北海道の交通関係

あくまで個人的な意見としてのワンマン運転

2015/04/20

バスも運転手が2名いなきゃダメ?「飛行機の事故は許されない」のに地上の乗り物の事故は「運転手に責任を負わせてオシマイ」の違和感
(記事)

ワタシの子供の頃1970年代後半あたりには、既に車掌の乗っているバスは壊滅状態になっていた。ほぼバスはワンマン運転が当たり前だ。長距離バスでも昨今では途中での交代を前提ではあるがワンマン運転が多いのは承知の通りだ。

ただ、バスは運転操作を2人でできるようにはなっていない。2人運行だとしても運転していない方の乗務員はバスを止めるすべすら無い。あくまでバスの車掌は運賃収受と退行時の安全確認くらいのもので、基本的に路線バスの退行運転は無いし、運賃収受も現在では問題が無い。

鉄道のワンマン運行は2種類があると考えられる。
大都市の各駅に駅員が常駐していて運転支援の設備が充実している路線。札幌でいえば地下鉄南北線・東西線がそうだ。基本的にドア開閉員、案内員としての車掌をホームドア連動と自動案内放送で補っているもの。
元々車掌には保安員の一面があり、列車が発車するときは非常弁を持ってホームを監視し、異常があればためらいなく引けば列車は緊急停車する。これをセンサーや運転席モニタで行っているのがこちらの方式。こういう路線は基本的に自動運転であるので、運転士は基本「保安員」に徹しているわけだ。

もう一つは地方ローカル線のワンマンバス式のワンマン運行だ。ワタシは正直こちらには懐疑的だ。編成両数が少ないとはいえ、運転士は何の安全装置も無く、直接目視できないドアを開閉し、列車を運転し、料金の徴収を行う。

こちらはただ車掌を廃しただけである。車掌の業務の多くを占める「保安」を大きく廃した形になる。利用経験のあるJR北海道の話をすれば、運転士は発車して、ホームのミラーを過ぎればしまえばもう後方を確認するすべは無く、多くの駅は無人駅である。乗客案内も含め運転士の孤独感は大きかろう。まぁ、その乗客自体が少ないのだが。

ワンマン化に際して設置された保安装置はそう多くなく、運転士の意識がなくなれば緊急停止するようにはなっているが、それ以外の列車運行に関する保安装置は従来と変わらない。

個人的には車掌を乗せられないほどコストが合わない普通列車については廃止が妥当と考える。

そうでなければ、もしくはもう一段運転士の負担を軽減する仕掛け、たとえば無人駅でも遠方監視で運賃収受できる仕掛けやICカード化(これだけでもローカル線の利用客の多くの割合を占める高校生定期客は運賃収受を無視できるようになる)を進める必要があると思う。

車両もデッキやトイレなどの死角を排除、ホームの無い位置でのドア開を防止するセンサーなどを設置したい。

とはいえ、JR北海道のワンマン列車で事故が起きていないのは(細かいのはいろいろあるが)乗客の少なさに起因してるのだろうなとは思う。本来それほどに客が少なければやはり鉄道を運行するべきでは無いとワタシは思う。鉄道は大量に安全に輸送する機関で、少量を多少のリスクを冒し移動する手段はクルマに任せるべきだと思う。

バスの話に戻すが、専用の通行帯も無く、他車が走り、信号を守るも制限速度を守るもあくまで運転手の判断に任され、安全装置も無い交通機関であり、バスは本来はそう安全な乗り物では無い。もちろん自家用車を含めたクルマも同じ。

少なくともプロしか運転しない鉄道とは大きく安全率が異なることは理解しなければならない。そのリスクをどれだけ許容できるかが交通選択の問題なのだと思う。クルマも自由度を下げても信号強制停止や速度制限を自動で行う仕掛けは必要だ。少なくともバス・トラックから導入していくことで将来の事故率は大きく削減されるだろう。

減ったとはいえ今でも交通事故で年間4000人以上が死んでいる。ちょっとした街が消滅するレベルだ。それを当たり前と許容しているのが今の社会。その割に飛行機事故や鉄道事故に敏感なのが不思議だ。どちらも敏感で、安全であるべきだと思う。

北海道の交通関係 JR北海道 路線バス

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