北海道の交通関係

旧夕張鉄道線線路跡を巡ってみました③

2023/05/22

なんと3年前に書いていた記事の続きです。
当サイトでは2020年8月に2回に渡って旧夕張鉄道線廃線跡の夕張市区間を自転車で巡った状況について記載しています。

旧夕張鉄道線線路跡を巡ってみました① 2020/08/25
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=979


旧夕張鉄道線線路跡を巡ってみました② 2020/08/26
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=980


その後すぐに江別市、南幌町、長沼町、栗山町内の各区間も訪問していたのですが、長く記事にする機会を失っていたという状況です。

当サイトで作成した石勝線廃止区間の線路設備と、旧夕張鉄道駅の位置情報をプロットしたGoogleマイマップも参考にしてください。

今年2月、長らく未利用で残されていた新二岐駅駅舎が解体され、現状を見てくる必要があろうかと思いまして、今回再度訪問してみました。基本的には最近の写真のみになります。


野幌駅

夕張鉄道線が分岐していたのは野幌駅になります。2011年に高架新駅として開業する前は北側に駅舎を持ち、駅舎から直接アクセスできる1番ホームが函館線旭川方面、跨線橋でアクセスする2番ホームが函館線札幌方面、そして最も南側3番ホームには夕張鉄道が使用していたはずです。夕張鉄道廃止後はしばらくは北海鋼機の専用線として線路は残っており、それが廃止された1986年に南口が開業、そして高架新駅になります。
 野幌駅南口
野幌駅南口
野幌駅南口前を走っていた「鉄東線」の一部を廃止してロータリーとバス乗り場を設置した江別市は英断で、開業10年を超えてまだ殺風景ではありますが新しい街ができています。
野幌駅から函館線との分岐付近に機関区があって現在はマンションになっています。この場所で1951年(昭和26年)からレンガなどを作っていた肥田製陶(のちのヒダ)の工場跡が商業施設のEBRIとなっており、この裏手駐車場付近を線路が走っていたはずです。
 肥田製陶工場跡のEBRIから野幌駅方向
肥田製陶工場跡のEBRIから野幌駅方向


北海鋼機前駅

野幌バス停留所駅として1956年(昭和31年)に開業し、ここから札幌行の急行バスに乗り継ぐことができるようになっていました。バス営業所が併設され、1964年に北海鋼機前駅に改称、専用線も開設されます。1975年の夕張鉄道廃止後は野幌駅と当駅の間も北海鋼機専用鉄道として維持されますが旅客営業は行わずその専用線も1984年には休止、1987年には廃止されます。
駅待合室はバスターミナルとして長く使用されましたが1980年代終わりくらいに現在位置に移転し、駅跡地にはパチンコ店ライジング江別が建っています。特に駅が絡まない場所に「ターミナル」があるのはそのような理由になります。
 北海鋼機前駅跡
北海鋼機前駅跡
 夕鉄バス野幌ターミナル
夕鉄バス野幌ターミナル


上江別駅

北海鋼機前駅跡付近から鉄道跡を空知南部広域農道「きらら街道」として整備しており、2003年(平成15年)に全線開業しています。ですので、廃線跡は1980年代終わり頃まで設備が撤去されたのみで、ほぼそのままだったことがわかります。「きらら街道」の野幌-南幌-栗山付近の整備は1992年となり、現在は沿線に商業施設が建ち並ぶ区間ですが、以前は単なる線路跡地ですから以前からの家は道路に背を向けています。最近こそこの「きらら街道」側に玄関がある住宅も増えてきましたが、ここが比較的最近に整備された道路であることを強くうかがわせる光景です。
 上江別駅跡地付近
上江別駅跡地付近
夕張鉄道は大きくカーブを描きながら南幌方面に向かいます。この線路がカーブしていることと踏切の数的な問題があってこの付近少し道路が歪で迷いやすいとも言えるかもしれません。
それにしても野幌バス停留所駅新設までの一時期はこの駅から札幌方面へのバス連絡が行われていたとのことですが、江別第一中学校前の細道をバスが闊歩してたのかと思うと少し感慨深いですね。

下の月駅

急に市街地が終わり農地の真ん中を突っ切る形で線路跡である「きらら街道」は直線区間となります。流れが良いことでスピードを出す車が多いのですが、南幌方面から札幌方面へは最短ルートとも言えるわけで路線バスも早朝、帰宅便の一部がこの道を経由します。
下の月駅があったところは江別側からのバスも通過する分岐点ではありますが、今は周りに特段何もない場所です。現役時代も無人駅だったとのことで利用が少なかったことが窺えます。
夕鉄バスは江別市内線としてこの停留所から少し離れた「中の月」からのバスを頻発していた時期があります。とはいえその頃もこの付近純然たる農家が点在するだけの場所で、当時の旺盛なバス需要がわかって面白い事項です。
過去にこの「江別市内線」に乗ってきた記事を公開しています。

夕鉄バス「江別市内線」に乗ってきた 2017/09/08
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=601


 夕鉄バス下の月バス停
夕鉄バス下の月バス停
 線路跡の南幌方面(左)下の月方面(右)
線路跡の南幌方面(左)下の月方面(右)
 線路跡の野幌方面、左は野幌運動公園方面に出られる
線路跡の野幌方面、左は野幌運動公園方面に出られる

晩翠駅

千歳川を渡りますと南幌町に入ります。まず見えてくるのが大きな看板が目印の南幌温泉でこの付近では早い1991年に開設された公共温泉です。温泉、浄水場、工業地帯を過ぎますと若干難読な晩翠(ばんすい)駅の跡地になります。この付近は工業団地として分譲されており、既に完売済みとなっています。付近には道央圏連絡道路のインターチェンジも開設される予定で札幌にも近く新千歳空港や石狩新港などへのアクセスが良好であるのも魅力の一つでしょう。そのアクセスの一つを線路跡のきらら街道が担っています。
晩翠駅は列車の行き違いこそできなかったものの、農業倉庫への引き込み線もあり、石炭以外の貨物輸送にも夕張鉄道が利用されていたことがわかります。現在も農業倉庫は健在で、これが駅跡の目印です。
 晩翠駅跡地と農業倉庫
晩翠駅跡地と農業倉庫
 野幌方面にある晩翠工業団地の看板
野幌方面にある晩翠工業団地の看板


道央圏連絡道路の工事区間

先ほども登場した道央圏連絡道路についても触れておきます。新千歳空港から長沼・南幌・江別東IC・当別・札幌・小樽と広く札幌郊外を結ぶ道路になり一部は自動車専用道路として高規格となっています。それ以外も信号が少なく走行しやすい道路になります。通行料金は無料です。

道央圏連絡道路
https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/douro_keikaku/e9fjd600000019q2-att/gburoi000000yuou.pdf

 道央圏連絡道路
道央圏連絡道路


南幌ICは道道1080号栗山北広島線に設けられます。きらら街道付近はボックスカルバートとなっており盛土され、その全体像が見えてきました。江別側の中樹林道路に関しては2024年(令和6年)度の開通が予定されています。

 道央圏連絡道路(きらら街道ボックスカルバート)
道央圏連絡道路(きらら街道ボックスカルバート)
 道央圏連絡道路(江別方面)
道央圏連絡道路(江別方面)
この道路の完成で南幌町内中心部への大型車の通行が少なくなることなどの利点があります。

南幌駅

夕張鉄道の跡地は相変わらず「きらら街道」として走っています。道路は南幌の市街地手前でカーブしていますが、鉄道時代は直線的に南幌駅に入っていました。農業倉庫などが線路に沿って建てられていますので現在の道路とは異なる形になっていますね。
 きらら街道野幌方面。直線的な道路が南幌市街地入口でカーブする
きらら街道野幌方面。直線的な道路が南幌市街地入口でカーブする
ニュータウンとなってきらら街道とは直接接しない形で街が作られていますが、線路跡はそのニュータウン内の遊歩道として使われています。
 1970年代の航空写真でもニュータウンの真ん中を線路が走る
1970年代の航空写真でもニュータウンの真ん中を線路が走る
 現在の航空写真と比べると、線路部分に遊歩道があるのがわかる
現在の航空写真と比べると、線路部分に遊歩道があるのがわかる
夕鉄廃止前から分譲が開始されている南幌町のニュータウンは線路が無くなることはある程度前提だったとは思われますが、線路を上手くかわしながら分譲が開始されたことがわかろうというものです。

南幌駅は駅前の通りの突き当たりが役場。この位置関係が道路の設置でわかりにくくなった面はありましょう。2000年までに駅裏付近の区画整理を行い、交流施設でもある「南幌ビューロー」が設置されました。この南幌ビューローにはバスターミナル機能が設置され、駅跡地にほど近い場所に「駅」の機能が25年ぶりに復帰し、バス乗り場が各社でバラバラだったものが共通化されました。
 南幌駅跡の野幌方面。倉庫の裏側に線路があった
南幌駅跡の野幌方面。倉庫の裏側に線路があった
 南幌駅跡の夕張側にはバスターミナルなどの施設南幌ビューローが設置
南幌駅跡の夕張側にはバスターミナルなどの施設南幌ビューローが設置
 南幌駅跡看板
南幌駅跡看板
 「駅前通り」役場方面を見る
「駅前通り」役場方面を見る
南幌駅跡から夕張側も新たなニュータン整備が進んでいます。東町地区も線路跡地が貫いていますが廃止後の区画整理のため特に跡地とわかるものはありません。このニュータウンの線路跡地にあるのが夕鉄バスの南幌側の始終点である南幌東町バス停です。そしてニュータウンを過ぎるとまた「きらら街道」として線路跡を道路化しています。
 南幌東町バス停
南幌東町バス停
なので、南幌市街地の前後で道路としては線路跡をトレースできず大きくカーブしますが、ニュータウン内に特段用事のないクルマが入らない構造になっているのですね。
 南幌東町からきらら街道栗山・夕張方面
南幌東町からきらら街道栗山・夕張方面
ちなみに町の名前が南幌「なんぽろ」となったのは1968年、それまでは「みなみほろ」と読ませており、さらに以前は幌向村「ほろむい」でありました。駅は岩見沢市の国鉄線幌向と紛らわしいこともあり「南」の「幌向」として「南幌向駅」として開業し1963年に「南幌(みなみほろ)駅」、1968年に「なんぽろ」と読みを変えています。

双葉駅

市街地を抜けて田園地帯を走るきらら街道は旧夕張川を渡ると長沼町に入ります。双葉駅があった場所はやはり周りに特段何もない場所で現役当時も無人駅だったとされます。現在は付近に「夢きらら直売所」が設置されています。
 双葉駅跡
双葉駅跡
 双葉駅跡
双葉駅跡

北長沼駅

長沼町は旧夕張川から開墾していったと思われるのですが、夕張鉄道開業で長沼町中心部から離れて駅が設置された北長沼地区に農産品集積が行われここに「街」ができたと考えられます。ここも線路をトレースできませんが「駅前通り」がはっきりわかり、駅跡地は運送会社の敷地となっています。また、農業倉庫なども線路跡と並行していますのでわかりやすいですね。
 北長沼駅跡
北長沼駅跡
 北長沼駅前通
北長沼駅前通
 北長沼バス停
北長沼バス停
 夕張側からの駅構内
夕張側からの駅構内
きらら街道はこの付近から栗丘側に向きを変えますが、その代わりに線路跡をトレースするのが道道45号恵庭栗山線で、実際は線路は道路の北側を走っていたようです。

中央農試前駅

その道道45号恵庭栗山線がカーブして栗山に向かうなか、線路は直進していました。ただ、線路跡は田畑として生まれ変わっており、ほとんど確認できません。
当駅は1969年開設と新しく、わずか5年程度しか使われなかった駅でした。無人駅でその中央農業試験場が1966年に設置されたことで開設したようですが、実際の試験場までの距離が約1kmと遠かったのでクルマの利用も増えてきた時期、実際の利用がどのくらいあったのかは気になるところです。
 中央農試前駅跡
中央農試前駅跡
 中央農試前駅跡
中央農試前駅跡
 中央農試前駅跡
中央農試前駅跡
正直なところ駅跡はよくわからないというのが現状ですし、待合室などの設備が残ってるわけでもありません。

栗山駅

線路は夕張川を渡り栗山町に入ると大きく弧を描いて室蘭線に並行しながら栗山駅に入ります。夕張川には橋梁跡のようなものはぱっと見わかりません。ここからの一部区間は道路に転用されているようです。
 夕張川
夕張川
 道路に転用されている廃線跡
道路に転用されている廃線跡
 道路に転用されている廃線跡
道路に転用されている廃線跡
 道路に転用されている廃線跡
道路に転用されている廃線跡
 道路に転用されている廃線跡
道路に転用されている廃線跡
 室蘭線と併走する
室蘭線と併走する
栗山駅では国鉄駅とは跨線橋も繋がっており、島式ホーム1本だったように見えます。現在はJRは2本のホームで夕鉄側の敷地はコンクリート工場の駐車場に転用されているようですね。
 栗山駅
栗山駅
さて、ここから夕張鉄道は室蘭線を横断して夕張方面に向かうため高度を稼ぎ跨線橋で乗り越えます。この付近に富士川という川も流れており、室蘭線には鉄橋もあります。この川と線路を一またぎしているのですから、当時はかなりダイナミックな景色だったんじゃないでしょうか。現在もこの跨線橋の橋台が残っています。なお、この跨線橋は室蘭線の複線化のため1968年に改築されているはずです。あまり長い間使われなかった橋脚なのかもしれません。
 跨線橋橋脚
跨線橋橋脚
 夕張側線路跡
夕張側線路跡

角田駅

栗山から角田までの線路跡は残念ながらほとんど農地として転用されており、線路跡はほぼ窺えません。また、2015年には国道234号線角田跨線橋も解体され平面化されました。
 栗山角田間の線路跡栗山側
栗山角田間の線路跡栗山側
 栗山角田間の線路跡角田側、用水路に並行する部分はわかるが痕跡はない
栗山角田間の線路跡角田側、用水路に並行する部分はわかるが痕跡はない
 栗山角田間の線路跡栗山側
栗山角田間の線路跡栗山側
 栗山角田間の国道234号線角田跨線橋跡
栗山角田間の国道234号線角田跨線橋跡
昨年国道234号沿いの線路跡地にはN-GRITS栗山工場が建ちました。ここでは道産100%のコーングリッツを作る工場になります。
 N-GRITS栗山工場
N-GRITS栗山工場
この建物をかすめる形で線路跡になっており、角田駅跡部分に道路が延びています。
 角田駅跡、栗山方面
角田駅跡、栗山方面
 角田駅跡、夕張方面
角田駅跡、夕張方面

継立駅

角田から継立の間の廃線跡は一部道路化しています。ここが道路に転用になったのはそんなに昔のことではないと思うのです。道道3号札幌夕張線の跨線橋は廃止後も残されており、この下はずっと緑の「跡」だった記憶があります。
角田駅からの一部区間は農地に転用されていますがカーブした先からの直線区間は道路になっています。
 角田駅方面。線路は直進していた
角田駅方面。線路は直進していた
 夕張方面、道道3号線の角田跨線橋が見える
夕張方面、道道3号線の角田跨線橋が見える
この道道3号角田跨線橋(名称的には国道234号の跨線橋と同一なので路線名を加える)からこの道路への連絡は徒歩でも行えないので「道路」としては面白い構造です。
 道道3号角田跨線橋
道道3号角田跨線橋
 道道3号角田跨線橋
道道3号角田跨線橋
SL時代を知っているのが煤けた天井を見てわかります。
 踏切跡
踏切跡
 緩やかなカーブ
緩やかなカーブ
線路跡を道路に転用したので線路跡に並行する道路がつけられているのがそれとわかります。そして緩やかなカーブが線路跡であることを主張しているようです。
そして既存の道路と並行するように走る区間ではその部分がダートの駐車場などに転用されているのがわかります。
 駐車場
駐車場
 坂本九思い出記念館
坂本九思い出記念館
道路はそのまま道道3号と交差しますが、線路はこの町道を跨いで阿野呂川の合流地点を避けるようにポンアノロ川を跨いでいたはずです。
 ポンアノロ川の橋梁推定付近
ポンアノロ川の橋梁推定付近

さて、継立駅ですが、現在も建設会社の事務所として使用されています。線路やホーム部分は駐車場となっているようです。過去には裏側、ホーム側も撮影していました。
 継立バス停
継立バス停
 継立駅跡
継立駅跡
 継立駅跡(2020年)
継立駅跡(2020年)
 継立駅跡(2020年)
継立駅跡(2020年)
この付近も農業倉庫などがあり、その裏を線路が走っていた情景が見える感じです。
 継立駅付近
継立駅付近
 継立駅付近
継立駅付近

新二岐駅

ここからは道道3号札幌夕張線に線路は並行していたように見えます。一部は町道とも並行していたような感じですね。
 継立付近の線路跡
継立付近の線路跡
先ほどは道路に対して大きく迂回する形で勾配を取っている様が見えますが、さすがに継立から夕張方面は鉄道としては登っている感じです。道路勾配で10パーミル程度になりましょうか。
冒頭でも書きましたとおり新二岐駅は2023年2月に解体されました。過去に何度も通って撮影した割に、あまり管理できておらず過去の写真が見つけられていないので、見つかりましたら追加しますが、とりあえず2020年8月に訪問した際のものです。
 新二岐駅跡(2020年)
新二岐駅跡(2020年)
 新二岐駅跡(2020年)
新二岐駅跡(2020年)
現在はすっかり更地となっています。トイレはそのままのようですね。
 新二岐駅跡
新二岐駅跡
 新二岐駅跡
新二岐駅跡
当駅から角田炭鉱専用鉄道が分岐しており、道道3号が角田小学校跡付近で少し折れ曲がっているのはこの専用線の踏切があった場所と思われます。線路跡の一部が道路になっています。1970年まで現役だったこともあって、一部はたどれそうですが肝心の角田炭鉱付近は私有地のため立入禁止となっています。

錦沢駅

前回も記載の通り、既に廃墟となってから長年たち、野生動物の出没も懸念され錦沢駅への立入は行いません。ただ、今回、自転車道から新二岐側もすこし廃線跡がトレースできたので紹介します。
まず、新二岐駅を出発してすぐ阿野呂川を越えて夕張市内に入ります。富野地区の最初の交差点から山側に入ると夕張鉄道の築堤が見えます。
 富野地区の築堤
富野地区の築堤
 富野地区の築堤
富野地区の築堤
そして反対側は山中に入る線路跡です。
 富野地区の線路跡
富野地区の線路跡
 富野地区の線路跡
富野地区の線路跡
 富野地区の線路跡
富野地区の線路跡
残念ながらこの先は藪が濃く入ることはできなさそうです。
その先は以前も紹介したサイクリングロードとして一旦は整備された区間です。
 富野地区サイクリングロード
富野地区サイクリングロード
 富野地区サイクリングロード
富野地区サイクリングロード
 富野地区サイクリングロード
富野地区サイクリングロード
 富野地区サイクリングロード
富野地区サイクリングロード
 富野地区サイクリングロード
富野地区サイクリングロード
 富野地区サイクリングロード
富野地区サイクリングロード
今年もその先は藪の中、電気柵に阻まれている状態です。普通の装備では難しい上に野生動物との対峙を思うと簡単にはお勧めできない内容になります。

冒頭で紹介していますGoogleマイMapである程度の場所を記載しています。ただ、特に錦沢付近に行かれるのはおやめになった方が良いと思います。錦沢付近以外は自転車でも、クルマでもある程度跡地を回ることは可能です。

北海道の交通関係 夕張鉄道 廃線跡

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