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北海道の交通関係
北海道の交通関係サイト終了のお知らせ
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中頓別・歌登・美深・名寄の保存鉄道車両を見てきました
2022/08/09
鉄道に乗ることは楽しいのですが、過去に想いを馳せる、過去に走っていた鉄道を思い返してみるのも楽しいものであります。80年代の国鉄改革での廃線時期、残念ながら多くの路線は乗ることがかないませんでした。
今、その地で使われていた鉄道、そしてその頃からの比較ですら人口が半減するような状態になり、バスが維持できない状態である街を見て歩くこと、これもまた今しかできないことであるように感じます。
中頓別寿公園
札幌を朝の4時に出発し、国道275号線をひたすらに走り続けてきました。途中に沼田町内にある留萌線の「第6旭川留萌線踏切」は北海道に唯一残った国道と交差する踏切になります。ちょうど石狩沼田6:27の4920Dが通過していきました。
非常に良く整備された公園である寿公園。何が驚くってそこには戦闘機があるということであります。
当サイト管理者、実のところ飛行機も好きでありまして、ここは何度か通るものの同行者がそれに興味が無い方が多く寄ることができなかった、念願の訪問となります。
まずは塗装し直している最中のF-104J。1980年の退役後1982年からこの地で展示されている機体です。実のところこんなに間近に自衛隊機を見る機会というのはそんなにありませんで、塗装が綺麗になった暁に再訪問したいところです。


さて、もう一つこちらの大きな展示品は49648をつけている9600型蒸気機関車。1920年(大正9年)川崎造船所製。1960年代には名寄機関区に配置されていたこともあり宗谷線のさよならSLなどを牽引。追分機関区で1976年廃車追分機関区の火災で保存機であった79602が消失したこともあり、本機が解体されずここにいることになります。







中頓別町長の1976年設置時のメッセージ碑を見る限り、このSLが本当に期待されてこの地で保存されたと思いますし、それから40年以上経ってもその姿を留めていることが喜ばしいことです。

中頓別駅跡
少し離れた中頓別駅跡地はバスターミナルとなっています。1989年の天北線廃止後天北線メモリアルパークとして整備されたもので、駅跡は新築されたバスターミナル兼資料館となっています。
このキハ22、1964年(昭和39年)新潟鐵工所製です。1970年代までは札幌近郊で運行されていたようで1986年になって旭川機関区に配置され1989年廃車という経歴です。羽幌線のさよなら列車などでも運行された経歴があります。旭川配置でしたから最終期の天北線にも走っていたとは思われます。廃車後地元の建設会社細谷建設が払い下げを受け、町に寄付した形で保存されてます。





現在は使用されておらず朽ちるに任せている状態ですが、地域有志が再塗装などを検討しているようです。ただ、酷く状況が悪いので行く末は気になるところです。(車内の復元用の座席もないでしょうし・・・)
天北線列車お色直し 中頓別の有志企画、修復へ 屋外展示で風化 国鉄カラーに 観光資源に期待も
2021/05/28 北海道新聞 留萌・宗谷面
>地域活性化に取り組むNPO法人中頓別町まちづくり協議会(西浦岩雄理事長)のメンバーから「見るに忍びない」という声があがり、有志が動きだした。昨冬は町からブルーシートの提供を受け冬囲いを実施、車体の上に雪が積もりにくくなったという。
車体の修復には、同協議会のメンバー以外にも、町内外の鉄道ファンらが関心を示し、協力を申し出ている。有志は今後、修復費用の見積もりを取り、方法を検討する。すべてを業者任せではなく、できる部分は住民参加とすることで、町の発展を支えた鉄道の歴史を地域で伝えていく機会にもしたい考えだ。
車体は、国鉄時代の朱色とクリーム色に塗り直す予定。鉄道が交通の中心だった時代の装いにすることで、若い頃に道内を旅したシニア層が懐かしんで訪れるなど、観光資源としても期待している。
歌登町健康回復村(歌登町営軌道)
中頓別から道道120号美深中頓別線を約1時間、うたのぼり健康回復村(うたのぼりグリーンパークホテル)に歌登町営軌道の機関車が展示されています。この付近には炭酸泉の朝倉温泉など気になる施設がありますが、今回はパスで。歌登町営軌道は1929年(昭和4年)天北線の小頓別駅から分岐する形で運行を開始し、翌年には北見枝幸まで開通しています。天北線が枝幸を経由しなかったことで作られたという面があり当時は北海道庁拓殖部殖民軌道としての運行と思われます。1951年(昭和26年)当時の歌登村に経営移管、1962年から町政となり歌登町営軌道となり、1970年に全線休止し翌年に廃止となります。





美幸線仁宇布駅跡
歌登からの道道120号美深中頓別線は美幸線の未成線の脇を走っていることになります。夏草が生い茂る今はなかなかわかりにくい時期ではありますが、それでもいくつかの遺構は見かけています。美幸線の仁宇布-北見枝幸はほぼ路盤、トンネル、橋梁が建設済みであとは線路を敷くだけ。そのレールや枕木も歌登町内に搬入された状態で工事が中止されました。第2大曲トンネルは拡幅の上道道の天の川トンネルとして転用されていますが、多くの路盤はそのまま遺棄されています。仁宇布駅跡はトロッコ王国美深として美幸線廃線跡を使用したトロッコ体験運転が楽しめる施設です。ここには北海道では一度も運用されたことがない電車寝台特急車両583系のサハネ581-19が保存されています。


北海道では一度も運用されていなかったこのサハネ581、国鉄末期にサハネ(モータの無いトレーラ車両)のみ7両が北海道に搬入され、1990年には廃車になっています。その用途は全く不明ですが、国鉄末期のリゾート車などの改造が盛んな時期でもありましたので、その種車としての起用もあったのでしょう。結局それは行われず、唯一の転用はクリスタルエクスプレスのキサロハ183-5101の台車のみのようです。











北国博物館名寄線跡キマロキ編成
美深市街地には行かず、手前の美深ICから名寄美深道路に入ります。2車線高速とはいえ自動車道は市街地を走らず、このあたり現道の国道40号線は直角に曲がる場所もありますので自動車道のほうがずっと快適であります。名寄北ICで降りましたが名寄ICまで行って戻った方が市街地を経由しない分早かったかもしれません。北国博物館脇の旧名寄線線路上に停車するキマロキ編成ですが、1976年(昭和51年)に旧国鉄から名寄市に貸与され名寄公園内に展示されていたものを1993年(平成5年)に名寄線線路上に移設しています。








「除雪列車」と言ってしまうと、何故除雪していない線路に先頭機関車で突っ込んでいくのだ?という疑問になりますが、キマロキ編成は「排雪列車」というほうが北海道民にはなじみがありましょう。ラッセル車で線路上の雪を寄せると線路脇に雪の壁ができれば、それ以上の除雪ができなくなります。線路脇の雪をかき取り(マックレー:かき集める)そしてロータリー車で飛ばすという作業を行う編成となります。機関車・マックレー・ロータリー・機関車、頭文字を取ってキマロキです。
59601は1921年(大正10年)川崎造船所製で1972年(昭和47年)廃車までほぼ名寄で活躍した機関車になります。当初は名寄市立博物館脇に単独で保存されていましたが1976年からキマロキ編成の形で保存されています。
キ911は1938年(昭和13年)国鉄苗穂工場製キ561として製造され1961年(昭和36年)旭川工場で改造され現番号。1963年(昭和38年)から名寄客貨車区に配置され1975年廃車。
キ604は1939年(昭和14年)国鉄苗穂工場製キ304として製造され1941年(昭和16年)改番。1963年(昭和38年)から名寄客貨車区に配置され1975年廃車。
この2車両は速度指定65km/hですので「ロ」の表示と黄色帯を巻いています。この2両は本来で言えばセットになっているので、相方が決まっていたはずでありまして、キ911の相方はキ612ではないかと思うのですが、晩年それが変わったのでしょうか。
D51 398は1940年(昭和15年)日本車輌製、1973年廃車まで道内各地で活躍した機関車になります。最終配置は名寄機関区でキマロキ編成に従事した経験があったかはわかりませんが、旭川配置時代に宗谷線では使われていたと思われます。
ヨ4456は1954年(昭和29年)川崎車輌製、当初のキマロキ編成公開時は車掌車が無く、これを現役当時の形にしたいということで釧路で廃車となった車掌車を1988年(昭和63年)から連結し公開しています。
この日は保存会の方がおられて、機関車内を公開していました。特に外見からはそれとわからないロータリー車の内部が気になるところです。内部には機関車と同様のボイラーを設置し動力源としています。ですので炭水車も必要ですし、このために投炭する乗務員が必要になります。さらに前部では投雪向きや回転を変える人員が必要。マックレーもそのかき取り幅を左右で調節する人員が必要です。




その後ディーゼル機関車や除雪機器での除雪作業が行われるようになったものの、いまでもモーターカーの狭い室内に3名以上の乗務員を乗せての除雪作業を見ています。機械化がどれだけ進んでも、作業という意味では必ず人員が必要であるという雪国の鉄道を維持するということについて考えさせられます。
士別市つくも水郷公園
風連から「裏道」となる道路を走り士別市のつくも水郷公園まで来ました。ここにもD51蒸気機関車がが保存されています。名寄キマロキのD51 398と1番違い、ほぼ同じような経歴で道内を走り続けた機関車で、どうしても比較されてしまうのですよね。




SL 往時の黒い輝き復活 士別・つくも水郷公園 市民ら27年ぶり再塗装
2016/07/11 北海道新聞 士別・名寄面
> 【士別】市内のつくも水郷公園に展示されている蒸気機関車(SL)のペンキ塗装が9日、行われた。再塗装は1989年以来、27年ぶり。市民や士別塗装組合、市職員ら約90人が作業に参加し、車体は往時の黒い輝きが戻った。
市は昨年度から同公園の大規模再整備に取り組み、SL再塗装もその一環。同組合や日本塗装工業会北海道支部が、6月からさび落としなどの下準備を続けてきた。
和寒町公民館(恵み野ホール)
和寒は今でこそ特段の変哲も無い途中駅ではありますが、SL時代は塩狩峠の急勾配を越えるための補機連結、石炭、水などの補給のための名寄機関区和寒駐泊所が開設されており、機関車を連結開放の時間があればそこに商機があるわけで駅弁も販売されていました。駅前のつたやさんはその駅弁業者で、今も食堂として営業されています。機関区としての設備は撤去されたものの1996年の貨物列車廃止までは補機連結があったはずで貨物会社が名寄を自動車取り扱いのORSに変更したのもわかろうものです。





しかし、屋根こそあったものの他にも見られるような部品の欠落などはあったようです。
2016年に個人の方が自身の収蔵品などで機器類を修復されているということで、現在は非常に綺麗な車両を見ることができます。
東京の大下さん 計器類調達し交換、シートも張り替え D51再生 ファンの心意気 町教委「見違えるよう」 運転席の開放検討 和寒
2016/09/21 北海道新聞 旭川・上川面
> 祖父が国鉄マンだったという会社員の大下明宏さん(55)。幼い時から鉄道好きで全国のSLを見て回り、昨年初めて和寒のD51を見学した。全国各地と比べても保存状態がよく「何か自分にできる手助けをしたい」(大下さん)と今春、修繕を申し出た。
和寒のD51は、日立製作所が1939年(昭和14年)に製造。宗谷線などで活躍し、76年に引退した後、現在のように展示している。町教委は高齢者事業団に委託して年に3回、車体の清掃などを続けている。
大下さんは今回、5~8日に町を訪れ、自分の収集品やインターネットのオークションで購入した計器類を交換。破れた運転席のシートを革で張り替えたり、計器類の名称を示す真ちゅう製の表示板を磨き上げたりした。
大下さんによると、和寒のD51のように「石炭を多く運ぶために荷台に付けていた木枠が、当時のまま見られるのは全国でも珍しい」という。
町教委は今回の修繕を受け、立ち入り禁止の運転席を開放することなども検討。大下さんは「SLの雄姿を残したいと思うのは、実際に走る姿を見た自分の世代が最後かもしれない。今後も必要があれば手入れをしたい」と話した。
私も、今回調べて、以前の写真では付いていなかった各種パーツ類が復元されていたのを不思議に思っていたのですが、このようなファンの努力あってのこととは思いませんでした。この良い状態が維持されることを願っています。
深川市内個人宅に保存されている機関車
最後ですが、こちらは非公開の機関車ですので、公道上から見るだけになります。


どのような経緯で深川市の個人宅に保存されているのかはわかりませんし、残念ながらお宅にはどなたもおらず、道路との境にはチェーンによる封鎖がありましたので、その手前で撮影しています。ズームレンズのあるカメラでなければ撮影は難しいと思いますし、無断立入は厳禁です。
今回は蒸気機関車の保存車が多かったのですが、部品を盗難されることや維持管理が難しいことも含めて、なかなか厳しいことでもあります。そんな中、ファンが手助けし、町民が手助けすることで維持していけることは素晴らしいことだと思います。それが今後も続いていけばいいな。そう思うところです。