北海道の交通関係

北海道新聞の発行部数が100万部を割った件

2018/05/08

北海道民になじみの深い新聞といえば、北海道のブロック紙として君臨する北海道新聞です。北海道のマスコミ界を牛耳る存在で、テレビ・ラジオを系列局として持つことから、「北海道新聞の報道」以外の報道を入手することが北海道では極めて難しいという問題を抱えています。
北海道新聞の「発行部数」は2003年の125万部をピークに減り続け、昨年10月ついに100万部を割り込み、その後数千部戻したものの今年また減少。2018年度上期は公称99万部となりそうです。100万部死守とキャンペーンや今まで行ってこなかった景品付きでの販売を行っても購読数の減少に歯止めがかかっていないという現実があります。
北海道の人口は今から30年前、平成元年付近に570万人近くおり、ほぼピークを迎えました。現在は550万人を割り込み今後も減少していくことが予想されます。反面世帯数は増加し現在244万世帯、1世帯当たり2名近くになっているということになります。これは平均ですからそれだけ「独居」世帯が増えていることに他なりません。
新聞購読者数の減少はこれと無関係ではないことでしょう。「世帯」とはいっても子と同居でも世帯は別の例や、高齢者住宅等による場合も「世帯」は分割されますので、現実に「新聞を購読する世帯」というのは大幅に減っていることも伺えます。そして、若い世代は「新聞」に対して非常に懐疑的な目を持っており、速報性に劣り、なおかつ記事内容にある程度一方的な面を感じる方が増えていることも目をつぶってはならないわけです。
購読者数の減少は特に人口減少の激しい地方で顕著になり、新聞販売店の撤退により配達自体が行えない地域も出てきているのが現状です。
人口減少と「発行部数」のピークが異なるのは、地方の人口減少がまず「動きやすい」子供世帯から始まり、基盤となる親世帯の購読は維持されたまま、子世帯が札幌等に越して新聞購読するなど、新聞を多く販売できる環境があったためでしょう。
現在、その親世代の高齢化、死亡によるもの、子世帯が親を呼び寄せるものも含め、地方の基盤となる購読部数が大幅に減り、なおかつ孫世帯は新聞を取らない。新聞購読者数が好転する可能性は非常に低いわけです。

私は北海道新聞の報道姿勢に対して批判いたしますが、熱心な読者の一人でもありますし、電子版も活用しています。今も北海道新聞が各地に支局と販売網を置き、取材と販売ができる状態を維持していることは素晴らしいことではありますが、残念ながらいつまでそれが維持できるのかは未知数な話です。
これはJR北海道などの交通問題にも言えることで北海道新聞がやたらに訴えた「客を増やす努力が足りない」をそのまま新聞販売に当てはめれば「増える客がいない」以上どうしようもないわけです。そういう地方の疲弊を当然知っているにもかかわらず、一部の事業者だけを叩けば良いという報道姿勢では、読者をいつまでも欺すことはできません。今の読者はみな新聞を一次情報とはしていませんので、記事に対して別な意見、別な見解をすぐに拾ってしまうわけです。
北海道新聞の「発行部数」が100万部を割ったというニュースにはもう一つ重要なメッセージがあります。実際の「販売部数」はこれより大幅に少ないと思われることです。新聞各紙が押し紙問題で部数を水増ししていたことが明るみに出た時北海道新聞の部数は大きく減りませんでした。これは水増しが少なかったからというよりは、水増しを放置した(販売店数が多い、地方発送分の損壊防止分に多く入れる)ことがありましょう。実際の購読者数は70万部程度まで落ちるのではないでしょうか。場合によってはそれ以下の可能性もありましょう。
現在、北海道新聞は朝日新聞等の一部紙の印刷請負など、減った分の設備を維持するよう頑張ってはいますが、このままでは地域面の縮小(これは既にワイド版などではじまっている)も進んでいくことでしょう。
北海道新聞には早急な「自助努力」として、部数が減少しても地域面を維持する仕掛け、特に電子版のみの廉価なサービスなども含めた改革を行わなければ本当に地方拠点を維持できない「札幌新聞」になりかねない怖さがあります。そして、当然各記者のレベルを上げること。交通行政関係の記事で見られる「ぼくのかんがえたJR北海道改革案」のような間抜けな記事を書かないことです。北海道新聞が地域の現状を的確に把握し発信できることが、読者のレベルを上げる、ひいては北海道自体のレベルを上げることに繋がるのです。
北海土民と揶揄される北海道民の官依存や自ら考えない体質は「北海道新聞が作り上げた」といっても過言では無いのです。

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