北海道の交通関係

胆振線バス廃線区間と御園・脇方に行ってきました

2022/09/27

雨降りの日曜日、世の中は3連休ではありますが、ちょくちょく仕事の入っている中であります。大きく時間を取れない中、ちょうど行って帰ってくるのに良さそうな場所を見つけました。9月30日をもってバス路線も廃止になる旧国鉄胆振線の代替バスの一部区間である喜茂別-大滝です。

上砂川、三川の路線バス廃止と胆振線バス区間短縮
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=1183



胆振線バスの歴史

1986年10月をもって廃止になった国鉄胆振線を代替したバスは、国道453号線と国道276号線をメインとするルートにて取って代わることになります。

道南バスは1960年代から伊達-壮瞥-洞爺湖や倶知安-京極-喜茂別など鉄道並行区間のバスも運行されていました。胆振線の鉄道転換として伊達-壮瞥-大滝-喜茂別-京極-倶知安と直通するバスが4往復、そして区間便が伊達-久保内・伊達-大滝・大滝-倶知安・喜茂別-倶知安・京極-倶知安と運行されます。
国道から外れる御園地区には喜茂別との区間便と一部便が経由する形で運行されます。
 1986年の国鉄胆振線時刻表
1986年の国鉄胆振線時刻表
 1986年の胆振線転換バス時刻表
1986年の胆振線転換バス時刻表
基本的には鉄道を踏襲し、通学時間帯に複数便を運行する形が作られたことになります。既存バスも含め極端な増便が行われなかったことは、鉄道時代から利用が多くなかったこと、通学時間帯偏重が大きかったことが覗えます。

この当時は伊達市内、壮瞥、喜茂別(2010年閉校)、倶知安町内と高校があります。支庁(振興局)が変わる喜茂別町内から伊達方面、その逆の通学はほぼ考えなくていいことがあります。しかしながら鉄道とは無関係に喜茂別町内であった双葉地区などの便も考えた結果大滝始発の倶知安行き早朝便、最終便が確保されたものと思われます。鉄道が新大滝始発便があったという意味でもありましょうが。特に本数が確保された御園-喜茂別は国道から外れることもありますし、既存バスが双葉地区(共和)から出ていたこともありましょう。
なお、この転換後のバス時刻表には既存便である倶知安-京極・喜茂別の便は掲載されておらず、これは「転換バス」と「既存バス」で赤字補助の方法が異なることから記載されなかったものと思われます。道南バスの時刻表的には分け隔て無く記載されていました。

1993年、胆振線バスは大幅なダイヤ改正を行います。これは廃線から5年を経過し鉄道転換路線を国が赤字を全額補助する仕掛けが無くなり、一般的なバスと同じ補助に変更になったことによるものです。
伊達-大滝の終点を大滝東団地まで延伸し日中を増便、倶知安側も区間便を廃止し多くは喜茂別-倶知安とします。峠区間を2.5往復まで減便します。

2014年には喜茂別町内の御園・共和に関しては路線バスを廃止し町営バスを導入、この時点でも峠区間のバス利用が少ないことは認識されていたものの、代替交通の目処が立たず存置となります。

代替バス3系統廃止 旧胆振線連絡協 喜茂別、独自に町内路線
2014/03/05 北海道新聞 小樽・後志面
> 廃止される見通しとなったのは、喜茂別―御園(喜茂別町)、喜茂別―共和(同)、京極バスターミナルを経由する倶知安駅前―御園の3系統。いずれも利用者が少なく、協議会に参加した関係自治体の首長から反対はなかった。
 6系統のうち最長となる倶知安駅前―伊達駅前間については、後志、胆振管内を越えて利用する人は少ないと指摘されていたが、代替交通を確保するめどが立たず当面は存続させる。


長らく若干の減便はあったものの運行を行っていた胆振線バスです。その間に喜茂別高校は閉校し、周辺高校は生徒を集めるためのスクールバス運行などもはじめることになり、路線バスの利用がさらに減る悪循環となっています。

 2022年4月の胆振線転換バス時刻表
2022年4月の胆振線転換バス時刻表
今年4月の段階で
・伊達-大滝8往復
・大滝-喜茂別3往復
・喜茂別-倶知安12往復
が運行されています。喜茂別-留寿都の通学便は帰宅時間は札幌行き都市間バス利用となりこの区間の帰宅バスは運行されません。
 2022年10月の胆振線転換バス時刻表
2022年10月の胆振線転換バス時刻表
ついに2022年9月をもって、胆振線バスは伊達駅前-大滝東団地・倶知安-喜茂別に再編されることになります。
・伊達-大滝5.5往復
・喜茂別-倶知安9.5往復
となります。大滝-喜茂別に関しては廃止となり、喜茂別町内区間は町営バスの代替がありますが、伊達市大滝区区間に関してはバス運行が無くなります。ただし、代替のない廃止バス停留所は三階滝入口・清原の2箇所のみになります。

喜茂別町営バスウサパラ号

 喜茂別町営バス路線図
喜茂別町営バス路線図
10月以降の喜茂別内代替となる町営バス双葉・金山線は平日8往復、土曜2往復、休日運休でこの区間を運行します。鈴川から双葉方面、御園方面と別れ、若干経路は複雑ではありますが、必要な地域には運行されているという形で、なおかつ1乗車200円の定期運行ということもあり(デマンド区間あり)町外在住者の利用も可能です。



胆振線バスに少し乗ってみる

喜茂別まで行きまして11:11発の伊達駅前行きに乗ります。喜茂別バス停では倶知安側からのバスは一旦札幌方面の都市間バス乗り場で降車を扱い、転回場で周り到着します。個人的には喜茂別町の「郷の駅ホッときもべつ」での扱いのほうがトイレも待合室となる場所もあり良いかと思いますが、駐車場が広くない施設で混雑時に使いにくいのもあるのでしょう。
 喜茂別バス停
喜茂別バス停
新しい時刻と廃止に関しての告知はバス停に行われており、これは好感が持てます。特に新ダイヤが掲載されているのはいいです。道南バスは過去のダイヤ改正など、告知に問題があると思っていましたので、今回は満点でしょう。
 喜茂別降車バス停
喜茂別降車バス停
 展開して喜茂別バス停
展開して喜茂別バス停
車内は5人ほど人影がありましたが喜茂別で3人下車、マニアと思われる方と一般と思われる女性が乗車しています。廃止区間とはいえ交通量が多い国道230号線を走り「町民公園前」付近からは国道274号線重複区間「尻別」からは国道274号線単独区間に入ります。「花キセンター」、「地蔵前」(北海道では珍しい庚申碑がある)、「旧森林組合苗場前」(ようてい森林組合は京極で操業中)、「鈴川」と通過。旧北鈴川駅のあった鈴川集落は駐在所や小学校もある集落ですが乗降無く通過します。ここから鉄道は御園方面に行っていましたがバスは国道を直進。「三間地先前」、「上尻別」、「下福里」、「福里」と農家が点在する国道を走ります。
「花丘入口」は花丘集落への入口、その集落も今はほとんど無人、「双葉学園前」は1976年からこの地にある精神障害者施設で現在は喜茂別地区に移転しバス停だけが残っているようです。車窓に見える電力設備は北海道電力の西双葉開閉所で泊発電所からの「後志幹線」を中継しています。伊達発電所からの双葉開閉所が国道を挟んであり、このあたりが北海道の電力施設としては重要な拠点の一つとなっています。
「旧双葉小学校」小学校跡地は雪月花廊というゲストハウスになっています。「双葉」は簡易郵便局もある集落。ここで喜茂別以降はじめて乗車が1名ありました。この付近にあった旧ソーケシュオマベツ駅逓所は北海道開拓の村に移築展示されています。
 双葉バス停
双葉バス停
喜茂別町最後のバス停は「日の出」ここから「共和」バス停まで国道を外れた500mほどの支線(旧国道だった)がありましたが、ほぼ集落に人がいないこともあって2014年に廃止されています。
支庁境、振興局境となる町境に架かる橋は「広島橋」そして、この先の峠道は「広島峠」です。北海道への広島県からの入植は現在の北広島市だけではなく、広島とつく地名は道内にいくつかあります。
 広島橋を渡る
広島橋を渡る
伊達市大滝区としては喜茂別町に隣接する広島橋付近に愛地集落があり、その先には「釣り堀」(自然な沼のようにも見える)があって楽しめますが、公共交通で行けるような場所ではありません。
広島峠は国道は改良されており走りやすい道ではありますが、人家は全く無い地域です。御園からの道路と交わる場所が「清原」バス停ですが、民家は見えません。御園側には「幻の仮乗降場」と言われる尾路遠仮乗降場があったとされていますが、今は近づくこともできなさそうです。
 清原バス停
清原バス停
支笏湖方面、伊達方面への三叉路となっている国道交差点を曲がります。この付近でも全く人家はなさそうです。
 国道交差点
国道交差点
「三階滝入口」はこの先に紅葉の名所であります三段滝がありますが、バス停からは約1kmほどの場所です。道道86号白老大滝線を通じて白老まで道路が繋がっています。
やっと少し民家が見えてきたと思ったら「本町東団地」バス停となります。ここからは伊達へのバスが残る場所になります。新大滝駅は本町東団地バス停裏、平成ふるさとの道公園がその跡地になります。隣接の大滝神社は最近移設されてきたものですが北海道神社庁のページには掲載がありません。
 本町東団地バス停
本町東団地バス停
「本町中央」バス停で1人乗車、そして大滝バス停に到着です。ここで休憩時間が取られていますので5分程度停車するようです。降りるのは私だけで、この区間だけの利用は珍しいでしょう。
 大滝バス停
大滝バス停
 大滝バス停
大滝バス停
 大滝バス停
大滝バス停
 大滝バス停
大滝バス停
 大滝バス停
大滝バス停
大滝バス停は待合室とトイレの他、車庫もある立派なものです。現在も泊まりでの運用があるかはわかりませんが、回送できない距離でもなく、早朝5時台に走らせていた時代から考えると今はこの車庫も使っていないのではないかと推測します。
さて、乗ってきた伊達営業所の車両と思われる室蘭ナンバーの車両も、大滝のバス待合室内にもポールにも10月以降のバスに関する情報が全く貼られていません。廃止まで半月を切っており、告知するほどの利用が無いというのはわかりますが、若干杜撰さを感じます。喜茂別では掲載されていたので営業所によるのかもしれませんが。

2022年11月追記
10月末の時点では大滝バス停待合室内にも廃止に関する情報が掲示されていました。路線図については特に変更はありませんでした。

 大滝バス停
大滝バス停
 大滝バス停
大滝バス停
 大滝バス停
大滝バス停


別件ですが、ちらっと局舎が見えていた大滝ケーブルテレビも2004年の開局から20年となる2024年度末で閉局するとのことで、当時の加入者は600件以上、現在の加入者は400件ほど。山間部で難視聴だった地域であり、2022年までに市街地全域で光インターネット回線が整備されることから今後はひかりTV移行と聞きます。

 大滝ケーブルテレビ社屋
大滝ケーブルテレビ社屋
地方のインフラ維持は非常に困難というのが現状です。道路と通信(電話)は最後の砦とも言えましょう。
 大滝バス停
大滝バス停
伊達駅前からのバスは少し遅れて到着します。2台のバスが並んでという形になるはずだったのですが、到着を待たずに乗ってきた伊達行きが出発していきます。
こちらは札幌ナンバーの倶知安営業所の所属車両と思われます。現状廃止区間も含めた伊達-倶知安直通が3往復で、予想では伊達側が2往復、倶知安側が1往復と思われますので両者のバスに乗車できて良かったです。こちらの運転手さんはバスカードでの支払いを勧めるなど案内が積極的でいいですね。バス車内にも喜茂別同様の改正の掲示があります。
 ダイヤ改正車内掲示
ダイヤ改正車内掲示
大滝を発車したバスは雨の中を喜茂別に向かいます。本町東団地で1名乗車した方はマニアの方ではなかろうかと思われます。峠を越えたのは5名ほどですが、日常的に使ってる方のようには見えません。
この日は雨脚が強く、気分が滅入る感じですね。
喜茂別の転回場を通り、喜茂別バス停から一つ倶知安寄りの喜茂別役場バス停で下車します。大滝からの運賃は700円です。
 喜茂別町役場のノーマイカーデー告知
喜茂別町役場のノーマイカーデー告知
喜茂別町役場の玄関にはノーマイカーデー推進強化機関の告知がありました。役場職員が町内のどのあたりから通っているかはわかりませんが、現状のバスダイヤでは京極方くらいならなんとかという感じでしょうか。8:30始業なら役場前はギリギリで遅刻になりそうですし、前の便は10月以降減便されます。


胆振線遺構を少し見てみる

雨が強い中、気が進まないものの車で少し駅や線路の跡を見て回ってこようと思います。

喜茂別駅

胆振鉄道として開業した初代の喜茂別駅は現在の喜茂別プール裏手付近だったと思われます。その後胆振縦貫鉄道として開通したのが国鉄胆振線廃止時に喜茂別駅として開業した西喜茂別駅となりましょう。
国鉄喜茂別駅の跡地付近は住宅地となっていますが、一部はシンボルポイントパークとして公園化されています。
 喜茂別駅跡付近
喜茂別駅跡付近
 喜茂別駅跡付近
喜茂別駅跡付近

先ほどバスでお見かけした方が雨の中公園の東屋で雨宿りをされていました。駅跡を巡るのに雨は本当に辛いものであります。お声をかけてみますと休日にバスが動かない御園方面など、歩いて巡ることも検討されていたようで、半ば強引ではありますが一緒に巡ることにいたしました。
博識でいろいろ巡られている方のようで、頭が下がります。今回バスと鉄道で道内を巡られているとのことで、ご迷惑で無ければと思いましたが、車でなければ難しい地域も多く、かといって私もバスや鉄道を使ってみたい面もありますので、折り合いが難しいところだなとも思います。


御園駅

喜茂別から先ほどのバスルートを通りまして鈴川から道道695号清原喜茂別線を曲がります。北鈴川駅跡地は駅とわかるような痕跡は全く残っていないようですのでパスして御園駅跡地に向かいます。

2022年11月追記
鈴川バス停の廃止後の表記です。10月末の時点では停留所ポールは外されず廃止の旨の表記がされていました。

 鈴川バス停
鈴川バス停
 鈴川バス停
鈴川バス停


 御園駅跡付近
御園駅跡付近
 御園駅跡付近
御園駅跡付近
 御園駅跡付近
御園駅跡付近
 御園駅跡付近
御園駅跡付近
2014年まで道南バスが使用していたバスの転回場と待合室が残っており、待合室は町営バスウサパラ号の停留所として使用されています。工事の関係かトイレも設置されていますが、いつまで残ってるかはわかりません。
駅跡地はホームが残っているとされていますが、残念ながらこの時期は夏草に埋もれており、雨もあって確認できません。

私は全く知らなかったのですが、その先になります「オロウエン大滝キャンプ場」への道路に架道橋が残っているということで行ってみました。
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
近くの築堤も残っており、他にも遺構はありそうではあります。道路からあまり遺構が見えない胆振線ですが、しっかり残っている架道橋は驚きでありました。冬の入口など、藪の薄い時期にもう一度来たいものです。

2022年11月追記
尾路園架道橋を10月末に確認してきました。塗装に関する表記なども薄くなっていますが残っていることが確認できました。

 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋
 尾路園架道橋
尾路園架道橋



清原バス停を回って旧道にあった共和バス停跡も見てみます。待合室が倒壊しかかっていますが今も残っています。

 共和バス停跡
共和バス停跡
 共和バス停跡
共和バス停跡

「郷の駅ホッときもべつ」で食事、山間部で海鮮中華丼という選択でしたが、美味しかったです。


留産駅

喜茂別駅跡から留産までは道道696号喜茂別停車場線の一部に線路跡が飲み込まれているように見えます。バス停としては「比羅岡入口」になります。特段の駅とわかるものはありません。
 留産駅跡付近
留産駅跡付近
 留産駅跡付近
留産駅跡付近
 留産駅跡付近
留産駅跡付近


南京極駅

南京極郵便局と羊蹄グリーン病院があるあたりの住宅が建っているあたりが駅跡と思いますが、全く痕跡は残っていませんね。跡地が利用されているだけ幸せとも言えます。
 南京極駅跡付近
南京極駅跡付近
 南京極駅跡付近
南京極駅跡付近
 南京極駅跡付近
南京極駅跡付近


東京極駅

京極の市街地に近く利用の多かった駅です。国有化時に廃止になったものの1962年に再度開設されています。交換できなかった駅ですので業務委託も早くから行われていたようです。さすがに駅跡は特段に何も残っておらず、トイレと思われる基礎部分がかろうじて残っている状況です。東京極バス停が付近に設置され、京極バスターミナルも近くにあります。
 東京極駅跡付近
東京極駅跡付近
 東京極駅跡付近
東京極駅跡付近

なお、京極バスターミナルにもバス改正の案内が掲示されています。
 京極バスターミナル
京極バスターミナル
 京極バスターミナル
京極バスターミナル
京極駅が大きく街から離れていたこともあり、バスターミナルを中心部に設置しています。喜茂別などもそうですが、私鉄買収であり、なおかつ貨物輸送をメインに考えた路線は旅客が使いにくかったという言い方はできそうです。


京極駅

少し迷いながら見つけたのが京極駅、道道821号京極停車場線を普通に辿れば良かったのですが、旧駅への案内はされませんから仕方ありません。
 京極駅跡付近
京極駅跡付近
 京極駅跡付近
京極駅跡付近
 京極駅跡付近
京極駅跡付近
跡地はJAようていのジャガイモ出荷施設になっています。現在出荷の最盛期のため日曜日にもかかわらずフォークリフトやトラックが忙しそうに動いているのが見えます。ここにも鉄道コンテナがありました。最も近い貨物駅は小樽築港ORSになりますが、そこに持って行っているのでしょうか。


脇方駅

ここからは1970年に廃線になった脇方支線を辿ってみます。京極駅跡地から東京極・脇方方面に行きますと国道276号線にぶつかります。ここは跨線橋として道路が上を走っていましたが解体されて今は勾配を緩くしています。
脇方支線は現在の京極町総合体育館、旧小学校裏手を走っていたものと思われます。
さて、最盛期は4000人が生活していたという脇方地区。1969年鉱山閉山、1970年には鉄道だけでなく郵便局、小中学校も閉鎖、そして脇方支線も廃止となります。現在は無人です。
線路跡はしばらく道路として維持されていますが、その先ではほぼ遺構は発見できずとなります。
 脇方駅跡付近
脇方駅跡付近
 脇方駅跡付近
脇方駅跡付近
 脇方駅跡付近
脇方駅跡付近
 脇方駅跡付近踏切跡
脇方駅跡付近踏切跡
駅跡地付近には京極町ゴミ最終処分場があるほかは、日鉄鉱業北海道鉱業所倶知安鉱山記念碑があるのみです。記念碑の周りは管理されているので、今でもここを訪れる方はおられるのでしょう。
 日鉄鉱業記念碑
日鉄鉱業記念碑
 日鉄鉱業記念碑
日鉄鉱業記念碑
記念碑の脇にある危険物庫がこの付近に唯一残された遺構で、建物なども含めて周囲には何も残っていません。ここまで何もなくなるものなのですね。

70年代の航空写真ですらほぼ建物がなく、60年代の航空写真で状況がわかる感じですね。


鉄道が無くなること、バスが無くなること、それは非常に寂しく残念なことです。しかし、産業が無くなり、住民が少なくなってしまう後に、どうやって住民の足を維持していくのか、そしてそれがどう継続性を持つか?というのが大事であります。軽便線としての開通が1919年、1944年に国有化、1986年の鉄道廃止、そして2022年の峠区間のバス廃止、30年から40年おきに輸送形態が変わっています。つまり、次の30年をどう維持していくのか?です。

次の30年、沿線の集落がどの程度残っているかはわかりません。しかし、どこかで道路を維持し、何らかの交通機関を維持しながらモードが変わっていくことでしょう。その段階で以前の方が良かったとはなりません。最も大事なのは地域に住み続けられるか、特に学生が通学できるか、通院などができるかです。それを苦労しながら関係者が配慮しながら検討を重ねて決定する。そのプロセスを否定してはならないのだとも思います。

北海道の交通関係 路線バス 廃線跡

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