北海道の交通関係

もし今でも「国鉄」だったなら北海道の鉄道はどうなっていたか

2016/09/12

昨今のJR北海道のさまざまな事柄について、「民営化自体がおかしかった」「国鉄のままだったらこんなことにはなっていなかった」とご発言される方が多々いらっしゃいます。

では、国鉄のままだったら北海道の鉄道は健全であったのでしょうか?少々検討してみたいと思います。

●国鉄末期に置かれた状況
1980年代の単年度国鉄赤字額は1兆円以上となり、1981年に国からの補助金は7,000億円を突破する状況でした。それでも債務の金利負担すら難しい状態にありました。

国鉄職員は約40万人、全国一律の経営であり、労使ともにコスト意識が薄い組織で。最終的に民営化直前には27.7万人となり、そのうち20.1万人はJR新会社に採用、7.6万人が政府機関、民間企業へ再就職しました。

国鉄は運賃制度、人事制度、投資計画等様々な国の規制を受けており、独自の経営判断ができる余地が無かった。また、副業にも制約があり、駅ビルや駅構内の旅行会社は民間企業と手を組んだものとなって、必ずしも国鉄の収益にはなりませんでした。

特に運賃制度は1960年代に国の要請で運賃改定ができず、赤字額が広がった結果70年半ば以降はほぼ毎年運賃を上げざるを得ず、利用者離れが加速度的に進んでいきました。

国鉄末期の債務残高は37兆1,000億円と巨額であり、本州JR3社および貨物会社が11兆6,000億円を負担、残る25兆5,000億円を国鉄清算事業団処理としました。最終的にはJR本州3社が14兆5,000億円を負担。国鉄清算事業団は債務を減らすことができず解散、現在は鉄道・運輸機構が引き継いで処理を行っています。タバコ税の一部が国鉄債務償還に使われているのはご存じの通りかと思います。

これを鑑みて、国鉄が続いていたらを考えてみましょう。時間は1980年に戻ります。


●日本国有鉄道経営再建促進特別措置法
1979年時点の国鉄は年間赤字額が既に8,000億円、国の補助金額も6,000億円以上にふくれあがっていました。また、輸送量も1975年の21千万人キロをピークに減り続けていました。
このままでは国鉄の経営破綻は免れず、国の負担も増え続けることも避けられないと判断した時の政府は新しい法律で国鉄の経営基盤を安定させようと考えました。それが、国鉄再建法とも称されるこの法律です。
この法律は今のJRにも色濃く影響を残す法律になります。

・全国一律の運賃制度から、地方交通線の割増運賃の導入が可能になった
現在も残る地方交通線の定義がこのときに誕生しています。コスト削減努力をしてもなお収支の均衡が困難である路線を運輸大臣の承認を受けて制定しています。つまり、現在時刻表の青色の線で描かれた地方交通線はこのとき制定されたものです。

・鉄道による輸送に変えて路線バスによる輸送を行うことが適当である基準
このときに輸送密度が4,000人/日を基準にした廃止線候補が選定されます。北海道の鉄道路線は幹線ですらこの基準をクリアできない路線が多数ありました。しかし線区一律で選定されることもありますし、北海道では季節による輸送差も大きいことから考慮され廃線されなかった路線があります。
○ピーク時の乗客が一方向1時間あたり1,000人を超す
 宗谷本線・石北本線・富良野線・札沼線・江差線
○代替輸送道路が未整備
 深名線
○代替輸送道路が積雪で年10日以上通行不可能
 北海道は該当無し
○平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人/日以上
 釧網本線・留萠本線・日高本線

さて、この法律に遡るところ10年以上前、1968年にも同様な国鉄路線廃止の取り組みがありました。それが「赤字83線」です。このときには新線建設が続けられた状態での廃止であり、世論の理解を得られず結局たいした成果を上げることができなかった反省から、国鉄再建法では線区の事情を鑑みる形にはせず、あくまで「数字」による見える形での定義を行いました。このため路線が所属する区間によっては矛盾するような選定が行われることになりました。たとえば木古内-江差は江差線に所属しているものの、その輸送量は木古内-松前の松前線に劣っていましたが、江差線は全線生き残り松前線は消えることになります。

そして、この法律が施行されるまでは、地方の新規路線工事が行われていました。北海道では名羽線や美幸線、興浜線などがあります。この新線建設についても想定される利用客数が基準以下であれば建設中止という判断が行われました。1981年を最後にこれらの路線の工事は中止されます。


●国鉄改革関連8法が否決されたらどうなっていたか
国鉄改革関連8法は国鉄の分割民営化を定義した法律です。1986年にこの法律が施行され、国鉄は分割民営化の道を進んでいきます。これが否決されたらどうなっていたでしょうか。

既に1982年から職員の新規採用は行われておらず、累積債務は37兆円、利払いだけでも年1兆円を超えるような財務状況になっていました。これを国からの補助金8,000億円をつぎ込んでも利払いできない状況であり、実質的に国鉄は破綻していた状況になっています。

しかしながら先の国鉄再建法で路線廃止は順調に進んでいましたので、1987年時点の路線数は現在のJR各社の路線と大きくは変わっていないと考えられます。(あくまで国鉄再建法と分割民営化はリンクしていない)しかし、民営化を前提にした様々な施策は行われなかったと考えられます。分割民営化を前提にしていた1986年11月1日ダイヤ改正での内容が行われなかったと考えられるわけです。


●1986年11月1日ダイヤ改正
この改正が国民への新生JR後の「このようにしていきます」のお披露目になる改正になります。国鉄の東京編重の考えから地方への移譲を前提としたダイヤになります。
この改正では北海道地区は以下の変更が行われました。

○郵便・荷物輸送の撤退
非効率である機関車牽引の客車列車が残っていた理由が、荷物車、郵便車連結のためであります。列車によっては客車2両に6両の郵便荷物車のようなものすらありました。

○札幌圏列車増発
1984年から始まった札幌圏電車の増発がさらに追加で行われました。札沼線の増発も行われ主な札幌圏はほぼ30分以内に列車間隔が詰まりました。

○札幌中心に特急増発
札幌-旭川のライラック等に使われる6両編成の781系車両を4両編成で運用するための改造が行われ、列車の増発が行われました。

○地方線区の本数縮減
石北線の上川-白滝の普通列車が1往復になったのがこの改正。地方路線の本数縮減が行われました。

○地方特急・急行の廃止
長万部-倶知安-小樽の函館本線は特急・急行の運行が終了、多くの急行が廃止され一部は特急に格上げされたものの、日高線急行えりも等地方路線直通の急行については多くが廃止されました。

○食堂車廃止
80系特急車を使用していたものが多く廃止になったため、おおとりやオホーツクの食堂車が廃止になりました。

○新車導入
老朽気動車置き換え用にキハ183系(500番台)を導入。最高速度が120km/hにできるよう設計されていました(当時110km/h)
また、地方路線普通列車用キハ54型気動車29両が導入された。また、旭川-稚内の急行礼文用にも使用されるようになりました。(改正から遅れての登場)
この新車は北海道会社は新車を買うだけの体力が無く、しばらく旧型車両を使い続けるだろうという配慮から、国鉄時代のうちに起債して購入し、新会社が負担しないようにしたものです。このときの新車は結果的に本州3社等が償還したことになります。

これらのことが一切行われず、1987年4月1日、まだ国鉄が残っていたらを考えます。


●1987年4月1日時点の「国鉄」
・職員
民営化時のJR北海道の職員数は約1万3千人、そして北海道から広域転配で本州に移動した職員は6000人にのぼりますので、国鉄末期の北海道の国鉄職員数は約1万9,000人と想定されます。その方々はそのまま残ったと考えます。
人員は自然減しか期待できませんので、10年程度新規採用はできず、それでも現在のJR北海道社員数7,000人より多い人員で運行されると考えられます。そのため高コストな体制が維持されます。

・車両
北海道会社移行のための新車導入は行われません。1980年代初めに導入された781系、キハ183系(初期車)711系後期車、キハ40型が最新型車両です。
特急車両としては1960年代後期に製造されたキハ80系が現役。
普通列車用としては1960年代前半に製造されたキハ22が大量に残っている状態です。機関車牽引の旧型客車もまだ残っており、50系客車による通勤対応列車も数多く残っていたと考えられます。

・路線
廃止対象路線はほぼ廃止済みですが、松前線、歌志内線、名寄本線、天北線、池北線、標津線等の廃止はもう少し待たなければなりませんでした。また、深名線、上砂川支線、江差線などは現役、青函トンネルの開通はもう少し後で青函連絡船が存在しています。これらの廃止は行われたと思いますがもっと後だった可能性もあります。

・運賃
国鉄の運賃は1978年以降は1983年以外は毎年値上げされていました。1974年の初乗りは30円、これが1985年に140円となり、国鉄最後の運賃値上げは1986年7月です。このあとも毎年のように運賃を上げなければならないと考えられます。

●国鉄のままで1992年を迎えたら
・青函トンネル
1988年に開通しています。運行はJRと同様旧タイプの機関車および客車を改造による快速「海峡」と485系による「はつかり」が運転されたはずです。夜行列車についてはロビーカー、シャワー室、4人用個室(開放型に簡易扉を着けたもの)は設置されたと考えられますが、豪華な個室と食堂車が連結されたとは考えにくく、最終機の「あさかぜ」のような編成だったと考えられます。
「はまなす」はカーペット車やグリーン車シートの指定席はなかったかもしれません。

・新千歳空港輸送
新千歳空港ターミナルが1992年に開通するため、北海道は千歳線の乗り入れを政府、国鉄と交渉するも新規に鉄道を開通させる予算は取れないと断られたと考えられます。国鉄の加算運賃による建設費の回収は前例がなく、北海道など自治体から資金を得る形での新線建設も前例が無いため新千歳空港への輸送は当時の千歳空港駅からバスによる輸送となったと考えられます。この結果国鉄北海道としてはみすみす収入源を逃す上に、新千歳空港のアクセスが悪すぎることが後々の北海道経済に悪影響を与えることになったと考えられます。

・関連事業
国鉄の関連事業は非常に制限されており、その枷はまだ続いています。札幌駅高架開業は1988年に終わっていますが、駅ビル収入は望めず、三セクの札幌ターミナルビルがエスタを運営していたくらいで、ステーションデパートの拡張としてのパセオがどのような形態で開業していたかは未知数。地下が存在せずもっと小規模なお土産施設等のテナントしかないような状況であったことが考えられます。

・運賃
ほぼ2年おきに8%程度の値上げが行われたと考えられます。初乗り運賃は消費税引き上げ分を含み170円程度になっています。

・経営
債務残高は40兆円を超えており、年間赤字額1兆円以下に抑えるという大義名分で、列車の削減、駅廃止無人化、交換設備撤去などの合理化が推進されると考えられます。
鉄道の特性を生かせる中距離輸送すら高速バスの台頭により客数を減らしている状況です。なお、道央道旭川鷹栖開通が1990年、1992年には室蘭方も伊達まで開通しています。JR北海道はこの時期に785系電車でスーパーホワイトアローを運行し高速バスに対抗していますが、国鉄のままとして、新車導入は難しく、増便も難しい状態と考えられます。
余剰施設の売却は国への申請が必要なため進まず、東札幌駅等の遊休鉄道施設が野ざらしになったまま放置されているような状況になっていると思われます。

・職員
職員給与の減額、希望退職の募集が行われる。バブル時代に給与が上がっていない結果、民間企業との給与差があるため、希望退職には応募があるが、バブル崩壊後の不景気期間でもあり、職員の不満はピークに達する。職員数は1万5000人程度。

・労働争議
職員給与減額等に反対するストライキが発生、北海道内では7日間にわたり一切の国鉄線の運行がストップ。札幌圏の通勤列車は利用客の増加に車両数が追いついておらず利用客の不満の大きかった中でのストのため、上尾事件のような利用客による暴動も発生、大きな破損を受けた手稲駅はその後10日にわたり営業ができず通過扱いにより運行(このような暴動が起きてもおかしくない状況が考えられる)

・車両
JR化後に導入されたエアポート用新車721系、785系などは存在していません。輸送力が逼迫していた札幌圏には客車の他耐用年数の切れているキハ22などの雑多な気動車による輸送力列車を運転。「手稲事件」を受けた国鉄は711系のシステムのままステンレス車体とした711系1500番台を導入。しかし財政難もあり最低限の両数しか製造できず、札幌市は地下鉄東西線の延長を検討。
地方路線も比較的状況の良いキハ40を札幌圏増発用に集めたことから未だキハ22などを使用せざるを得ず、車両故障による運休が多発している状況である。
特急車両はキハ82の体質改善、特別保全改造が進行し、運行本数が確保できないため一部の特急を減便。一部を14系客車による運行に変更。このためさらなる列車速度の減少を招き、バス等に客を取られる事態となる。

・路線
年間赤字額1兆円未満を合言葉に、改正国鉄再建法が成立。1987年-1989年の平均輸送密度5000人/日未満の路線を対象とし、今回は路線名称に関わらず区間による廃止を認めることを決定する。除外規定についても細かく設定し、沿線道路事情による廃線拒否も難しくした。また、幹線であってもバスで足るほどの普通列車利用者数の場合、原則的にバス代行できるようにした。
これにより1997年までに深名線、留萌線、日高線、釧網線、函館線長万部-小樽、江差線木古内以西、札沼線石狩当別以北、根室線釧路以東を廃止することが決定。函館線、石北線、宗谷線では一部普通列車のバス代行が行われることになった。

・路線近代化財源
このままでは国鉄はジリ貧になることが確定した状況であり、特に地方線区での旧型車両の置き換え、非自動化設備の更新が急務となったことから、今後20年維持するべき路線を選定し路線近代化を図ることとなった。起債は国鉄が行うが、既に国鉄に返済能力がないことからタバコ税を財源とする特定財源により国が債務保証を行うこととした。予算規模は年1兆円規模で、5年程度を掛けて行うこととなる。
これにより北海道では特急気動車、地方路線用気動車50両を確保したが、線路設備の改修はあくまでも維持を前提にしており、高速化などにはとうてい足りない状況であった。


なぜ、国鉄のままとJR転換でここまで変わるのでしょう。それは債務の有無です。JR北海道は国鉄債務負担を免除されました。その上で経営安定基金を付与され、その運用益で赤字をカバーすることにしました。そのため、最低限の車両などの設備に投資する資金は用意でき、設備改善で客が増えれば、さらにそれを投資に回せるというサイクルが生まれます。経営安定基金自体は税金ですが、これを取り崩すことは認められず、その運用益は税金では無いので、国としても補助金などで赤字補助する必要がないわけです。あくまでJR北海道は自主的に運営できる土壌を手に入れたのです。
1992年当時、札幌圏の設備改良に積極的に投資した上、高速道路延伸に対向するため最高速度を130km/hに上げた新型特急車の導入に踏み切りました。これを行っていなければJR北海道はもっと早くに破綻したはずです。加算運賃導入による新千歳空港アクセス線整備は民営化で可能になったものですし、札幌駅高架による駅ビル施設の賃貸収入も国鉄のままではできなかったことです。
国鉄時代にあらかた不採算路線を廃止しており、赤字額はおおきいものの運用益を回せる以上少なくとも90年代のJR北海道は健全な経営でした。



●国鉄のままで1997年を迎えたら
幹線以外のほとんどの路線が廃止済みである。残っている路線は、
函館線・室蘭線・千歳線・根室線・石北線・宗谷線・富良野線
のみ。すでにほとんどの区間で地域輸送はバスへの代行を行っており、札幌圏輸送と函館・旭川・北見・帯広・釧路への特急列車および、各地域の細々とした輸送のみという状況です。
貨物列車は既に車扱いは無く、コンテナ輸送による限られた本数だけが運行されている状況です。貨物輸送も機関車の寿命が来ており、新たな投資が難しい状況です。

国鉄北海道の職員数は約1万2,000人になっていますが、採用抑制がすでに15年以上となっており、しかも転職可能な職員から逃げ出していく有様。20代の職員は皆無で、定年退職者による自然減は続いています。

利用客も国鉄には既に選択肢から離れており、国内旅行の国鉄シェアは下がる一方となっています。しかし、財務的には札幌圏と特急のみを運行していることから赤字額が大幅に改善されています。国鉄全体では赤字額と補助金額がほぼ釣り合う状況となりました。これは北海道だけでなく本州も含めて多くの赤字線を切り捨て、首都圏と新幹線に投資したからに他なりません。好調である新幹線も未だ高速化が遅れ、航空との競争に晒されたまま。東京-大阪の新幹線シェアは40%を割り込む状況ではありますが、経営に寄与していることは変わりません。東北新幹線の延伸論議はストップしたままとなっています。
投資したとはいえ首都圏の混雑は改善されず、時折労働争議と利用者による暴動事件が起きていたと考えられます。

相変わらず車両導入ができないため札幌圏では地方線用気動車も動員してのラッシュ輸送を行い、限られた新千歳空港輸送も耐用年数の過ぎた急行型気動車をリニューアル改造した専用編成が登場しています。急行エアポートと称していますが、冷房も無く乗客受けは悪いままです。


90年代後半のJR北海道は道も出資した第三セクターを利用した資金で根室線の高速化を行い、スーパーおおぞらがデビューします。地方と札幌を高速に結ぶための車両としてキハ201が登場したのもこの頃です。札幌圏にはロングシートで混雑を緩和した新車も登場、札幌圏の好調さが伺えます。しかし、関連事業で投資していた帯広エスタが破綻するなど不景気もあり、関連事業収入に陰りがあったのもこの頃です。国鉄が自治体等から資金を受けて設備投資することは法律上できませんでした。これは裕福な自治体が自分の地域だけ設備改良するようなことは国鉄の経緯から正しくは無いという観点から発生したもので、民営化したJRにも適用されていましたが、徐々に緩和されてきたという経緯があります。2000年代になるとJR西日本に対し融資した島根や鳥取のような自治体も現れます。



●200X年国鉄解体
既に鉄道の未来が無いことは明らかとなったことから国は国鉄解体を前提に民営化を議論します。比較的優秀な成績を上げる都市内輸送をメインとして、私鉄として運行することを検討するもので、都市間輸送は貨物輸送と特急、新幹線により担保、ローカル区間の普通列車は廃止し、バス転換による代替を検討するというもので、鉄道ネットワーク自体を根本的に改める内容となります。

この場合、民営化後の新会社は地方路線の維持を行うことができません。それは、首都圏会社、東海会社、西日本会社は地域輸送の普通列車のみを運行する組織で、黒字にはなってもその利益全てが国鉄債務返済に充てられることになるからです。あくまで債務返済のための確実に黒字になる路線を残すだけの組織です。
札幌、仙台、広島、福岡等の地域会社は国鉄債務返済は免除ながら今度は赤字が出ても国は助けないという方針となります。
そして中長距離部門と貨物の「新国鉄」は地方路線の普通列車は一切走らせません。新幹線収益で地方特急の赤字を埋め、なおかつ残る利益は全て国鉄債務返済に充てます。
つまり、幹線路線沿いであっても、地域会社に漏れる路線は普通列車などの地域輸送列車が運転されないという事態なわけです。

北海道内は札幌圏およそ500kmの路線を札幌圏会社として運行する。残り路線は貨物輸送と新幹線を含む中長距離旅客輸送を兼ねる全国組織「新国鉄」に移行し旅客輸送は新幹線・特急のみとなります。

約50兆円に広がった累積債務は関東会社・関西会社・東海会社および新国鉄で30兆円、新設する清算組織が20兆円を負担するというものです。

計算上は債務負担が無ければ札幌圏会社は黒字を維持でき、新国鉄は新幹線収入で黒字を達成できる計算となります。しかし、もう普通列車で全国縦断するような旅はできなくなります。地域の足だった鉄道は、目の前を走っていても、それは貨物と特急のみ。地方の多くの駅は廃止となり、ネットワークとしての鉄道はずたずたにせざるを得ませんでした。
各鉄道会社の通算運賃は行わず、特急から普通に乗り換える駅では中間改札が作られ、線路を共用するにもかかわらず別会社という制度となります。

しかし、そうでもしないと50兆円までふくれあがった債務を返済できないのです。そして、新会社への雇用は国鉄-JR以上に厳しいものになりました。50歳以上の職員はほぼ受け入れず、30歳未満の職員は皆無、北海道関係の職員は5000人程度しか必要ないためです。

債務は無いとはいえ札幌圏会社は特急収入が無いために非常に困難な運営を余儀なくされます。新国鉄とのダイヤ協議も苦心し、待避設備等の合理化を行いたくても新国鉄側との協議があります。

新国鉄は特急のみの会社とはいえ債務を抱えており、それまで設備投資をおろそかにしていた関係から新幹線を中心に大規模な投資が必要となりますので、在来線昼行特急への投資はできにくくなっています。貨物列車と夜行列車については機関車を供用できる効率の面はありますが、客車の老朽化は否めずそれを新規で新設することも難しい状態です。民営化後の第1弾として北斗星のリニューアルを敢行しますが、すでに国鉄改革で鉄道が残ると説明された時代から約20年、路線は幹線すらずたずたになっており、災害の迂回ルートすら無い状態、既に鉄道にあきらめを見ていた利用客が鉄道に戻ってきたのか。それはわからなかったでしょうね。
また、整備新幹線事業が新国鉄により動きだすことになります。並行在来線対策は既に並行在来線区間の普通列車運行を取りやめていることから自社で運営し、貨物列車専用線とすることで発生しません。この点は現在の整備新幹線よりいいところかもしれません。


2000年代は改正JR会社法で本州3社が特殊会社の枠を離れ完全民営化を達成したものの3島会社はそのままJR会社法で縛られることになります。それまでも関連事業は国土交通大臣の認可事業で、人事等も国の関与があります。本州3社はそれから離れ自由な事業ができるわけです。(それでもなお「配慮すべき指針」などという縛りは存在している)
低金利で経営安定基金の運用益が確保できず資金不足に陥ったのもこの頃で徐々にJR北海道の体力が奪われていったと考えられます。しかしながら東北新幹線延伸での新型特急スーパー白鳥導入や直営バス路線の分割、閑散区間輸送用にバスを改造したDMVの検証などの施策を行っていた頃です。



●さいごに
国鉄が生き残るためにはとにかく単年度赤字を解消することが求められたはずです。国鉄末期に1兆円の赤字ですので、相当な廃止と職員削減を行わない限りこれが達成できないことは明かです。もしJRにはならず、国鉄のままなら赤字路線は第3次廃止対象路線が済んだ後も4次5次と続いたことが考えられます。その中では特急も走るような路線も含まれた可能性が高いです。石北線や宗谷線など国鉄時代ですら4,000人/日を達成していませんでした。
赤字が解消するまで廃止を繰り返し、職員を解雇(これもかんたんにできないので、結局は余剰人員であふれることになったと思われる)し、しかし副業もできず、新しい取り組みもできない国鉄。それは全く夢も希望も無い世界です。

1987年当時国鉄の債務残高が37兆円だったために6社と貨物会社に分割することで、路線廃止を最小限に、本州3社が債務返済できるぎりぎりを探ったと考えられます。JR東日本があのくくりであるから首都圏収入で東北のローカル線を維持でき、なおかつ債務も返済できると考えたからです。また、仮に北海道を東日本に加えると債務返済ができず、債務を全て国が負担することになりかねなかったことになり、それは国民の理解を得られなかったと思われます。
新鉄道会社に債務返済の一部を負担させ、三島会社は手切れ金を渡して国としては補助しない方法なら国民の理解も得やすく、また、北海道の余剰人員を人員不足の首都圏などで雇用できるメリットもあります。それでも全国で7万6,000人が鉄道以外に転職を余儀なくされたことを思うと、どれほど国鉄の民営化がすさまじい努力で行われたか想像できるはずです。

国鉄が良かった、分割民営化は誤りだったと言うのは簡単なことです。しかし、国鉄がそのままだったら、今の路線が維持されていたとはとても考えられません。そして、先のシミュレーションでは、利用客の多い路線に設備投資できず、さらなる客離れを招き、利用者の少ない路線は維持できないという悪循環が続いていくことを想定しました。
これは鉄道の完全な敗北です。鉄道に夢も希望も無い、ただビジネスライクな鉄道。そんなものが素晴らしいと誰が思うことができましょう。

本当に国鉄のままだったらJR北海道の今の問題は無かったでしょうか?本当に分割民営化が鉄道の未来を潰したんでしょうか?本当に国鉄はそんなに素晴らしい組織だったんでしょうか?

分割民営化から30年です。少なくとも分割民営化時20年は大丈夫という観点で転換されたはずです。でも、30年は難しかった。今また枠組みを変える必要があります。その気概が当のJRにも国にも自治体にも国民にも無いのです。

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