柱の幅が奥に対して広くなっている場所が分岐箇所でしょうか。このあたりの跡地は現在は石油会社の駐車場になっている)

(線路跡地が駐車場に利用されている)

(青い會澤高圧コンクリートの看板が平和通り。現在は平和大橋を経由し苗穂駅・都心まで繋がるこの道路も、線路の手前までの開通だった)


●東札幌(平和通り付近)ー苗穂(豊平川付近)
旧千歳線側ですが、あまり跡地利用を行っていないところがあります。一応はサイクリングロードを伸ばす計画があるとは聞いていますが、今のところは具体化していないようです。

(貨物支線と千歳線旧線の合流はもうすこし東札幌駅側でした、旧千歳線側は築堤として残っています)

(いかにもな「線路脇」が続いています。枕木を使った柵は、あまり効果はなさそうですが、築堤の反対側は宗教施設があります)

(一部は駐車場になっています。先は木が立っていますが、立ち入りは避けた方がいいと思われます。)

(米里通の手前はおしぼり工場の駐車場になっていました。米里通のアンダーパスもありますので、ここは線路跡を追えない場所ですね)

(米里通を超えますと、また築堤が現れます。アンダーパスの電気設備の建屋があり、また、駐車場などに利用しているのか立ち入ることができる場所がありましたので、ここからの写真を)

(そして函館線に合流して豊平川橋梁に向かいます)

(架線柱に1線分長いものがありましたので、ちょうどこのあたりが合流点だったのかな?と思います)

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(1966年の航空写真。現在の豊平川橋梁は1969年(昭和44)に完成しているはずで、すでに当時から複々線となることは織り込んでいたと思われます。旧千歳線は函館線の複線と並行して橋梁を渡り苗穂駅で合流していました。苗穂から札幌へは当時も3線区間だったはずです。また、旧橋梁は下流側にあったはずで、現在はこのあたりで少し線路が曲がっているのがわかると思います)




●旧東札幌駅付近
さて、平和通付近に戻ってきました。


(いかにもな築堤が続いています。途中で株式会社大沼の飲料倉庫にぶつかります)


(国道12号線の白石跨線橋です。跨線橋内は駐車場として使用されています。獣道はありますが、先の倉庫敷地内を経由することになりますので、一般的な立ち入りはできません。跨線橋の天井は煤がついていますので、蒸気機関車時代を知っている跨線橋ですね。)

(旧東札幌駅側から見ます。この跨線橋、道路の銘板では1960年(昭和35年)と記載されていますが、戦前からここは跨線橋だった模様です)

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(1948年の航空写真。ちなみに豊平川の線路も函館線複線と千歳線単線の3線だったことがわかります)


旧東札幌駅の構内跡に入ってきました。貨物駅でしたので、とかく広い敷地があります。この貨物駅部分だったところは、さっぽろ大地公園とコンベンションセンターが立っています。


(自転車道起点近くの距離表示。北広島までは19.8㎞。鉄道時代の距離は18.8㎞ですが、駅中心がもう少し先なのと、何カ所か線路から離れる場所があるからでしょうね)

(キロポストは1.5㎞からスタート。線路跡を豊平川までの距離を出すと、ちょうど1.4㎞くらいになりましたので、本来の計画はそうなってるのでしょう)

(旧東札幌駅の駅があったあたりが、このラソラの連絡通路があったところ。写真から右側が「駅前通り」となる。駅が無くなって、再開発されて、ここの道路が直行できるようになった)


(サイクリングロードの実質的な出発地点が南郷通のこの地点。ラソラが駅敷地跡に建っていることがよくわかる。そして、ここまでは遊歩道然としていた自転車道の本領がここから発揮されます)



次回に続きます

North-tt
千歳線の旧線区間に行ってきました(その2)
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=1053



北海道の交通関係 自転車 輪行 千歳線

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