北海道の交通関係


北海道の交通関係サイト終了のお知らせ

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函館近郊・興部・紋別方面の保存車両を見てきました

2023/09/27

保存車両のご紹介も滞っておりました。今回は函館方面に伺っています。北海道内に保存されている鉄道車両ですが、特に渡島、檜山管内は非常に少なく、なかなか足が向かなかった面があります。

北斗市総合体育館

上磯駅にほど近い北斗市総合体育館前の敷地にありますのが、旧日本セメント上磯工場5号機関車です。現在の太平洋セメント上磯工場と鉱山の石灰石、粘土、人員輸送を行っていた鉄道となります。
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
上磯町時代に設置された看板です。1923年(大正12年)の製造という国産で製造された最初期の電気機関車になります。自重16t、主電動機は45kwが2台となっています。看板はなかなか細かいことが書いてあって、この手の案内看板ではちゃんと関係者が記載していることがわかります。
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
機関車には屋根がかけられています。新製当初に復元とはしていますが、パンタグラフなどは引退当時のものと思われます。
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
連結器はピンリンク式で手ブレーキのみで貫通ブレーキはありませんが、電磁吸着ブレーキが設置されていたようです(ステップでよく見えませんね)
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
 日本セメント上磯工場5号機関車
日本セメント上磯工場5号機関車
車内も公開されており、鐘も目の前にあるのがわかります。現役当時から鐘は1個だったようです。
なお、製造元である東洋電機には当路線で運用されていた2号機関車が保存されているとのことです。

この地にセメント工場が設置されたのは1890年(明治23年)と現在の道南いさりび鉄道線である江差線が軽便線として上磯まで開業した1913年(大正2年)より古いわけで、その後1930年(昭和5年)に木古内までの延伸工事を行う際に大きく工場を迂回して線路が設置されることになります。さらに工場と鉱山を結んでいた当機関車が走っていた専用線を支障しないようオーバークロスしています。

この工場の路線は峩朗線と万太郎沢線があり、峩朗鉱山からの石灰石輸送、万太郎沢鉱業所からの粘土輸送が行われていたとのことです。廃止は1989年と思ったより近年であったことがわかります。現在峩朗鉱山からはベルトコンベアによる輸送となっており、万太郎沢鉱業所は廃止となっているように見えます。その方わらに北海道新幹線の万太郎トンネルがあります。


茂辺地北斗星広場

茂辺地駅にほど近いこの広場に寝台特急北斗星で使用されていた客車が保存されるすることが計画されたのは2016年1月のことでした。

「北斗星」保存 北斗市で 客車譲渡、用地めど 地元有志 全国から資金募集へ
2016/01/03 北海道新聞 函館面
> 保存活動を進めているのは、地元の若手商工業者らでつくる「『北斗の星に願いを』プロジェクト推進委員会」。3月に北斗市内に北海道新幹線新函館北斗駅が開業するのを前に、まちおこしに取り組んでいる。
>北斗市との協議で、江差線茂辺地(もへじ)駅近くの市有地を使えることになった。車両についても、JR北海道から譲渡の内諾を得ているという。


大事なことは地元自治体と車両の提供元であるJR北海道に正式に依頼していることです。そのため茂辺地中学校跡地である設置場所が確保され、車両についてもJR北海道から内諾がある状態で、あとは資金ということでクラウドファンディングにて募集し順調に資金を調達できたことから、2両の客車が2016年7月に現地に搬入されました。

しかし、維持費用としても期待された敷地内の飲食店は1年で閉店、その理由として報道では「店の運営方法や広場のにぎわいづくりなどで住民と考えの相違があったとみられる。」としています。北斗市も建物などの整備に2700万円の補助金を拠出しており、その後は地域住民で食堂を運営しますが、現在は食堂としての運営は行っていないように見えます。

2022年4月からは車両内やトレーラーハウスでの宿泊を受け付け、ゲストハウスとして活用することになります。
車両はロビーカー、個室ソロ合造車のスハネ25 501とBコンパートのオハネフ25 2の2両です。

 茂辺地北斗星広場
茂辺地北斗星広場
 茂辺地北斗星広場
茂辺地北斗星広場
 茂辺地北斗星広場
茂辺地北斗星広場
 茂辺地北斗星広場
茂辺地北斗星広場
 茂辺地北斗星広場
茂辺地北斗星広場
 茂辺地北斗星広場
茂辺地北斗星広場
なお、今回は宿泊を伴わず訪問していますので、内部及び敷地内の訪問は行っておりません。話のタネ的に一度は泊まってみたいですね。


函館市桔梗地区のいくつか

茂辺地からは江差自動車道で本当に短時間で函館市内に戻ってきました。駅で言えば七重浜に近い西桔梗、桔梗地区にいくつか廃車体が置いてあります。
 西桔梗付近
西桔梗付近
 西桔梗付近
西桔梗付近
渡島大野駅の駅名標や動輪などが置いてあるのですが、多分個人宅でありますので敷地外からです。
 函館市電722号
函館市電722号
2015年に廃車になった函館市電722号車ですが、函館市が売却を検討も入札が無く解体が予定されたところで市内の企業が購入することを打診したとのことです。当時の新聞記事では社員の休憩場所としての利用を検討していたようですが、実際使われているのかは判断できませんでした。
 ききょう幼稚園
ききょう幼稚園
 ききょう幼稚園
ききょう幼稚園
休日なので敷地外からですが、781系電車と快速海峡に使用されていた50系客車が保存されています。


さて、5月に名寄線下川-紋別などの保存車両を見てきていますが紹介していませんでしたので、ここで。

下川駅跡 にぎわいの広場

名寄線下川駅跡はバスターミナルが整備され、キハ22 237・キハ22 245の気動車2両が保存されています。2両とも1965年の製造で1989年に廃車になっていますからわずか24年ほどしか使用されていません。国鉄末期にはデザイン的にも酷く旧型に見えてはいましたが、その後キハ40などが40年も使用されることになるわけで、まぁ、材質的にも整備的にも様々な問題はあったんでしょう。この最終期のキハ22は後継形車両を嫌い旧型車両のままに発注されたという経緯もありまして、国鉄の体質的な問題なんかも感じないでもありません。
 下川駅跡
下川駅跡
 下川駅跡
下川駅跡
 下川駅跡
下川駅跡
 下川駅跡
下川駅跡
なお、2両とも車内は立ち入れないようです。現役当時とは色は違うもののJRマークや車両の表記などはしっかりしているのは嬉しいところです。


上興部鉄道資料館

上興部駅は駅舎を保存しており、その背後にはキハ27が停車しています。駅舎内はこの日は見ることができませんでしたが「乗って残そう名寄本線」の横断幕があるなど、最後までJRでの維持を強硬に主張した興部町の印象も見えます。なお、名寄線は第三セクター鉄道での一部区間の存続が模索されたものの、分断されることになる興部町が全線の維持を主張、結果的に全線の廃止という経緯を持ちます。(もちろん三セク維持とて当時の世相や予算的な問題があり難しかったとも思えますが)
 上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
 上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
 上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
 上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
 上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
 上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
急行形気動車として全道で運用されたキハ27 109が保存されています。1965年の製造で札幌ベースで札幌と地方を結ぶ各路線で使われています。多分急行なよろや急行紋別でも使われたことでしょう。1990年の廃車となります。
綺麗に塗り直された跡はありますが、それからさらに年月が経っています。下川同様に表記類をJR関係者が書いているようにも見えますね。
ロータリーヘッドはDD14 302号機のもので、機関車本体のカットされたものが某所で保管されているとされています。こちらは1966年製造1990年廃車です。


道の駅おこっぺ

興部駅の跡地には道の駅が開設されています。興部交通記念館、バスターミナル設備を使った形です。ここに保存されているのがキハ22 202とキハ22 251で無料宿泊所としての利用ができる形になっています。そのため車内の座席は無く、フラットな空間になっています。
 道の駅おこっぺ
道の駅おこっぺ
 道の駅おこっぺ
道の駅おこっぺ
 道の駅おこっぺ
道の駅おこっぺ
 道の駅おこっぺ
道の駅おこっぺ
 道の駅おこっぺ
道の駅おこっぺ
キハ22 202は1963年製造1989年廃車、キハ22 251は1965年製造1989年廃車の車両です。


渚滑駅跡

渚滑駅跡は廃線後パークゴルフコースなどに使われていましたが、1999年に食品加工施設が整備され、その後2004年に運動公園に保存していたSL9600型69644を移設し保存しています。

紋別市運動公園のSL→旧渚滑駅跡地に移転 車体の部分補修も 市立博物館「長期の原形保存へ努力」
2004/03/30 北海道新聞 オホーツク面
>市運動公園の蒸気機関車(SL)が、公園の整備改修に伴い、旧渚滑駅跡地に移される方向となった。車体の補修費も含め、移転費用として市の新年度予算には七百五十万円が計上されている。


1975年から紋別市内で保存されていましたが、市は運動公園の整備のため解体することを検討していたもののファンからの声で保存されたという記事です。

 渚滑駅跡
渚滑駅跡
 渚滑駅跡
渚滑駅跡
 渚滑駅跡
渚滑駅跡
 渚滑駅跡
渚滑駅跡
 渚滑駅跡
渚滑駅跡
案内看板は当時のままのようです。
1922年(大正11年)製造、1934年から北海道で使われていたようです。1975年に遠軽で廃車となっており、末期は名寄線専属だったと思われます。前面の警戒色は2004年時点では塗られておらず、あとから現役最終期の姿として塗られたように思われます。


五鹿山公園キャンプ場

中湧別の五鹿山公園には客車があったことをすっかり忘れていました。
スハフ42 518とスハ45 31がモーターカーとともに保存されています。宿泊施設となっていますのでスハ45はお座敷状態に、スハフ42は座席にテーブルが設置されています。内部も確認できます。
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
 五鹿山公園キャンプ場
五鹿山公園キャンプ場
近代化改造後の旧型客車がしっかりとした形で残っています。スハ45 31は1954年製、1966年に近代化改造され1984年に廃車。スハフ42 518はスハフ42 114として製造され関西圏で使用、1964年近代化改造、1976年に北海道型改造、1984年廃車。そう思うと旧型客車もなかなかに短命といえるのかもしれません。
それは国内の様々な設備が蛍光灯化だったり木製ではなくプラスチック、リノリウムが好まれたりする面ですね。そして自動ドア化できないことも廃車を早めた理由でしょう。


北見滝ノ上駅跡

1985年に廃線された渚滑線の終点駅でした。過去には上川方面への鉄道延伸も計画されたとのことではありますが、現在は1984年に開通した浮島トンネルを経由する国道273号線として道路が結ばれています。結果紋別から旭川、札幌への最短ルートとなっており、中湧別、遠軽を経由する名寄線ルートが使われない、鉄道としての意義が見いだせなくなった理由の一つでしょう。北見滝ノ上は移築されてはいますが駅舎が綺麗に残されています。
 北見滝ノ上駅跡
北見滝ノ上駅跡
 北見滝ノ上駅跡
北見滝ノ上駅跡
 北見滝ノ上駅跡
北見滝ノ上駅跡
 北見滝ノ上駅跡
北見滝ノ上駅跡
 北見滝ノ上駅跡
北見滝ノ上駅跡
 北見滝ノ上駅跡
北見滝ノ上駅跡
車両として残るのはモーターカーのみです。


滝上町郷土館

大きく郷土資料館・生活歴史館・SL館とわかれています。開設当時から多分展示内容を入れ替えていないと思いますが、その結果かなり貴重なものが雑多に展示されていて見飽きません。
そのSL館には屋内展示でSL9600型39628、除雪車キ277を保存しています。1975年に展示開始されたときは屋外展示だったはずで1978年の郷土館新築に伴い移設されたのではと想像します。39628は1919年(大正8年)製造で配置以来北海道を出たことのない機関車だったはずです。1975年に廃車され保存車となっています。キ277は1953年製造で、機関車と一緒に来たものなのかどうなのか。
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
 滝上町郷土館
滝上町郷土館
なお、こちらの機関車も警戒塗装がされたものです。ただ、デフの側面はやり過ぎ感があります。綺麗に塗装はされていますがキ100側は塗装が剥がれており下地と合わないものを塗ったのかもしれません。

今期はもう数カ所回りたいところですね。

北海道の交通関係 保存車両

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