北海道の交通関係

「北海道新幹線は人々を幸せにしない」かはわからないが、今のままでは幸せにならない

2022/05/26

朝日新聞社の「論座」にあった記事があります。タイトル自体が釣りに近いので、ホイホイ読まされてしまうのはちょっと腹立たしいですね。

残念ながら上巻は途中までしか読むことができませんが、まぁ、こういう内容なのだろうと予想はできます。

朝日新聞 論座
北海道新幹線は人々を幸せにしない 矛盾だらけの新幹線計画(上)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2022052000004.html
>前例がない長距離の「並行在来線廃止」
>問題① バスが走れば済むのか?~高校生ら「交通弱者」にとって
>およそ30年前に起きた高校生らの存続運動


この3項目の途中までが無料購読可能な部分です。ただ、私は「新幹線」そのものの成否は全く置いておいて、高校生の通学については同意できる部分があります。

北海道新幹線は人々を幸せにしない 矛盾だらけの新幹線計画(下)
2022年05月24日 朝日新聞 論座
https://webronza.asahi.com/national/articles/2022052000005.html
>宣伝された「光」、黙殺された「影」
>もしも同意を得られなかったら?~議論が先走っていなかったか
>「ローカル線もなくなりません」の広告はなんだったのか
>公益か、合理化か~地域に選択を強いる不条理


「下」については、たまたま全文を読むことができましたのですが、民営化批判、結果的に政権批判に終始してしまい、少し残念です。新幹線で「幸せになれない理由」があまり見えないのですね。線路がなくなること以外は。
大変失礼ながら、もう少し地元での取材、また、同年代の大学生、特に北海道から本州に安定した輸送が必要と思う方への聞き取りができるといいなと思います。仕事をしながら北海道に簡便に移動できることは「幸せ」にもつながることで、現状それは特に冬季に厳しいことをよく移動する方は知っているはずです。


「鉄道が廃止になったから」通えた高校

大変申し訳ありませんが、私自身がその町のことはもう振り返りたくない面がありますし、また、その町自体を悪く言う気はありませんし、たまたまそうだったという事例として見ていただきたいと思います。ですので、時刻表などは全く違う場所のものを(似ている本数や時刻であるものを選んで)掲載しています。広報誌などは過去に遡って公開している自治体のものですので、これもまたこの話の場所とは異なります。

私は北海道の比較的都市部に生まれて、小学校6年生まで過ごしました。小学校も高学年になると高校、大学を目指すことになるのか、将来の夢を考えることになります。当時、大学を出て少し得意であった電気系のエンジニアになることを疑っていませんでした。

しかし、父親が「問題」を起こし、家族は地方に引っ越しを余儀なくされます。中学校からの6年間、私は地方の小さな町で過ごすことになります。そこにはまだ国鉄のローカル路線が残っていました。1日8往復程度、当時はまだ利用も少なくなかった頃です。
少し離れた中核都市までは普通列車なら1時間40分近くかかります。地元でも最低限の買い物はできますが、ちょっと高級な品を買おうと思うとその町に行くことになります。

私の住む家から駅までは徒歩で30分近くかかりました。しかし、路線バスは近くを通り、10往復程度あります。始発と最終こそ鉄道の方が早く、遅くあるものの、運行速度は遜色なく、運賃も若干ですがバスの方が安くなっていました。

私がこの町に来た時は、ちょうど国鉄路線の廃線反対運動が盛んな時期でした。鉄道がなくなれば町が廃れる、通学の便が悪くなる、高齢者はバスに乗れない!などさまざまな報道がされていました。

進学先として地元の高校を避けたいと思っていた私は、どうしてもその中核都市の高校に通いたいと思ったのです。そのときに鉄道を使って通うとどうなるのかを検討してみます。
 とある国鉄路線の朝と夜のダイヤ
とある国鉄路線の朝と夜のダイヤ
 とある町の広報に掲載された廃線反対
とある町の広報に掲載された廃線反対
私の住む町からの始発列車は朝6時過ぎ、駅まで30分程度の徒歩を考えると5時半には家を出なければなりません。さらに、帰宅です。私の町まで帰ることのできる列車は18時台が最終で、学校からの徒歩を考えれば17時代には学校を出なければならないでしょう。これでは部活もままなりません。その後にある急行列車に乗るためには急行券700円が必要です。これを毎日は親は認めないでしょう。

この町は駅から高校も、中核病院も離れていました。その中を路線バスが的確なルートで廻る状態は鉄道の廃線前から行われていました。もちろん鉄道を利用する人もいましたが、駅から20分以上かけて病院に歩くのはなかなか難しいと思われるような町でした。

私が中学2年生の頃、多くの反対の声を押し切って私の住む町の国鉄路線は姿を消しました。
 とある町の広報に掲載された路線廃止
とある町の広報に掲載された路線廃止
それまで走っていた路線バスを拡充する形でバスの運行が開始されました。実際のところ家の近くから乗ることができ、中核都市には1時間に1本程度、約18往復のバスが運行されることになり、その不便さというのはあまり感じられなかったのも事実ではあります。

あれほど声高に叫ばれた冬期のバス運行についての不安の声も、元々国道が24時間除雪区間であったこともあり、通行止めの報を聞いたことは少なくとも冬期間はありませんでした。冬期の運行体制に関してはむしろ鉄道のほうが運休や大幅な遅れがあり、今もよく聞く「国鉄はめったに止まらなかった」は残念ながら私の住む町にはあてはまりませんでした。

私はバスで中核都市の職業高校に進学することを決意します。鉄道に比較すれば朝の通学便は旧駅前出発時間すら約30分遅く、しかも私の家の近くの停留所を経由します。6時起床6時40分に家を出る形です。そして、高校の前にバス停が設置されていましたので、バスが出発をできる限り遅くできるというメリットがありました。もっといえば、バスが遅れればその路線の通学生は全員遅刻ですから、学校はそれを容認できるということでもあります。(実際に始業に間に合わなかったことは通学中は一度も無かった)
 とあるバス路線のダイヤ
とあるバス路線のダイヤ
そして何より、帰りの時刻です。帰宅便は学校の終了時間に合わせた15時台、16時台に18時台19時台、そして最終は21時台にありました。帰宅すれば23時は廻るとはいえ、大会前の部活ピーク時にも対応できます。地元の子と何ら変わらずに活動が可能でした。

私は車酔いの酷い時期があり、今でもバスの中で携帯を見るとか、本を読むとかは避けていますが、もうバスの中は睡眠時間と割り切っていました。帰りは座れないことが多かったものの途中で降りる人が多い一方向利用の路線でしたから、途中からは確実に座れるのです。

運賃に関しては国からの鉄道転換交付金による定期代の補填により、実際のバス定期の約半額で通うことが可能で、それが3年次に終了した後も地元自治体からの定期代金補助がありました。親の負担は少なくなかったとはいえ、3年無事に通うことができました。

今でも、あのときまだ、鉄道が残っていて、同じ時刻で運行していた、そして駅から歩く距離が長い状況だったら、はたして中核都市の高校を選んでいたか?そう思います。多分無理だったと思うのです。


私の例は、もしかすると国鉄転換路線の中では珍しい例なのかもしれません。逆にバスになったことで鉄道より通学時間がかかるようになり通学が大変になったという例もあることでしょう。

しかし
・駅と住宅地、駅と学校が大きく離れていたこと
(そのために駅から高校までの市内線バスの定期を購入すればさらに大きな負担になる)
・代替バスは高校前にバス停を設け、始業時間近くに到着させることで始発停留所の出発時間を遅らせたこと
・線路に比較し直線的な経路で国道が敷かれており、バスの平均速度も速かったこと
・既存バス路線があり、バス利用に沿線の抵抗が少なかったこと
このような点で鉄道代替バスが非常に利便が高く、遠距離の通学を決意するだけの動機付けになったといえましょう。

今でも利用者の減少に苦しみながら、そのバスは運行を続けていますが、本数は減っています。しかし、一定の通学利便は今も確保されています。今後さらなる人口減少、通学生の減少でバスの維持が難しい時期が来ることは考えられますが、かといって三セクなどで鉄道が残っていたならば地域には大きな負担となっていたであろうとも思われます。
強権的に転換交付金という「ニンジン」を使って鉄道を廃止したことが正しかったかどうかはわかりませんが、これを行わず今を迎えた場合どうなっていたか?というのは考えます。



80年代の廃線と、今の廃線

国鉄が民営化してから「次々と廃線が増えた」と書くメディアが、どのような意味でそれを書いているのかはわかりませんが、国鉄再建法にて定義された特定地方交通線とJR化後に決定し廃線された路線は性質が異なることは理解しなければなりません。
長大4線として一時的に廃線が棚上げになった標津線・天北線・名寄線・池北線は第2次対象路線であってその当時ですら輸送密度2000未満という路線であります。
この特定地方交通線の転換には国は1kmあたり3,000万円の転換交付金、転換後5年間のバス赤字補填を行います。

これを除いたJR化後の独自の廃止路線が北海道では
1994年 函館線(砂川-上砂川)
1995年 深名線
2014年 江差線(木古内-江差)
2016年 留萌線(留萌-増毛)
2019年 石勝線(新夕張-夕張)
2020年 札沼線(北海道医療大学-新十津川)
2021年 日高線(鵡川-様似)
これだけという言い方が適切かはわかりませんが、民営化後27年で廃線できたのはわずかに2路線という言い方もできましょう。深名線はJR北海道が今もバスの赤字を負担し、留萌線は地元自治体に支援金を納めたもののバスの本数は1便たりとも増えず、早朝、深夜に乗合タクシーが増発されただけです。

80年代の廃線との大きな差は沿線の住民の数自体が減っており、また、バスを利用する人も通学の高校生にほぼ限られるために便数を維持できないということになります。
もちろん交付金の金額の話もありますが、結果的に交付金があっても、それをバス利便性の向上よりも「道の駅」的な観光地として計上できる場所への利用をしたいとなってしまう。もちろんそれは「支援金」なので何に使わなければならないという縛りは無いものの、結果的にバス利用者に還元されないという面は2016年以降JR北海道の廃線の特徴のように見えます。



新幹線ができるから廃線になるということ

そこから考えたときに、北海道新幹線の延伸が行われたことで在来線が廃止になるのだと断言してしまうのはちょっとミスリードかなとも思うのです。特定地方交通線の廃止はその路線選定を国が行い、地域に協議を「強制」しています。というか、2年以内に協議がまとまらなければ国鉄は自動的に路線の廃止とバス転換を行うことができるというオプションが付いていたからです。
つまり、地域が賛同しようがしまいが「国鉄線ではなくなる」ことは決まっていて、あとは地域が第三セクター鉄道に転換するかバスに転換するかを決めなければならなかった。

このため、バスルートはある程度鉄道に沿った(それが住民の利用と離れていても)ものを作らざるを得なかった。私の住んでいた町はそれがほぼ国道沿いであったことでスムーズに転換できましたが、広尾線では既存の路線バスとは別に「快速バス」を設定し、天北線では利用が皆無なダート道をバスが経由せざるを得ないという状況が発生しました。年数が経ってこれが既存バスルートと統合、また経路を変更していることを考えても、当時その時間を取ることができなかったということが覗えます。

しかし、JR化後の廃線は、JRは「地域の支援」による存続を打ち出しています。俗に「赤色」であった路線も鉄道で残すための試算を行い、その方法についても地域に伝えています。強制廃止のオプションはありませんので基本的には地域の同意があってこその廃止となっていることに留意しなければなりません。

ですので、廃止後のコメントで自治体関係者が残念とか言うのは気持ち的に仕方がないものの「あなた方が決めたことですよね」ってことになるわけです。

北海道新幹線の並行在来線についても、新幹線を作るか作らないかは地域が決めたことです。それが本当に「いらない」と思うのなら条件を拒否すれば作られませんでした。それが今年開通する九州新幹線(長崎新幹線)です。佐賀県は福岡県への時間短縮効果が少なく、在来線のままのほうが都合が良いと県庁は考え、また、建設予算の負担の拒否、新幹線計画による在来線分離に反対する立場を崩さず「条件」が満たされていません。ですから作られていないということです。

国土交通省 新幹線鉄道について◆整備新幹線について
https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr1_000041.html
>整備新幹線の基本条件
1.安定的な財源見通しの確保
2.収支採算性
3.投資効果
4.営業主体であるJRの同意
5.並行在来線の経営分離についての沿線自治体の同意


北海道新幹線延伸区間の全自治体は、この条件、特に並行在来線の経営分離に賛成し、調印を行ったからこそ現在工事が進められているというわけです。

以前も当サイトで記載していますが、特に長万部-小樽に関しては現時点で特急は走らず、JR貨物も室蘭線の災害などによる不通時の迂回路としての使用は困難であると回答しています。そうなると地域輸送を鉄道で続けるか、バスなどに転換するかが焦点となることになります。

JR北海道はここでも経営分離を行い自社で長万部-小樽を運営しないが、第三セクター鉄道、上下分離(運行委託)については相談に応じるとしています。

北海道 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会)
第11回後志ブロック会議(令和3年12月27日)
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/stk/heizai.html
>【JR北海道総合企画本部副本部長】
>本ブロックの当該区間につきまして、私どもとしては、経営分離の見直しをする考えはありません、というお答えになります。
>「JR北海道への運行委託について(赤字補てんを前提)」でございます。
>仮に運行委託について、当社にお話をいただくということになった場合には、必要な経費をご負担していただくなど、前提ということではございますけれども、運行委託について検討する用意がある、ということは申し上げたいということでございます。
>「第三セクター鉄道への支援について」でございます。
>支援のご要請があった場合には、私どもの会社の経営体力で対応できる範囲、ということに限らせていただきますけれども、可能な限り協力する所存で考えております。ちなみに、現在も道南いさりび鉄道様とも、様々な協力関係を結んでございます。


つまりはJR北海道としては、鉄道で運行すると地域が決め、相応の支援があるならば協力できるということを公の場で断言しているのです。

並行在来線問題は「廃止」がどうしてもつきまといますが、廃止しない方法は採れるということは理解しておきたいと思います。九州新幹線の並行在来線区間(肥前山口-諫早)は上下分離にてJR九州が「上」を運営する形となります。それをまとめ上げたのは佐賀県と長崎県、そして長崎新幹線への問題を解決するべく動いた国土交通省ではありますが、そのような選択が可能であることを前例として出していますので、廃止や三セクを必ず行わなければならないわけではありません。

80年代の国鉄廃線と、現在行われているJR北海道の廃線は全く「方法」が異なることを(少なくとも公に書かれる方は)理解しなければならないのです。



新幹線ができなければ「人々は幸せ」なのか

あくまでも私は北海道新幹線の一日も早い延伸開通を願う立場ですから「論座」氏とは相反する考えになります。その中で、さきほどバスになったら通学できるか?という面に関しては、北海道庁と沿線は早い回答を行う必要があると思われます。ただし、記事が書く余市から考えると、鉄道駅から離れた高校には通いにくいこと(これは余市町内の高校も、小樽市内の高校にも言える)で、バスによる直接的な接続が担保するならば懸念は少ないとも言えます。札幌まで通学する生徒数が決して多くない(後志管内としては小樽市で生徒を留めたい)想いもあり難しい面があるようにも見えます。

さて、高校生の頃に旭川で通学し、新幹線の開業を迎えたという、予想以上に若い筆者で驚きましたが、1986年の自民党広告「ローカル線(地方交通線以外)もなくなりません」を持ち出してくるのも驚きです。この広告はよく持ち出されますし、この当時は全く矛盾しない内容でもあります。
それから30年以上経って、人口も減り、高速道路網、新幹線網が成長して「それに置き換えられた」ものを移管していくというものも「嘘」とするのであれば、過去のものは全て維持せよと考えているということになります。

それならば、何故地域は経営分離に反対せず新幹線建設を勝ち取ってから「廃線に反対する」という惨めなことをやらなければならなかったのでしょうか。また、自分たちが残すための「鍵」を持っているにもかかわらずそれを使わないのは何故でしょうか。

それを「沿線地域に責任を押しつけるな」というのはおかしい話です。沿線地域が選択できる自由を与えられた。そして沿線自治体に「では新幹線工事は止めでいいですか?」と聞けば、北海道庁も含め同意はしないでしょう。

結果的に北海道庁は北海道新幹線が必要だと思っている。そして沿線自治体は並行在来線は不要だと思っている。それ以外はないのです。

これは、北海道新聞の社説にも言えます。

<社説>並行在来線廃止 新幹線だけでいいのか
2022年02月05日 北海道新聞
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/642105
> 延伸決定時に地元自治体は経営分離に同意した。国はこれを盾に存続策は「地域において議論いただくべきだ」と突き放してきた。
 北陸や九州ではJR西日本、九州が並行在来線存続に財政面でも手厚く協力しているが、JR北海道は消極的な態度を崩さない。
 国もJRも旧国鉄から継承した財産である幹線鉄道をどう生かすかという視点が欠如している。
 倶知安町は新幹線駅整備と周辺再開発のため、廃止を25年度末に前倒ししたい考えという。工事に支障が出る恐れがあるとして道幹部も後押しする姿勢を示す。
 ニセコ地域を中心にコロナ後の外国人客回復を見据えた動きだろう。ただスイスなどの例を見ても山岳鉄道は貴重な観光資源だ。トンネル区間が8割を占める新幹線だけでいいのか疑問は残る。


観光資源だ!と鉄道を思うならば北海道新聞社は自社子会社が北海道エアポートに出資するのと同様に経営に参画し出資することが可能であろう。それもできない。結局金を出したくない。国が~しかない。

並行在来線 国が責任を 道新東京懇 交通評論家佐藤氏語る
2022年04月19日 北海道新聞
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/671069
> バス転換が決まった長万部―小樽間の線路の存続方法についても言及。英国での取り組みを引き合いに、駅などをボランティアが管理し、保線レベルも下げて経費を抑えられれば、線路は観光列車に特化して「残せるのではないか」と述べた。


「保線レベルを下げる」と列車の速度を下げなければならない。交換駅などの集約は列車本数に影響がある。そもそも「観光列車に特化」してしまえば当然に地元の高校生の通学には使えない。冬季の運行もできない。この状態で鉄道を残しても結果地元は使えない。

ただ、当然に沿線自治体は地域の子どもたちが、孫たちが少しでも程度の良い学校、職業高校など地域に存在しない学校、また、大学などに「通える」環境は作らなければなりません。目先の金銭でそれを怠れば、地域にその子たちは住むことができません。そこまで考えての転換であるならば、逆になんの問題もありません。必要なのは「移動できる環境」であって、在来線鉄道でなければならない理由はないのです。

地域は今が幸せじゃない、観光も呼べない、だからこそインフラ投資に期待する。高速道路で空港に直結される、新幹線で本州、首都圏に直結される。

北海道新幹線で沿線が「幸せ」をもたらすかどうかは、これからの取組次第。しかし、現時点で在来線に対して取り組んでいない、幸せな状況じゃないことをどう考えるか。30年以上新幹線の無い会社であったJR北海道が幸せであったかも含めてもう一度考える必要がありましょう。

 倶知安駅前
倶知安駅前

北海道の交通関係 JR北海道 並行在来線問題

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