北海道の交通関係

北海道新聞「民営化」の幻想1-5

2017/01/04

<「民営化」の幻想=揺れる鉄路第1部>1 消えた「上下分離案」 2016/12/30
 JR北海道が鉄道網の半分を「単独では維持困難だ」と公表し、沿線の自治体や住民が不安を募らせている。JR7社の発足から来年4月で30年。「分割民営化」と呼ばれる国鉄改革をあらためて検証し、危機の源流を探った。(「揺れる鉄路」東京取材班が担当し、8回連載します)
 旧国鉄の鉄道施設は、国が恒久的に所有、管理する―。JR7社が発足する5年前の1982年、こんな発想を盛り込んだ国鉄改革案が、運輸省(現国土交通省)内で策定された。当時の小坂徳三郎運輸相は「国鉄再建方策」と題し、鈴木善幸首相(いずれも故人)に上申した。
 「あの案がまともに議論されていたら、国鉄改革は違う方向に進んだかもしれない」。当時、運輸政務次官だった鹿野道彦元衆院議員(74)は証言する。原本は失われたが、取材班は11月下旬、B5判9ページに手書きされた概要版を、茨城県・筑波山のふもとにある 国立公文書館 分館で見つけた。
 注目すべきは、国鉄路線のすべてを対象に全国一律型の「上下分離」を目指した点だ。新設する「日本鉄道運営会社」が列車の運行(上)を、国所管の「日本鉄道保有公団」がレールなど鉄道施設の所有・管理(下)を担う。不採算路線を沿線自治体などが所有する現在の上下分離方式とは、根本的に異なっていた。
 実現していれば、施設の安全対策などには国費が投じられ、地方路線の赤字は大都市圏や新幹線の収益で補えたことになる。当時39万人いた職員を24万人まで段階的に減らし、私鉄並みの経営効率を実現する工程表も盛り込まれていた。
 当時の報道によると、鈴木首相は当初、この案を支持した。ところが事態は急変する。報道先行で表面化した事に腹を立てた自民党の運輸族議員が、猛攻撃を始めたのだ。
 「党への根回しがない」「政党政治の否定だ」。批判の声を上げたのは福田赳夫元首相率いる「福田派」の一部議員たちだった。逆に、案を評価したのは小坂氏が所属する田中角栄元首相の「田中派」。国鉄改革はすでに党内権力闘争の具となっていた。
 事態の収拾に当たった、当時は福田派の鹿野氏は議員たちに頭を下げ、「小坂氏の私的な案だった」として、公式に撤回した。「中身ではなく、党内手続きの問題だった。経済界出身の小坂さんは、根回しが下手だったから」
 混乱の後、この上下分離案が国会や自民党内でまともに議論された記録は残っていない。国鉄改革論議を主導した第2次臨時行政調査会(第2臨調、81~83年)は当時、すでに「分割民営化」案に傾いており、上下分離案を「議論する価値もない」と切り捨てた。
 全国の鉄道網の安定維持を主張した勢力は「国体護持派」などとレッテルを貼られ、世論の支持も、急進的とされた分割民営化案へと一気に傾いていった。

もう一つの改革案 欧州「国管理」で維持
 当時としては斬新な「上下分離案」を発案したのは誰だったのか。今となっては突き止めるすべはないが、できるだけ組織を温存したい国鉄幹部と一部の運輸官僚との合作だったという説が有力だ。だからといって、臨調が指摘したように「議論する価値もない」愚策だったのだろうか。
 答えは欧州にある。国鉄分割とJR7社発足の翌1988年、スウェーデン政府は、全国一律の上下分離を導入し、民間企業の活力も利用しながら鉄道事業の再建に成功した。90年代に入ると、その方式は欧州から世界各国へ広がった。
 「国が管理する上下分離は、現在では世界の標準となっている」。世界中で地方路線を見てきた関西大の宇都宮浄人教授(56)=交通経済学=は断言する。
 例えばオーストリアの連邦鉄道。国の面積は北海道とほぼ同じだが、政府は施設管理会社に公的資金を投入し、JR北海道の約2倍となる4846キロの鉄路を維持している。さらに運行会社が昨年計上した約1200億円の赤字は、政府の補助金で穴埋めされた。
 鉄道経営を州など地方自治体に移管し、地方自治体が鉄道やバス、道路などの公共交通のあり方を総合的に計画しているケースもあるが、その場合も中央政府が財政措置で支えている。負担を地方に丸投げするようなことはない。
 旅客鉄道会社が独立採算で線路を維持しているのは世界の例外だ。宇都宮教授は「日本の政府や住民、マスコミは『鉄道は黒字でなければいけない』という意識にとらわれている。世界の鉄道はほとんどが赤字路線で、JR北海道は世界から見れば『普通の鉄道会社』だ」と指摘する。
 「全線を維持すれば会社は5年で破綻します」「話し合いの入り口に立たせてほしい」。JR北海道は11月に 維持困難路線 を公表し、経営の窮状を訴えて路線維持の負担を求める沿線自治体回りを始めた。しかし、財政の苦しい自治体側に、それに応じる余裕はない。30年前には予想しなかった「鉄路消滅の危機」が、沿線住民の不安をかき立てている。
 鉄道政策に詳しい英リーズ大のクリス・ナッシュ教授は11月下旬、東京都内で開かれたシンポジウムで、JR北海道の危機的な状況を踏まえてこう述べた。「欧州で鉄道やバスの不採算は企業の責任ではない。政治の責任だ」

<証言> 謝罪して案を撤回 元衆院議員・鹿野道彦氏(74)
 小坂徳三郎元運輸相の改革案が報道されたときは驚きました。当時、私は運輸政務次官でしたが、何も知らされていなかった。いきなり出たから、議員たちが怒って収まらない。私が大臣の代理として謝り、案を撤回しました。
 田中派の議員は「検討に値する」と食い下がりましたが、その後、まともに議論されることはありませんでした。当時の運輸族は福田派が多く、中でも取りまとめ役の三塚博元運輸相(故人)は国鉄内の「改革派」と気脈を通じていたのです。
 私自身も、分割民営化しかないと思っていました。国鉄は組織が大きすぎた。でも、人口減少や地域格差がここまで進み、JR北海道の経営がこれほど悪化するとは読み切れなかった。
 政府はJR東海の リニア中央新幹線 の建設を財政投融資で支援しますが、「 地方創生 」を掲げるなら、地方路線こそ支援するべきではないかと思います。

 次回は、JR北海道の経営を大きく左右する「経営安定基金」を検証します。



<「民営化」の幻想=揺れる鉄路第1部>2 当て外れ 不足4300億円 2016/12/31
 1986年3月の参院予算委員会。公明党議員だった中野鉄造氏(89)が、三塚博運輸相(故人)と国鉄改革の政府案を巡って応酬した。
 中野氏「政府案では、経営安定基金の運用益で収支の均衡を図るようだが、うまくいかなければ、地方自治体への負担要請となり、住民にはね返るのではないか」
 三塚氏「政府の試算でも黒字計上が可能。見通しとしては着実に運営できる」
 30年後、三塚氏の見通しは大きく外れ、中野氏の懸念は現実のものとなった。
 経営安定基金はJR北海道、九州、四国の赤字を埋める原資だ。東海道新幹線や東京・山手線のようなドル箱路線を持たない3社は、鉄道事業の大幅な営業赤字が確実視されていた。JR北海道の赤字を埋める必要額は当時の試算で年498億円。そこで国鉄改革の関連法案には、基金を積み、その運用益で穴埋めする仕組みが盛り込まれた。
 JR北海道の基金は6822億円。将来の運用利回りを、過去10年分の国債利回りの平均値(7・3%)と同じだと仮定し、毎年の赤字額から逆算した。ところがこの仕組みは、すぐにほころびが生じる。バブル経済崩壊で金利は低下し、運用益が減り続けたのだ。
 当時想定した運用益と、実際に入った金額との差は、95年度以降は毎年100億円を超えた。例えば2008年度の運用利回りは3・39%、運用益の不足額は267億円。JR発足から2016年度の見込み分まで30年分を足し合わせると、不足額は4300億円に上る。JR北海道幹部は「これだけあれば赤字路線を切らず、安全対策も全部やれていた」と断言する。
 政府が金利の見通しを読み誤り、つけを払うのはJR北海道と道民。そんな構図が見えてきた。

経営安定基金 運用益減 道民にツケ
 そもそも経営安定基金の仕組みはどのように決まったのだろうか。国鉄分割前の1985年1月、「分割民営化」の具体策を検討した国鉄再建監理委員会で、赤字が確実な3社への支援策を巡る激論が続いていた。有力視されたのは《1》国が毎年、不足分の助成を続ける《2》黒字経営が確実な本州3社と収益を調整する《3》基金を設定し運用益で賄う―の3案。
 議論の流れを決めたのは、後にJR東日本の初代社長に天下りする元運輸次官の住田正二氏(94)の発言だった。「そもそも営業赤字を埋める方策まで用意するのは、おんぶにだっこ。やり過ぎだ」と《1》、《2》案に強く反対し、他の委員も賛同。最後は委員長の亀井正夫氏(故人)=住友電工会長=が「事業体ができてから恒常的な収益調整をやるのはおかしい」と引き取った。金利変動のリスクが大きく、経営には最も不安定な《3》案で決着した瞬間だ。
 もしこのとき別の案が採用されていたら、JR北海道は今よりはるかに安定した経営を続けることができた。だが、当時、同委員会事務局の幹部だった元運輸次官の黒野匡彦氏(74)は「自己責任が国鉄改革の趣旨だった。国が引き続き面倒を見るとの考えは最初からなかった」と振り返る。
 金利が0・1%下がっただけでも収入は7億円近く減ってしまう。そんな仕組みに、道内の経済関係者は異を唱えた。
 JR発足を翌年に控えた86年10月、札幌で開かれた国会の地方公聴会。北洋相互(現北洋)銀行の武井正直社長(故人)は「最近、金利が非常に低下している。もっと基金を積まないと利益は出ない」と指摘し、北大経済学部の小林好宏教授(同)も「金利の将来予測が高すぎる。もっと低く設定するべきだ」と訴えた。しかし政府側は、その後も「将来的にも運用益は十分期待できる」と強気の答弁を繰り返した。
 JR北海道は発足直後から運用益の減少に苦しみ、赤字を縮減するため、身の丈以上の増収策と極端な経費節減を迫られた。96年にはJR九州、四国と共に、JR発足後初めての運賃値上げに踏み切り、本州3社よりも割高な運賃を道民に負わせることになった。石勝線トンネルでの特急脱線炎上事故(2011年)などのトラブルが相次ぐと、安全に必要な投資や人員まで削減したためだと、国からも批判された。
 近藤禎夫・駒沢大名誉教授(82)=会計学=は「将来の利回りを想定することは極めて難しい。見通しが外れた時点で、速やかに措置を講じるのが国の責任だ」と指摘する。国はJR北海道に対し、1200億円の安全投資など追加支援を何度か行ったが、当初見込んだ運用益の総額にははるかに及ばない。
 経営安定基金の仕組みづくりに携わった政治家や官僚は「これほどの金利低下は想定外だった」と口をそろえる。「想定外」。責任逃れの決まり文句は、ここでも繰り返された。

<証言> 体力無視した結果 駒沢大名誉教授・近藤禎夫氏(82)
 1986年10月、国鉄改革に関する衆院特別委員会の中央公聴会で、公述人として意見を述べました。当時、民営化は必要だと思いましたが、6地域に分けるのには反対でした。JR北海道は東日本と、四国は東海と、九州は西日本と合わせて全国3社が良いと思っていました。経営体力を無視して分割した結果、JR東海や東日本は大もうけし、北海道や四国は30年たっても株式上場できない。国鉄改革は明らかに失敗したのです。
 鉄道はもともと国民の足。山手線や東海道新幹線などのドル箱路線は国民の財産です。その恩恵を北海道の人は得られなくなった。経営安定基金の運用益が減ったのなら、基金を積み増せば良い。ところが政権はころころ替わり、みんな国鉄改革のことを忘れてしまった。これは国の罪、無責任の極みだ。北海道は切り捨てられた被害者なんです。

 次回は国鉄の労働組合の問題を、国鉄OBでもある歌手・藤井フミヤさんの証言を交え検証します。



<「民営化」の幻想=揺れる鉄路第1部>3 忙しさ「なかったね」 2017/01/01
きらびやかな音楽の世界を夢見る青年は、仕事に熱が入らなかった。
 歌手の藤井フミヤさんは1981年、高校を卒業して国鉄に就職した。配属された佐賀県鳥栖駅で、任されたのは貨車に飛び乗り連結する業務。1回の作業はわずか1分で終わり、8割は事務所での待機時間だった。
 作業を待つ先輩たちは釣りざお磨きに余念がない。「忙しいという感覚はなかったね。乗客へのサービスとか、乗ってもらおうという気持ちも」
 このころ、約40万人いた国鉄職員は国民の厳しい批判にさらされていた。横柄な接客態度やヤミ休暇、ヤミ出張、勤務時間中の入浴や昼寝など緩みきった職場規律。マスコミは職場の荒廃ぶりを連日のように報じる。82年3月には機関士の 飲酒運転 による寝台特急の脱線事故まで発生した。
 中でも世論を動かしたのが、評論家の屋山太郎氏(84)が同年4月の文芸春秋に執筆した「国鉄労使『国賊』論」だ。「労使なれ合いの金食い虫と化した国鉄を再生する道は分割・民営しかない」と訴え、大きな反響を呼んだ。
 マスコミを挙げての国鉄批判キャンペーンを、この年に首相に就任した中曽根康弘氏(98)は巧みに利用した。自民党と社会党が対峙(たいじ)した「55年体制」の真っただ中。社会党を支持し、戦後の労働運動をけん引した日本労働組合総評議会(総評)と国鉄労働組合(国労)を弱体化させる好機ととらえたのだ。
 中曽根氏は後に「屋山氏の記事が 分水嶺 (れい)だった」と周囲に語り、自著にこう記した。「国鉄の分割民営化は国労の崩壊、総評の衰退、社会党の退潮に拍車をかけて、55年体制を終末に導く大きな役割を果たした」。国鉄改革は、中曽根氏が標榜(ひょうぼう)した「戦後政治の総決算」そのものだった。

対立の果てに 労使に批判 国労分裂
 最盛期に57万人が加盟し、「最強の労組」と呼ばれた国労は、なぜ衰退の道を歩んだのか。転機は1975年11月、ストライキ権を認めることを要求する「スト権スト」だった。
 8日間にわたり全国で列車が止まった。ところが政府は強硬姿勢を貫き、トラックなどの代替輸送で物流に大きな混乱は起きなかった。鉄道の影響力を盾に取った戦術は、皮肉にも、輸送の中心が車に移り、国鉄の地位が低下した事を証明した。国民はあきれ、国鉄改革の必要性を強く意識するようになった。
 元国労企画部長の秋山謙祐さん(74)は「国鉄と国労の運命を大きく左右したが、当時は誰も気づいていなかった」と振り返る。
 国鉄の主な労働組合には国労のほか国鉄動力車労働組合(動労)、鉄道労働組合(鉄労)、全国鉄施設労働組合(全施労)があった。80年代に国鉄改革の論議が加速すると、労使協調路線の鉄労は早々と賛意を表明。スト権ストを国労とともに闘った動労も、組織防衛を優先して「分割民営化」容認にかじを切った。国労だけは反対姿勢を貫き続け、孤立を深めていった。
 国労出身の社会党衆院議員だった小林恒人氏(78)=小樽市在住=は「国労は原則論ばかりで組合員の生活や家族のことを考えていなかった」と証言する。
 国鉄改革の関連法案を巡る攻防が繰り広げられた86年、小林氏は水面下で、自民党中曽根派の運輸族、小此木彦三郎衆院議員らと最後の調整を続けた。同年7月の衆参ダブル選挙で、自民党は衆院300議席を確保して圧勝。「民営化」は避けられないとみた小林氏は、組合員の雇用を守る代わりに「民営化」を受け入れる社会党案を示し、国労側に「これで妥協してほしい」と迫る。
 ところが分割民営化反対を貫く反主流派が納得せず、同年10月の修善寺(静岡)臨時大会で、国労は事実上分裂した。小林氏は「これで国労もおしまいだ。やってきたことがすべて無駄になった」と落胆したことを覚えている。国鉄職員の国労離れは加速し、JR発足直前の87年1月には最盛期の7分の1の8万人、現在は1万人に減少した。
  JR北海道の労組 は現在、動労の流れを組むJR北海道労組が約6250人と全従業員約7千人の大多数を占め、国労から離脱した道鉄産労などが母体のJR北労組(約500人)、国労北海道本部(約180人)、建交労北海道鉄道本部(約10人)に割れている。
 国鉄改革を巡る路線の違いや、国労組合員がJRへの採用で差別された不採用問題などが影を落とし、「所属組合が違うと、仕事の手順を教えてもらえない」「別の組合員とは口をきかない」との声は今もある。度重なる事故や不祥事の度に、「組織内のコミュニケーション不足」が要因の一つとして指摘されてきた。
 昨年10月下旬、JR北海道労組が、安易な地方路線廃止に反対する「4組合共同アピール(案)」を呼びかけた。ところが、他の3組合は「路線問題まで利用して主導権を握ろうとしている」などと反発した。路線存廃問題は、組合が重んじるべき雇用にも深刻な危機のはずだが、組合間の不協和音は鳴りやまない。

<証言>怒り呼んだ「国賊論」 評論家・屋山太郎氏(84)
 政府の諮問機関、第2次臨時行政調査会の参与として、国鉄の改革論議に加わりました。当時の中曽根康弘首相は、本当に分割民営化すべきかどうか悩んでいましたね。組合は猛反対、国鉄幹部も大半が反対。自民党内にも慎重論が多かった。強引に進めたところで、国鉄が毎年出す2兆円の赤字は本当に消えるのか、とね。
 私は首相官邸によく呼ばれ、すき焼きを食べながら、いろいろ意見を聞かれました。私の「国鉄労使『国賊論』」で、世論が国鉄に怒りを向けるようになり、中曽根さんも「これで勝てる」と思ったようです。中曽根さんは国鉄改革を国労、社会党つぶしの戦略だったかのように話しますが、先に改革があり、結果として国労が自滅したんです。

 次回は国鉄が政治に翻弄(ほんろう)され、巨額の負債を抱えた経緯をたどります。


連結作業担当 ただ国労は厳しかった 元国鉄職員 藤井フミヤさんに聞く
 歌手の藤井フミヤさん(54)は「チェッカーズ」で活躍する前、国鉄で働いていた。国鉄を知らない人が増え、JR発足から30年を迎える今だからこそ聞いてみた。フミヤさん、国鉄ってどんなところだったのでしょうか。(聞き手・東京報道 津田祐慈)
JR北海道 観光路線で生かして
 ――国鉄に入ったきっかけは。
 父が国鉄でしたから。実家の周りも国鉄職員の家ばかりでした。佐賀県の鳥栖駅と長崎県の早岐(はいき)駅で働き、貨車や客車の連結作業をしていました。走ってくる車両に飛び乗り、ブレーキをかけて制御して別の車両と連結させるんです。車両を待つ時間が長くて、あまり忙しくなかったな。
 ――「 ブルートレイン 」の連結作業も。
 そう。雪が降る夜にブルートレインを連結させ、赤いテールランプが東京方面に消えて行く―。当時、東京に彼女がいて、何とも寂しかった。のちに駅が登場する歌詞も書きました。今も夜に電車を見ると胸がキュンとするんだよね。
機動隊に突っ込む
 ――バンド活動とは両立していたのですか。
 けっこう休みをもらえたので、地元に帰ってはバンド練習をしていました。ただ、労働組合は厳しかった。先輩によく怒られたな。「藤井、お前全然『動員』に行ってないぞ」って。
 ――国鉄労働組合(国労)の組合員ですね。何に動員されたのですか。
  デモ や勉強会。休み返上で行きましたよ、嫌々ね。原子力船「むつ」の入港反対闘争やダム建設反対デモは覚えてる。ダムに水没する村のお年寄りや子供を見て、気持ちが熱くなったよ。僕は左翼でも右翼でもないけど、「横暴な国家権力は許さない」みたいな気持ちになった。機動隊のジュラルミン(製の盾)に突っ込んだこともある。「国労のガキ、どけ!」って怒鳴られたなあ。
 ――国鉄改革に対しては。
 「分割民営化反対!」って叫んだ記憶があります。ヘルメットかぶって、マスクしてね。なんであんな格好してたんだろう。
昇進は「裏切り者」
 ――国鉄は1年あまりで辞めましたね。
 バンドの全国コンテストで特別賞を受賞して、レコード会社に声をかけられたからです。それに「国鉄で出世してはいけない」と感じた。国労は駅の助役(管理職)と年中ケンカしていました。仲の良い人でも助役に昇進した途端、当局側に寝返った裏切り者として扱う。国鉄に残れば、俺の人生はこのままレールのように、広がりも狭まりもしないのかなと思ったね。
 ――JRが発足した1987年4月は、チェッカーズの「I Love you,SAYONARA」がヒットしていました。
 当時は若造だから、取材を受けると「国鉄は民営化した方がいい」なんて発言していました。国労の先輩たちは「あの野郎!」と思ったでしょうね。
 ――JR九州は株式上場しましたが、JR北海道の経営は大変厳しい。
 北海道は広いから大変でしょうね。列車からは人々の暮らしが見えて、車からは見えない景色がある。全路線を残すのは難しいかもしれないけど、九州のようにうまく観光路線として生かしてほしい。もっと年をとったら地方の単線を巡る旅をしたいんだ。その時は北海道にも行きたいね。



<「民営化」の幻想=揺れる鉄路第1部>4 票欲しさに我田引鉄 2017/01/03
 わずか11年の短命に終わった鉄路がある。釧路管内白糠町内を走っていた旧白糠線の上茶路―北進間(8キロ)。北端の北進駅(同町二股地区)跡地は1983年の廃線後、線路やホームが撤去され、草むらを雪が覆う。「もっと北へ延伸を」。そんな願いを込めた駅名を思い起こすものは、何もない。
 「乗った記憶はほとんどないよ。いつの間にかできて、あっという間になくなっちゃったなあ」。廃線後、代行バスの運転手を務めた地元の及川信一さん(69)は振り返る。
 白糠線は「政治路線」の代表例だ。すでに沿線の炭鉱は閉山していたにもかかわらず、道内選出の自民党衆院議員、佐々木秀世氏(故人)は72年7月、運輸相に就任すると、北進駅までの延伸を認可した。橋やトンネルは総工費16億円をかけて建設された。
 国鉄が64年度に単年度赤字に転落し、政府は不採算路線の見直し方針を打ち出したはずだった。実際、道内で札沼線新十津川―石狩沼田(空知管内沼田町)間が72年6月に廃線となった。
 ところが、白糠線延伸が決まったのは、その翌月。著書「日本列島改造論」で「赤字線の撤去で地域産業が衰えれば、国家的な損失だ」と主張した田中角栄氏(故人)が同年7月に首相に就任し、再び拡大路線にかじを切ったからだ。
 地方路線の建設が「票」になる時代。与党政治家は自らの選挙区への路線誘致を競い合い、「我田引鉄」とやゆされた。
 全国の路線はピークの81年には2万1千キロあまりに達し、国鉄発足(49年)から32年間で約2千キロ延びた。その間、国鉄の借金は膨らみ続け、分割直前の86年度末では25兆1千億円、当時の一般会計予算(54兆円)の半分に迫った。

政治の干渉 負担押し付け債務増大
 旧国鉄債務が雪だるま式に増えたのは、路線新設ばかりが原因ではない。大きかったのは人件費だ。
 戦後、国の方針に基づいて満州鉄道から引き揚げてきた元職員を大量採用し、従来の国鉄職員と同等に処遇した。職員数は1947年度には61万人。多くが定年を迎えた70年代以降、年金や退職金が経営を圧迫した。
 高度成長期には物価上昇が加速したが、国鉄の運賃改定は、77年の法改正で認可制に変わるまで国会の議決が必要だった。選挙への影響を恐れる与野党は値上げを渋り、運賃改定法案は幾度となく廃案になった。
 とどめを刺したのが新幹線の建設費だ。東海道新幹線、山陽新幹線、東北新幹線の建設費として総額約3兆9千億円が国鉄債務に上乗せされた。
 その時の政権や与党政治家が、国鉄を「財布代わり」に利用し、過剰な負担を押しつけてきたのが実態だ。政府の国鉄再建監理委員会は85年7月、中曽根康弘首相に提出した最終意見書で「国鉄経営は外部からの干渉を招く余地があった」と認めた。ただ、巨額負債の原因については「赤字に対する感覚が希薄な親方日の丸意識と無責任経営」と決めつけた。
 「政治の責任」を考える上で、格好な資料が残っている。国鉄分割を翌年に控えた86年5月22日、北海道新聞などに載った自民党の意見広告。「国鉄が…あなたの鉄道になります」と題し、甘い言葉が並んでいた。
 「ローカル優先のサービスに徹します」
 「ご安心ください。ローカル線(特定地方交通線以外)もなくなりません」
 特定地方交通線とは、80年に施行した国鉄再建法に基づいて廃止を含む見直し対象とした全国83線、3157キロを指す。道内でも22線が廃止もしくは 第三セクター に転換された。意見広告は、それ以外の路線を断固として守り抜く決意を、有権者に示すものだった。
 車いすで生活し、高波被害を受けて現在は運休中の JR日高線 を日常的に使っていた日高管内新ひだか町の広田美喜子さん(54)は昨年、路線を守る会の活動の中で、この広告を知った。JR北海道が廃止方針を打ち出した現状と「まったく違う」と嘆く。
 道内選出の与党国会議員は昨年3月、鉄道を含む道内交通網の在り方を検討する「北海道総合振興に関する勉強会」を始めた。
 座長の武部新衆院議員(46)が同11月、北海道新聞のインタビューに答え、「路線を維持することが大原則」としながらも、「(路線維持の)お金は国が全部出すわけにはいかない。まずはJR北海道が経営改善努力をしなければ」と主張した。
 巨額の建設費が動く道路や空港、港湾の整備と違い、鉄路維持に関わろうとする政治家の動きは見えにくい。我田引鉄の時代は、遠くに過ぎ去ったようだ。

<証言> 自民 分割で責任放棄 元衆院議員・小林恒人氏(78)=国労出身
 当時、政府・与党との国会論戦に備え、国鉄の歴史も勉強しました。終戦後、国鉄は満州鉄道の元職員を積極的に引き受け、前職の職歴を加味して処遇し、未納分の年金まで支給しました。当時の政府の判断ですが、これでは経営が行き詰まるのは必然でした。与野党議員で路線建設の是非を議論する鉄道建設審議会の委員も務めました。かつての与党は、鉄道を自分の選挙区に建設する利益誘導が露骨でした。
 国鉄が破綻した原因の多くは、政府の政策にありました。「分割民営化」でバラバラにして、責任を棚上げするのが自民党の真の狙いだったと思います。
 ただ、国鉄改革を巡る国会論戦は私の人生にとっては、最大の舞台でした。当時の橋本龍太郎運輸相(故人)は、自身のサインをした国鉄改革法案の写しをくれました。記念として、今も大切に保管してます。

 次回は、国鉄がなぜ「7社」に分割されたのかを検証します。



<「民営化」の幻想=揺れる鉄路第1部>5 経営格差 地域の差に 01/04
 東京―大阪間を時速500キロ、約1時間で結ぶ リニア中央新幹線 。JR東海が9兆円を投じる建設工事の最大の難所、南アルプストンネル(全長約25キロ)の起工式が昨年11月上旬、長野県大鹿村で行われた。
 「知事や村長の理解を得てここまで来た。鹿島、飛島、フジタと一緒に乗り切りたい」。JR東海の柘植康英社長(63)は工事に関わる大手ゼネコンを列挙しながら、安全重視や巨額資金が地域に落ちる経済効果などをアピールした。
 建設業界関係者の熱気でむせかえる会場の外では、反対派住民がボードを掲げて工事中止を求めていた。リニアの消費電力は新幹線の3倍、原発数基分が必要との推計もある。路線の9割近くはトンネルで、地下水脈など環境への影響も懸念される。日本の人口が減少する中、採算性を疑問視する声も多い。
 それでもJR東海が事業を推し進めることができるのは、国鉄から引き継いだドル箱の東海道新幹線があるからだ。同社の2016年3月期決算の営業黒字はJR7社で最高の5576億円。不動産事業なども含めた営業収入の9割を新幹線が稼ぎ出した。
 これに対し、JR北海道の同期決算は7社で最悪の447億円の営業赤字。地域にお金を落とすどころか、昨年11月に「単独では維持困難」な路線を公表し、沿線自治体に負担を求め始めた。頼みの 綱 となる 北海道新幹線 の札幌延伸も、リニア東京―名古屋間の開業予定より3年遅い2030年度を待たねばならない。
 国鉄を6地域と貨物に分割して誕生したJR各社の経営格差は、今や地域間の経済格差を広げる要因だ。

北海道切り捨て 根拠は島 将来性軽視
 国鉄を継承したJR7社を「きょうだい」と呼ぶには、あまりにも規模が違う。従業員数は北海道の7065人(昨年6月)に対し、東日本は8倍の5万7580人(同4月)。鉄道事業収入の差はさらに大きく、昨年3月期決算では北海道の768億円に対し、東日本は26倍の1兆9834億円。発足後初の1988年3月期決算でも、すでに21倍の差があった。国鉄改革はなぜ、これほどの格差を是認したのか。
 第2次臨時行政調査会(第2臨調)で国鉄改革を担当した部会は81年春、答申案の検討を、国鉄中堅幹部らの聞き取り調査から始めた。「国鉄総裁は国会と政治家への対応ばかりで、現場を知らない」、「本社の幹部はハンコを押すだけの殿様みたい」…。国鉄の当時の職員は約40万人。事務局の主任調査員だった田中一昭・拓殖大名誉教授(80)は「国鉄が巨大すぎることが、組織の荒廃を招いている。経営者がコントロールできる大きさに分割するべきだ」と確信した。
 部会は次に有識者から意見を聞いた。日本郵船の菊池庄次郎会長、朝日新聞の大谷健編集委員(いずれも故人)といった分割民営化論者が多く招かれた。政府によるこの種の意見聴取や審議会は、客観性を装いながらも、事務局の意向が人選に強く反映される。臨調も例外ではない。部会の論議は次第に「分割民営化」へと誘導されていった。
 当時の議事録には「日本列島隅々まで心配ないのか」「もうからない路線はやめてしまうのではないか」といった委員の懸念も記されているが、少数意見として排除された。臨調は翌年、国鉄を「7ブロック程度」に分割し、民営化するよう答申。北海道を切り離す方向性が固まった。
 詳細な区割りの検討は、83年に発足した国鉄再建監理委員会が引き継いだ。同委事務局の幹部だった黒野匡彦・元運輸次官(74)は「分割案は100種類以上、日本電信電話公社(現NTT)のような東西2分割案もあった。北海道の分割ありきではなかった」と主張する。しかし、臨調答申を覆すことはなかった。
 地域6分割の根拠となったのは、乗客が地域内で乗り降りする割合を示す「流動実態」という指標だった。乗客の移動が完結する地域ごとに分割すれば、地域密着の経営ができ、会社間のダイヤ調整なども少なくて済むという理屈だ。 青函トンネル 開業(1988年)前のため道内の流動実態は99%、四国や九州も95%を超えた。要するに「島」であることが理由だった。
 同委員会は85年7月の最終答申で「分割・民営化という抜本的な改革を行えば、鉄道を地域住民の足として残していくことが可能となる」と結論付けた。ほかにも、地域分割すれば「競争意識が働く」「自由と自主性を持てる」といった根拠の薄い精神論が並ぶ。逆に、分割後の各社の収益力や成長力、事業の将来性といった経営学的な企業価値の差は軽視された。
 北海道新聞が85年10月に実施した世論調査では、回答者の7割が民営化に賛成する一方、北海道を1社とする分割には6割が「反対」もしくは「再検討するべきだ」と答えた。道民は当時から不安を感じていた。
 中曽根康弘首相のブレーンで、第2臨調の参与も務めた政治評論家の屋山太郎氏(84)は関係者たちの当時の本音を明かす。「国鉄の末期は毎年2兆円近い赤字。本州のJR3社だけでも黒字になれば御の字と考えていたんですよ」

<証言> 発足後の責任 JRに 拓殖大名誉教授・田中一昭氏(80)
 第2臨調で主任調査員を務め、国鉄改革を担当しました。国鉄や運輸省の職員と勉強会を重ねましたが、組織の内情は見えなかった。ただ、勉強会に「言いたいことが言えない」と不満そうな中堅幹部がいました。それが「改革3人組」と呼ばれる井手正敬氏(JR西日本元会長)、松田昌士氏(JR東日本顧問、北見市出身)、葛西敬之氏(JR東海代表取締役名誉会長)でした。
 官僚だった私は臨調の内情が分かる。彼らは自民党の運輸族や労働組合にも接近した。私たちは頻繁に会い、電話もして、具体的な改革案を練りました。
 第2臨調が地域分割を提言したのは、地域ごとに知恵を出し、経営してほしいと考えたからです。その後の経営には言及していません。発足後のことは各社が自分たちで決めるべきです。JR北海道の危機的状況の責任は、その経営者にある。私はそう考えます。

 次回は、JRの株式上場と民営化の意味を考えます。

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