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北海道の交通関係
遠軽・湧別・佐呂間の保存鉄道車両を見てきました①
2022/06/17
今回は少し足を伸ばして以前から行きたかった毛呂地鉄道公園など、オホーツク海側も含めたいくつかの保存鉄道施設を見て参りました。
保存鉄道車両を見る時はどうしても時間的都合がありますので、車で廻るのですが、今回は札幌を深夜3時に出発。国道275号線・国道12号線・国道40号線から旭川紋別道を行きまして、約4時間半。交通量の少ない中ではありますが快適なドライブであります。夏至も近いので深夜に出ても暗い時間帯が少なかったのも良いですね。
まずは中湧別駅の跡地からです。
中湧別駅跡・道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯
まだ早朝ですので、まずは名寄本線、湧網線の分岐点でありました中湧別駅の跡に行ってみます。1989年に廃止になった駅跡地付近は道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯として広い駐車場が設置されています。そして跨線橋と線路跡、いくつかの車両が展示してあります。廃止時点では駅舎に隣接する単式ホームと跨線橋で連絡する島式ホームがありまして、ホーム部分が残されています。駅舎はありません。















なお、湧別への支線跡は道路となっており、湧別跡地は消防署が建っています。駅跡を示す碑がありました。

計呂地駅跡・計呂地交通公園
1987年に廃止になった湧網線は中湧別から網走まで89.8kmを結んでいました。全線開通は1953年と遅く、1968年には「赤字83線」にリストアップされるほどの閑散路線でありました。1960年代1970年代の資料でも輸送密度が1000を超えたことは無かったはずで、70年代には貨物列車も1往復、旅客列車は5往復程度と、旅人にも使いにくい路線でありました。車窓景色が良いということで当時も観光利用が叫ばれたものの、廃止直前のアルコン車両(キハ56改造のリゾートエクスプレス)での観光列車がほぼ唯一だったと思われます。駅跡を見ても、長編成は入線できない、また、非常に簡素な設備であったことがわかります。








産業技術史データベース 日本国有鉄道 オハ62 91 号 客車 オハ62
https://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?no=100910281040&c=&y1=&y2=&id=&pref=&city=&org=&word=&p=326
自動化される前は各駅に駅員を置き、手動でポイントと信号を切り替えます。ポイントを切り替える場所には必ず駅員を配置しなければなりません。原則的には運行時間中始発から最終まで、そして夜間の保守点検も含めれば24時間職員を交代させながら勤務させる必要があります。これが各駅にです。
本線系の路線ではCTC(列車集中制御装置 Centralized Traffic Controlの略)が導入されましたが、これも遠隔でポイント操作を行うという意味では駅自体を無人化できるものの、実際のポイント操作は制御室の職員が行わなければなりませんでした。
現在、札幌圏などはPRC(自動進路制御装置 Programmed Route Controlの略)が導入され、ダイヤの乱れが無ければ職員によらず自動的に進路を構成する仕掛けとなっています。
鉄道というものが、見た目の列車だけではなく多数の職員を必要とするということ、そして、それだけの経費に合う輸送量がないならば維持できないことが、このような保存施設から見えてきます。毛呂地駅跡地の素晴らしさは、車両の保存だけでなく、駅舎だけでなく付属のてこ、信号機等を残すことでそれがわかることにあります。
佐呂間駅跡・佐呂間町交通公園
佐呂間駅跡地は佐呂間町交通公園となっています。駅のあった場所は「駅前通り」を駅を越えて直通させるために移設されており、鉄道記念館となっています。改装が大きく、駅のイメージが少し少ないのは残念ではありますが、駅舎が残っているだけでも昨今は珍しいことです。なお、駅の網走側は佐呂間バスターミナルとなっています。



展示されているD51 565は1976年に追分機関区を最後に廃車となっており、湧網線とは直接的な関連のない機関車ではありますが、廃車後函館市内の本通公園(通称SL公園)に設置、展示されていたものの、管理することが難しく、あまり状況の良い展示機関車ではありませんでした。一旦JRに返却された形を取り1989年に佐呂間町へ移設されます。

佐呂間町 佐呂間町交通公園の鉄道車両・備品整備の歴史
https://www.town.saroma.hokkaido.jp/shoukai/rekishi.html
>函館亀田農協が所有して、函館市内の公園に展示しているものの管理が行き届かず、JRに返還したい車両を確認する〔型式:D51565〕
スユニ50は鉄道荷物輸送、鉄道郵便輸送を今に伝える車両。台車以外はほぼ新製されていますが、旧型客車の改造車の扱いになっています。車内は公開されていませんが、窓から覗くだけでも様子がわかりますね。郵便仕分室などは今は説明されないとわからないかもです。ちなみにこのスユニ50は1981年に改造されて1986年には廃車になっているはずですし、郵便取扱便としての車内仕分作業は1984年には無くなってるはずですので、どの程度使われたんだろうという車両ではあります。合造車ですので国鉄の所有であることで生き残ったとも言えます。(全室郵便車は当時の郵政省の所有でほとんど現存しない)
DE10 1677は新製から長く旭川機関区に配置されていた車両ですので、湧網線でも使用された可能性は高かったと思われます。比較的最近に再塗装されていると思われます。1位側は木や草が茂っており立入を遠慮しています。国鉄廃線跡地にディーゼル機関車は珍しく、そういう意味でも貴重だと思います。
ヨ8017も多分旭川にあった車両と思われます。
ただ、保存車両を維持するためには予算が必要であり、いつまでそれをかけられるかは気になるところではあります。
なお、以前に紹介したよりも湧網線のバスでの移動はかなり難しい状況が続いています。1日がかりで観光とバス移動自体を楽しむような、ある意味贅沢な時間の使い方が必要です。
続きます
遠軽・湧別・佐呂間の保存鉄道車両を見てきました②
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=1149