北海道の交通関係


北海道の交通関係サイト終了のお知らせ

当サイトは終了することといたしました。本件に関しましては以下をご確認ください。
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「冬こそJR」とは何だったのか?

2023/01/07

JR北海道が過去に実施していたキャッチフレーズ「冬こそJR」冬期にも夏期と同様の時刻で走ることをPRする目的で民営化直後から使用されてきたものです。

現在JR北海道の冬期の運行が不安定であるとして昔は「冬こそJR」とか言ってたのに今は軟弱だとか揶揄されるわけですが、元々この「冬こそJR」というキャッチフレーズを使うことになった背景というのを私なりに解釈して見ていきたいと思います。

面白い記事を発見しました。1989年の冬の入口にJR北海道の当時の鉄道事業本部長庄司和正氏が答えているインタビュー記事です。

<交差点> ひと降り数百万円、JR「待ってましたドカ雪」-JR北海道の庄司和正鉄道事業本部長
1989/12/13 北海道新聞
> 「雪が降るたびにマイカー通勤をやめて定期券を買って列車に乗る人が増えるんです。ひと降り数百万というところです」と表情はゆるみっ放し。
> 「その点、列車は、夏でも冬でも同じ時間に着きますからね。キャッチフレーズ通り『冬こそJR』ですよ。あとは視界不良による踏切事故さえなければ…」


一降り数百万というのは景気が良い。民営化から2年を過ぎた1989年。JR北海道は特に札幌圏の通勤輸送に力を入れてきた結果冬期の輸送安定が新たな鉄道利用者を増やしたという面があります。


国鉄からJR初期の札幌圏輸送

国鉄が「函館」から「札幌」に軸足を移し、そして千歳線と室蘭までの電化が完成したのが1980年10月のダイヤ改正でした。ここで当時の国鉄は札幌から千歳空港アクセスに参入します。千歳空港駅(現在の南千歳駅)を開業させたのがこの改正になります。
すでに本州と北海道の鉄道シェアは5%という惨状であり(とはいえ青函連絡船時代に5%も利用があったというのが驚きでもある)函館から青函連絡船を経由し在来線特急で結ぶような需要というのはかなり少なかったこと。札幌圏都市内、そして千歳空港利用者を取り込むことを主眼としていました。
1982年6月に東北新幹線が開業しましたが、本州対北海道のアクセスが鉄道に戻ることはありません。上越新幹線開業とともに東北新幹線の本格的運行が開始された1982年11月改正では東京7:17、新幹線リレー号で大宮乗り換え、盛岡、青森、青函連絡船経由で札幌着は23:25。やっと東京-札幌を「朝出発で日付が変わる前」に移動できるようになったわけです。

その1982年11月改正から1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正、そしてJR初期の列車増発が行われた1991年3月改正、そして現在まで札幌圏の列車本数がどの程度あったのかみてみましょう。
 札幌発列車本数
札幌発列車本数
駅の数自体も1986年11月に発寒・発寒中央・稲積公園が開設されるまで琴似-手稲に駅が無く、1991年3月改正から使用されるようになった愛称である「学園都市線」も1986年11月に新川、1988年11月に八軒が開設されるまで桑園-新琴似に駅が無く、札幌近郊の利用者が使いにくい状況でもありました。そして、本数があまりにも少なかったことはわかるかと思います。片道35本は有効時間帯と考えても30分に1本以下、朝夕ラッシュ時を考えれば日中は1時間に1本程度しか普通列車が無かったということになります。
国鉄時代の札幌圏は「大いなるローカル線」でしかなかったのです。それでもマシだったのは、本当の道内ローカル線が10往復以下の本数しか無かったのを考えれば自ずとわかることでありましょう。

さて、国鉄からJRになって普通列車・快速列車本数が大幅に増えたことで「通勤に鉄道が使える」状況が出てきた。これが特に冬期に渋滞により時間が読めないクルマやバスからの移転が推進されたというのが、最初の「冬こそJR」の意味だったことがわかります。


電車化で遅れを少なくする方策

1980年に増備されて北海道の普通・快速列車用電車車両は711系電車が114両配置されているのみでした。
 岩見沢市で保存されている711系電車
岩見沢市で保存されている711系電車
当然にこれだけでは札幌圏の列車は運行には足りませんでしたので、ディーゼルカーや機関車が牽引する客車列車が多数運行されていました。そのうち特に客車列車は終点の駅で機関車を付け替える必要がありました。そして、それを行うには側線とそこに機関車を入れるためのポイント操作が不可欠でした。
 札幌圏で客車を牽引していたED76形機関車(三笠鉄道村に保存)
札幌圏で客車を牽引していたED76形機関車(三笠鉄道村に保存)
冬期に列車が運休する最大の要因がポイントです。鉄道は列車の運転士は行き先を決めることができません。必ず地上側でポイントを切り替えて必要な線路に進入するという仕掛けが必要になります。そしてポイントは切り替えた線路に密着し、施錠を行わなければ列車が通過できないルールになります。ポイントに雪が挟まると施錠できず列車が通過できなくなることになります。

このポイントを動かす作業が多ければ多いほど雪による輸送障害が増えることになります。ホームに客車を残して機関車は側線へのポイントを渡り、ポイント通過時に大量の雪を落としながら客車の反対側に連結されます。この一連の作業は当然側線が使用されていない状況であり、なおかつ連結や誘導を行う係員、ポイントを転換する駅職員など多くの人手を必要とし、そしてポイントを動かせば雪でのトラブルが起こる可能性が高くなることになります。

また、この作業はどれだけ迅速に行っても10分程度の時間を要します。列車が遅れることを想定して折り返し時間を長く取る必要があり、列車が遅れれば、その遅れが増大していくことが考えられます。

JR北海道が札幌圏の輸送改善の最も最初に行ったことが「電車の新造」で、この機関車牽引列車を置き換えることを目的にしています。1988年から1992年に22編成66両が作られたステンレス車体で冷房を完備した721系がそれにあたります。
 岩見沢駅で停車中の721系電車
岩見沢駅で停車中の721系電車
1991年改正の時点ですでに札幌圏での客車による列車は朝夕ラッシュ時の10本程度まで減少していました。電車は折り返し作業が迅速に行えることで遅延を次の折り返しに持ち込まないということにも繋がります。

そして、岩見沢には広大な車両基地と貨物ヤードがありました。電気機関車が配置されていた岩見沢第二機関区そして客車が配置されていた岩見沢客貨車区、そして石炭輸送の中継地としての岩見沢操車場です。多数の線路があり、ポイントの数も甚大、そしてなにより函館本線の旭川方面に向かって右側、つまり、下り列車が操車場を出入りするためには必ず上り本線を平面に渡らなければならない構造(これは国鉄時代に上り本線を付け替え、上下本線間に操車場や機関区などを集約する想定があったが行われなかった)ではこれに起因する輸送障害も少なくなかったことになります。

JR北海道 JR北海道発足後35年の経過
https://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/company/pdf/2022_13_16.pdf

 人件費・鉄道運輸収入等推移
人件費・鉄道運輸収入等推移


1990年代前半までJR北海道は鉄道運輸収入よりも人件費の方が高いという経営を行っていました。2022年現在の従業員数が6,200人ほどというJR北海道は、外注化など、直接的な従業員数だけでは比較できませんが、1995年当時ですら1万2千人いました。その全員が除雪作業に従事できるわけではありませんが、人員面でまだ余裕があり、必ず人手が必要となるポイント除雪に人員を配置できたことは現在よりも勝る面ではないかと思われます。

電車化と貨物輸送の別会社化、石炭輸送の斜陽化と廃止、それがあわさり各駅構内が1990年代にはかなりシンプルな構造になることで、雪による輸送障害の減少が見込まれたという面はありましょう。そして、まだ列車の本数が少なかったこともありましょう。つまり、1本列車が通過し、ポイント転換ができなくても次の列車までの余裕があれば対処できる時間が確保できるという意味でもあります。

そして、利用客の増加による列車の増発が進むことで、岩見沢駅、江別駅や小樽駅などの折り返し線を急遽作る必要に迫られ、その一部は出入りに本線を横断する必要が出てくる、結果ポイント不転換の要因が高まってしまったという面もあるように見えるのです。

これは逆に学園都市線の電車化で苗穂運転所から函館線下り線、千歳線となる中線を平面交差しての気動車の出区作業が無くなったという利点もあります。いずれにしてもポイントをどう処理するのか、それが安定運行の「ポイント」になるということです。

 苗穂駅・苗穂運転所
苗穂駅・苗穂運転所

「冬こそJR」のPR

1990年代に入り、JR北海道はテレビでのCMやキャンペーンなど、このPRを積極的に行いました。特に地方で積極的に行っています。

冬の足は安全JRで 士別 「ミスツインクル」訪問
1994/11/30 北海道新聞 名寄・士別面
> 【士別】冬こそJRを利用して-と、JR北海道のキャラバンが二十八日、市役所を訪れた。
 キャラバンは冬場の輸送の安全性を訴えようと今年初めて実施。


なぜJR自体も運休などのリスクが少なくない冬期にキャンペーンを行ったのでしょうか?北海道では冬期の道路事情がよくなかった、結果国鉄時代から冬期に地元の利用客が多かったという面があります。路線によっては夏季の観光客よりも冬期の地元利用が多かったという状況があり、以前から冬期は鉄道がある程度運休しても「道路よりはマシ」という面があったと言えましょう。そしてさらに北海道内では1980年代後半から1990年代にかけて道内を二分する交通問題があり、これに乗じたというところもあったのではないかと推測します。

それが、スパイクタイヤ規制の問題です。

<経済NOW>スタッドレス化 都市間バスに波紋 遅れ予測つかず JR列車を意識 ダイヤ設定に苦慮
1993/11/17 北海道新聞 帯広・十勝面
> 今冬からスパイクタイヤの使用規制を受ける十勝のバス業界が、帯広-札幌間、帯広-旭川間などを結ぶ都市間バスの冬季ダイヤ設定に苦慮している。スタッドレスタイヤへのはきかえで所要時間が余計にかかるのは必至。利用者に「バスは遅い」との印象を与えてはなるまいと、ライバルのJR列車を意識しながら検討を進めている。
> これに対して、都市間バスのライバル、JR帯広駅は「常に最高のサービスを心掛けており、特に意識していない」と話しているが、「冬こそJR」をキャッチフレーズに全社規模で営業に力を入れるという。


今ではほとんど見ることがなくなりましたが、冬期に自動車を運転するときにスパイクピンをタイヤ表面に出したスパイクタイヤが利用されていました。しかし、このスパイクタイヤ、舗装路面を走るとアスファルトを削り、特に車の台数が多くなった1970年代以降都市部では粉塵公害に悩まされ続けました。国の公害等調整委員会は昭和65年(1990年)末でスパイクタイヤの製造を中止する調停をタイヤメーカーと成立させ、その後はスパイクピンの無い冬タイヤ「スタッドレスタイヤ」に移行することになります。環境庁(現環境省)もスパイクタイヤ禁止の法制化に向けて進むかたちになります。

しかし、これに反対したのは実際に車を運転するドライバー、特に運輸業、運送業でした。実際に当時のスタッドレスタイヤは性能が低く、特に凍結路面での性能が低い上、平坦路面でも圧雪路を滑りながら「バフがけ」しているような鏡面仕上げをしているような路面になるという惨状となります。

スパイク規制で除雪事業を拡大-道議会で知事が意向
1988/10/19 北海道新聞夕刊
> スパイクタイヤの全道一律規制問題について横路知事は「道北や道東など気象条件の厳しい地域では峠対策、急こう配対策などに積極的に取り組む考えだ」と、防雪除雪事業を拡充する意向を示した。一般質問は十九日午後に終わる予定。


スパイク廃止なら、除排雪など徹底を-ハイタク業界が要望へ
1989/08/06 北海道新聞
> 道は、車粉公害防止のためスパイクタイヤ規制の条例制定の準備を進めているが、道内のハイヤー、タクシー業界の組織・道乗用自動車協会(長谷信一会長)は、「道条例化には賛成だが、除排雪など道路整備を徹底する」などの要望をまとめ、七日に道に提出する。
 要望の内容は、道が九月の定例道議会で条例化を予定している「道脱スパイクタイヤ条例」(仮称)には基本的に賛成する。しかし、条例化にあたって(1)急カーブや急な坂道をロードヒーティング化し、除排雪を徹底する(2)スタッドレスタイヤの耐久性などの性能向上をメーカーに働きかける(3)スパイクタイヤは厳冬期に現状では必要であり、脱スパイクは段階的に実施する-の三点。


札幌市でスパイクタイヤ規制が行われたのは1990年3月からになります。4月からは反則金を導入し「脱スパイク」が始まります。

車粉のない春に、1日からスパイク規制
1990/03/01 北海道新聞
 車粉のないさわやかな青空を取り戻そう-と、一日から、札幌市のスパイクタイヤ使用規制期間がスタート。四月からは道公安委員会によりスパイク反則金も導入され、全道を挙げて本格的な「脱スパイク」への移行が始まる。


1991年からは札幌以外の地域も指定しようとしますが、小樽市などが反対します。また、北海道警察は事故や渋滞の面から慎重という判断をします。

スパイクタイヤ規制、札幌圏指定-車粉追放、問題は安全
1991/03/29 北海道新聞
>加来照俊北大教授(交通工学)は「スパイクとスタッドレスの性能差は歴然としており、環境の整っていない地域にまで指定を広げると、結局、ドライバーが事故増などのしわ寄せを食うことになりかねない」と警告。「アメリカでは三つの州がここ二年のうちにスパイク全面禁止から期間規制に緩和させている」と話している。
>道警は「地域指定はスパイクなしで安全に走行できる環境づくりが前提となり、今後については、今回指定された七市町の冬型事故の発生状況、交通渋滞の実態を十分見極めてから考えるべきだ」(久保潤二交通部長)と述べ、早期の追加指定には難色を示している。追加は早くても来春以降という考え方だ。


実際北海道警察は「スパイクタイヤだったら事故が防げた」という報告を出すことになります。

スパイクだったら半数は防げた-1月の札幌圏スリップ事故。道警「スタッドレス化の参考に」
1992/05/13 北海道新聞夕刊
> 十三日午前開かれた道議会交通安全対策特別委員会(大島一郎委員長)で、久保潤二道警交通部長はスパイク規制法の指定地域として初の冬道シーズンとなった札幌圏七市町の今年一月のスリップ事故の約半数はスパイクタイヤならば防げたと報告した。


JRの輸送実績もスパイクタイヤ規制が全道に広がり、スパイクタイヤ自体の入手が難しくなっていく中でクルマからの移行が見られたのもこの「冬こそJR」のキャンペーン時期と重なります。

年末年始の道内輸送実績 JR、前年4%上回る スタッドレス化も影響?
1994/01/07 北海道新聞
>JRも全体で前年比四%増。とくに道東、道北方面で客足が伸びた。JRは「スパイクタイヤ規制地域が広がったため、車による帰省を控えた人が多かったのでは」と分析している。
> JR北海道の十二月二十八日から一月五日までの主要七線区の特急、急行輸送実績は、約四十八万九千人で、前年比四%増。とくに帯広・釧路方面(南千歳-新夕張間、前年比一一%増)、旭川・網走方面(岩見沢-旭川間、同七%増)などで利用客が増えた。JRは「スタッドレス化や、期間中、悪天候による通行止めなどの影響が大きい」としている。札幌-小樽間など札幌圏の利用者は約百二十万九千人で、前年比三%増。新千歳空港駅の利用者は前年とほぼ同じ約二十七万五千人だった。


なお、単純な比較はできないものの、2023年の年末年始輸送実績は北海道新幹線を合わせても22万人、札幌駅乗降人数で104万5千人、新千歳空港駅は32万6千人です。コロナ渦でも札幌圏輸送は頑張っているものの、地方への特急列車利用などはどうしてもこの当時に比較すると目減りしていることは見えましょう。年末年始に特急の運休を避けることができなかったという面もあります。

では「冬こそJR」キャンペーン中に列車の運休は無かったか?といいますとそんなことはなく、毎年冬期の運行の乱れは防ぐことのできない問題でもあったのです。

師走の大雪 衝撃ズシリ 市民生活「ダウン寸前」 排雪遅れ年越しも お歳暮の配送 大混乱
1995/12/27 北海道新聞
> JRは二十六日も雪によるポイントの切り替え不良で千歳線などの普通列車十本が運休した。社員は徹夜で除雪作業を行ってきたが、「開駅以来、最大の雪」(札幌駅)にお手上げ状態。「冬こそJR」のキャッチフレーズは、雪とともにもろくも吹き飛んだ。


そして、スパイクタイヤ廃止を受けた自治体や開発局など道路管理者は除雪対策を強化せざるを得なくなります。結果的に「冬期の道路が走りやすくなる」ことが想定できたこと。これが冬期にキャンペーンを張る、道路交通よりも鉄道を選択して貰うことを積極的にPRする理由になりましょう。「冬こそJR」は冬は自分たちは完璧に動かせますよという約束のためのPRではなく、タイヤ規制や冬期の道路事情のなか「相対的にJRはマシですよ」というキャンペーンだったということです。


「運休本数」の持つ意味

さて、最初に国鉄時代から比較した列車本数について記載しました。札幌駅を出発する旅客列車が150本ほどだった1982年から40年が経過しました。現在札幌駅を出発する列車だけで450本以上あります。列車を1/3程度間引くだけでも百本以上の運休本数になることがわかろうというものです。

雪のためJR特急14本含む244本運休 5日も一部列車運休
2023/01/04 NHK
>雪のため、JRの札幌と旭川を結ぶ特急14本を含む244本が運休となるなど、交通機関に影響が出ていて、5日も一部の列車の運休が決まっています。
>特急列車は、午後8時現在、札幌と旭川を結ぶ「ライラック」と「カムイ」あわせて14本が運休しました。
普通列車の運休は、函館・千歳線、函館線、学園都市線、石勝線、室蘭線であわせて230本に上りました。


この正確な運休本数はJR北海道の記者クラブから各報道機関に配布されます。しかし、他の輸送機関の運休本数は報道されません。各バス会社などが発表しないからですね。

例えば2012年に民間会社に移行する前の苫小牧市営バスは苫小牧市が正確な運休本数を報道機関に伝えますので運休本数を記事にできます。しかし、同じ記事に苫小牧市内を走る道南バスの運休本数は一切出てきません。バス会社は報道に伝えません。

除雪3日がかり バス広報も課題 天候大荒れ事故多発 運休問い合わせ数千件
2008/02/26 北海道新聞 苫小牧・日高面
> 苫小牧市営バスは二十四日、早朝から全十八路線の計三百四十七便が運休。午後五時ごろ利用者が多い日新、永福方面など七路線の四十便のみ運行を再開した。


同様に2004年に民間に移管した札幌市営バスも札幌市が集計し市の記者クラブを通じて提供されました。せっかくですので当時のJRの運休についても。正確な本数が表示されますね。

雪でまた“足”乱れ-千歳空港では10便が欠航、列車も28本が運休
1988/12/17 北海道新聞夕刊
>JR函館本線手稲、桑園両駅でポイントが雪のため作動不良となり、レールが完全に切り替わったことを示す信号がJR本社のCTC(列車集中制御装置)指令室に送られなくなった。このため付近を走行中の列車を止め、職員が調べたところ、ポイントは切り替わっており、雪がはさまって電気が流れず信号が送られなかったと分かり、約一時間後、運行を再開した。
> 札幌市内のバス路線は、雪害により各地でダイヤに乱れが発生、市交通局の午前十一時現在のまとめで市営バスは新琴似二条線で最大五十八分の遅れが出たほか、発寒や南沢、苗穂線など十一路線二百九十六便が平均二十分の遅れとなり、利用客一万五千三百九十二人の足に影響が出た。


この「運休本数」は結果として記事になるからわかるというだけのもので、基本的に大きな意味を持ちません。JRや各自治体が集計して伝えたから記事になっているだけで、他の事業者がそれを伝えないから記事にならないという面です。

本当に必要なのは、今動いているのかどうか?今どうなっているのか?という情報です。1988年当時一般の利用者が列車やバスの運行情報を自宅にいる段階で得る術はありませんでした。もちろんインターネットの時代ではありませんし、速報を得られるのはテレビ・ラジオだけ、そして新聞は「結果」としての運休本数を知らせる以外はないのです。

現在、リアルタイムで一定の運行情報が得られる時代になっています。やっと札幌近郊のバスの運行に関してもバスロケーションシステムが比較的安価に入れられる状況になったことで、遅れを自宅にいながらに見てから行動できる。そういう時代になりました。昔は鉄道の運休なんか無かった!っていうのは大嘘で、それを現地でいざ乗る段階で無ければわからなかった、そして選択肢が少ない中、無理な運行も行われていた。過去は運休なんてなかったというのは現地に行かなかった、実際に通勤などで使っていなかった、結果その方が「経験していなかった」だけともいえます。


JR北海道の雪対策

以前の記事でJR北海道の現有の除雪機材数、輸送障害数(あくまで自然由来で雪だけが要因では無い)をまとめました。

JR北海道の雪対策の歴史と空港輸送を安定させる方策
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=1219


除雪作業機械
除雪作業機械

鉄道の除雪に関して、今、大きな問題になっているのは、局地的な大雪による輸送障害であろうかと思います。この年末年始は江別市から滝川市にかけて大量に降雪した結果、ポイント部の対策を行っていても、それ以上の雪が降ったということになります。
また、低温により電熱などの対策でも雪が溶けないという面もありましょう。札幌市内のロードヒーティングを見てもマイナス10度を下回ると雪が溶けないことがわかろうと思います。鉄道ポイント部は人が歩かないために直接的に電熱で雪を溶かす仕掛になっていますが、それでも溶けきらない。鉄道輸送には過酷な状況があったということになります。

2003年の道新記事はかなり詳しくポイント部の融雪装置について記事にしていますので、ちょっと多めに引用させていただきます。

<ゆうたうん>JR北海道 防げ!冬の列車立ち往生 ポイント上に雪どっさり 線路下の穴で溶解 新方式は空気噴射
2003/12/01 北海道新聞夕刊
> 「冬こそJR」は、国鉄分割民営化でJRが発足した一九八七年以来、JR北海道が使っているキャッチフレーズ。通勤列車も特急列車も、冬が一番の稼ぎ時だ。ところが、一気に数十センチ積もるドカ雪に見舞われると、しばしば列車が立ち往生する。最大の原因は、線路の分岐器(ポイント)に雪が挟まり、動かなくなること。
>枕木が宙に浮いた不思議なポイントがあった。ポイントの真下部分に線路幅で穴を掘った「ピット式ポイント」。降った雪は線路上に積もらず、この穴へと落ちる。雪が穴にたまらないように、パネルヒーターが底に敷き詰められている。
> 設置工事費は一カ所約三千万円。「ここに降る雪だけの話なら、穴を掘って解かす設備はいらない。問題は、列車が雪を運んできてしまうことです」。改良計画立案に携わったJR北海道企画部設備改善グループの青木大祐さんが、通過列車の先頭部を指さした。列車の正面には、雪が少々積もっても走れるように、排雪装置がついている。これが、別の場所で降った雪を、ポイントに押しつけていくのだ。
 ポイントが動かなくなる「ポイント不転換対策」にJR北海道が本格的に取り組みだしたのは一九九六年。きっかけは同年一月、五日間で計八百六十五本が運休する事態になった豪雪だった。
 当時、線路を五○-六○度に加熱する「電気融雪器」は、一部の引き込み線を除き、すべてのポイントに設置済みだった。しかし、解けるのは線路のすぐそばの雪だけ。豪雪となると解かすスピードが追いつかない。
 「ポイントを生かす工夫を考えなければならない」。こうして開発されたのが「ピット式」。九六年、北海道医療大学駅(石狩管内当別町)をはじめ、今年十一月までに五駅十三カ所に設置した。ただ、工事費の高さは否めない。そこで考えたのが「圧縮空気式」だ。線路にノズルを取り付け、列車の通過に合わせて圧縮空気を噴射し、雪を吹き飛ばす。北海道の軽い雪質ならではの方法で、工事費も約一千万円とピット式の三分の一で済む。九七年に厚別駅(札幌市厚別区)で試験使用を始め、今年十一月までに十駅五十五カ所に取り付けた。
 最も広く行われているのは枕木の間にパネルヒーターを入れる方式で、十三駅百十三カ所に導入。設置費百万円以下と手ごろなのが利点だ。
 パネルヒーターを間近で見ようと小樽市の銭函駅まで足を伸ばした。高橋忠男駅長がふと漏らした。大雪のとき、乗客からよく「ホームの除雪が悪い」と指摘されるという。「ポイントの除雪を優先するので、なかなか手が回らなくて…」
 銭函駅の駅員は六人。冬季間は除雪要員も雇うが、海から吹き付ける風が強く、吹きだまりができることもしばしば。大雪ともなれば、全員でひたすらポイントを掘り出すそうだ。
 「機器類がどれだけ発達しようと、最後は人手がものをいう」。高橋駅長の言葉に、鉄道マンの心意気を感じた。


また、貴重な資料としてポイント不転換の件数を記載した記事がありました。

ポイント故障、運休激増 「冬こそJR」なのに… 豪雪に対策後手 道内
2006/01/21 北海道新聞
> 道内を襲っている記録的な大雪に、JR北海道が泣いている。今冬の雪害による列車運休本数は二十日現在、五百四十本に上り、既に昨冬(二○○四年十一月-○五年四月)の総数を三割以上上回った。運休原因の大半は線路の分岐器(ポイント)のすき間に雪や氷が挟まって進路が切り替わらなくなる「ポイント不転換」。同社は線路を加熱する融雪器の温度を最大限に上げるなど対策を講じているが、連日の大雪に手が回らない。
> 運休本数が増えたのは、例年雪が少ない地域が大雪に見舞われたことも響いている。運休の主な原因となるポイント不転換の回数は本年度、東室蘭駅が百八回でトップ。前年同期は二回しかなく、今冬の異常さは際立っている。その他の駅の不転換も、昨年を大幅に超えている例が多い。
 ポイントは構造上、雪に弱い。可動部分がむき出しになっており、進路を切り替える先端部にすき間があるため、雪や氷の塊がつまりやすいからだ。塊が挟まって動かなくなると、作業員がホウキや手で取り除かない限り復旧できない。
 JR北海道も手をこまねいていたわけではない。道内の約二千四百カ所のポイントすべてに電熱融雪器を設置。さらに降雪と列車本数が多い地域では枕木の間にパネルヒーターや、ポイントのすき間の雪を吹き飛ばす圧縮空気式除雪装置を増やしている。こうした対策に本年度は過去最高の約八億円を投じた。
> また、保線業務に詳しい労働組合幹部は「昔に比べ列車本数が増えて速度も速くなり、日中に人手によるこまめなポイント整備ができなくなっている」とみる。
>*雪害でポイントが動かなくなった回数ワースト10
  駅名 2005年度 2004年度
 東室蘭  108回   2回
 苗穂   101回  21回
 小樽    94回  14回
 岩見沢   91回  37回
 江別    58回   8回
 あいの里  43回   4回
 手稲    40回  15回
 滝川    33回  46回
 石狩太美  28回   7回
 本輪西   27回   0回


また、2007年末の読売新聞全国面では「冬こそJR」を揶揄しつつも、JR北海道の冬期の輸送が道路交通よりも安定していたという面から記事を作ります。ポイント部の雪対策だけでなく、寒暖差によるレールそのものの破断というのも鉄道にとっては非常に大きな問題で、これは自動化した信号設備だからこその問題でもあります。

[マンデーリポート]防護無線の誤作動でレール破断 揺らぐJRの信頼
2007/12/31 読売新聞
> 一連のトラブルが深刻なのは、大雪に見舞われる道内の公共交通機関が「鉄道頼み」だからだ。同社はこれまで、路線バスや高速バスなどと比べ、定時運行の優位性をアピール。企業CMでも「冬こそJR」と、とりわけ冬場の強さを強調してきた。この時期に長時間の運転見合わせにつながるトラブルを起こしたダメージは甚大だ。
 12月は、14日に防護無線の誤作動で札幌圏の主要3路線が夕方の通勤ラッシュ帯にストップ。21、27日には千歳線でレール破断が相次いで発生した。27日の破断は、緊急点検で安全性を確認した直後に起きただけに、利用者からの信頼が大きく揺らぐ結果となった。
> 利用客から激しい反発を受けた一連のトラブルだが、鉄道関係者はレール破断について総じて同社に同情的だ。
 まず、関係者がそろって指摘するのは道内特有の厳しい寒さ。道内では、夏と冬の激しい寒暖差で鉄製のレールが激しく膨張と収縮を繰り返す。伸縮を放置すれば走行時の安定性も損なわれる。さらに、膨張と収縮でレール内部の亀裂が拡大する恐れも強まる。厳冬期にはレールが収縮し、内部の亀裂が引っ張られ、一気に破断してしまう。
 道内のレールの総延長は約2500キロあるが、亀裂を調べる特別車両は1台しかない。このため、保守点検員が手作業で亀裂を測定、監視することで破断を未然に防いでいる。
 同社は2003年、年2回だった検査を、検査技術が向上したとして年1回に減らした。検査時期もまちまちだったため、今後は冬に入る直前に実施し、破断を最小限にとどめる方針という。
> 同社は、12月の一連のトラブルについて「いずれも安全性に問題はなかった」と主張する。防護無線の誤作動では、安全が確認されるまですべての列車を運行させなかった。
 レールが破断した際は、「破断と同時に軌道短絡が発生して信号機が赤に変わり、通過車両を事前に停止させることができた」とする。破断した場所の広がりも55ミリ以下になる特殊な構造になっており、70ミリまで安全に走行できるため、誤って列車が通過しても脱線事故は避けられる。同社の技術者は「破断より、(暑さでの)膨張によるゆがみのほうが危険」と指摘する。
 厳しい気象条件に加え、路線の採算性という経営面のハンデもある。高収益なのは札幌圏など都市圏の路線のみで、残る路線は大半が赤字。線路の補修には毎年20億円前後が必要で、鉄道事業の恒常的な赤字が続く中、安全への投資も行わなくてはならない。
 道内を代表する公共交通機関として、「定時運行」と「安全性」をいかに高い次元で両立させるかが問われている。


廃線が決定した留萌線に関しては、以前こんな記事がありました。

雪道を避けマイカー族が利用 留萌線 冬こそ本領発揮 乗客数 夏場しのぐ 「定刻発着で安心」
2002/01/07 北海道新聞夕刊 留萌・宗谷面
> 【留萌】冬になると、吹雪の多い留萌管内には観光客がほとんど訪れないが、JR留萌線は夏場以上に利用者がグンと増える。冬道の車の運転が危険になる分、JRの利用に切り替える人が多いためで、留萌駅も「安全な鉄道」のPRに力を入れている。
 留萌駅の乗車人員は年々減少している。一九九七年度には年間約六万四千人いたが、昨年度は約五万七千人になった。ふだん一両編成の留萌発の列車は夏場はすいているが、冬場、特に吹雪で高速道路が通行規制されると、待合室はあふれんばかりになる。
 昨年度の場合、十二月から三月までの四カ月間に約二万二千人が乗車し、年間の四割を占めた。
> 高橋直矢留萌支庁長も「夏は妻の運転する車だが、冬はちょっと雪が降っても、JRは時間がはっきりしていて確実」と、年末年始も列車で札幌を往復した。荒天が続いた昨年二月には、乗客が多いことなどから二両編成で運転した日もあった。
 片桐利治同駅長は「深川との中間の峠下駅は、店も水もなく生活環境が悪いが、冬は社員とパートが泊まりこんで除雪している」と、定時運転の努力を語っている。


この記事の翌年深川留萌道は沼田ICまで開通、そして2006年には美馬牛峠をパスできる幌糠ICまで開通します。切り通しで直線的に結ばれ、2013年の留萌大和田ICまでは4つのトンネルで国道の急なカーブを通らずに済むことになります。2020年についに留萌ICまで開通します。2015年調査の24時間交通量は留萌大和田IC-幌糠ICで4000台を越えます。これは深川に行くに従って減少する逆進的な結果になります。その理由は無料であること、そして除雪が一般国道より充実して安全なことであります。

高規格道路で「冬期の移動」が安全になった喜ばしい事実と、そして、その乗客を失った留萌線の廃止。「冬こそJR」が過去のものになったのはJRが運休するようになったからよりも、冬期の道路交通が安定するようになった結果であろうとも思うのです。

北海道の交通関係 JR北海道 輸送障害

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