北海道の交通関係

宗谷線と天北線転換バスに乗ってきた1

2016/08/29

18きっぷシーズンしかも日曜日に行ったところで現実は見ることができないわけですが、それでも行ってみる、乗ってみることに価値があるわけです。

さて、宗谷線を普通列車で巡ろうとしますと、日帰りはかなり難しいですね。行くだけで昼ですから仕方がありません。今回は前泊することで宗谷線始発列車乗車と天北線転換バスを見てきます。

とはいえさすが世間的には夏休み最後の週末ですので宿が空いていないし空いていても高い。一人ラブホかサウナかなぁと思っていましたが、もうこれはえいままよと「車中泊」を決行しました。深夜にクルマで家を出て、駅前にJR利用者のスペースのある某駅に止めてここから出発しようという魂胆です。

札幌を出るときは窓を開けて走ったが、北へ行くに従って寒いほど。深夜の国道275号線を走りますと併走する札沼線の区間は深夜でも踏切の明かりは消えていない。線路がある限り照明は必要で、列車が朝1往復しか走らない区間でもそれは一緒です。線路があるというだけで固定費がかかるわけですね。札沼線を横目に新十津川から雨竜・深川を通るルートが個人的にはお気に入り。遵法運転で3時間までかからず旭川到着です。住宅地の某駅で仮眠。エンジン止めて毛布にくるまれば寒いなりに快適な仮眠でございます。

さて、いくつかの回送列車の通過を聞きながらの仮眠を終えまして、旭川6時02分321Dでスタート。この小駅からも日常的な利用者2人が乗車し、逆に2人が下車しています。2両編成にざっと40人と意外と乗っている印象。半分はいかにもな18きっぷの感じですが、一般の利用者もそれなりにいます。先頭のキハ54が稚内まで直通。後ろのキハ40が名寄まで行きます。

2両目のキハ40は先行試作車でピンク色っぽい内装が特徴。扇風機が一括制御を個別制御に変更した名残として露出配線になっているのがご愛敬です。ワンマン化とトイレのタンク式以外の変更はされていないと思いますので、今となっては懐かしい内装が味わえます。車内は夜遊び後に乗ったようなオッサン6人グループの話し声以外は静か。寒い位なので窓も開いていないし扇風機も回っていません。

各駅の利用客はそれほど多くなく、平日なら学生が使うであろう和寒や士別もそれほど乗降無く名寄に到着。2両目が切り離され列車番号も4323Dに変わります。

このキハ54509は新幹線0系転換シート(W12)で、なんとテーブルが使用可能だったのは驚きました。かなり晩年に改造されてるはずなので直接0系から譲り受けたシートではなく津軽海峡線で使われていた50系客車のシート転用と思われます。それほど座り心地は悪くなく、好きなシートの一つです。ちなみに窓側と中間の肘掛けは撤去済です。トイレの壁には各沿線自治体のパンフレットスペースがありますが使われている形跡は無いようで、こういうところも沿線自治体の意識が感じられます。

1両の車内に20人までいないくらいの乗車率で、各シートを1人で使える感じですが、ほとんど地元客がいないのは気になるところです。18きっぷユーザーがいなければほぼ1,2人しかいないことになります。
列車は天塩川によりそって進みます。そして美深手前では高速道路を潜ります。これは名寄美深道路で東風連付近の名寄ICから美深北ICまでが無料で開通しています。この先は音威子府付近から中川付近までが建設中、幌延から豊富が開通済と高速道路ネットワークは最終的に北海道縦貫自動車道として函館から稚内まで接続される予定なわけで、これが全線開通すれば宗谷線としては死刑宣告に等しい現実ではあります。

各駅停車しますが乗降はほとんど無く、無人化した美深でも1人降りただけ。たまに駅に人がいるなと思ったら写真だけとか、駅巡りで乗降の方もおられます。特急の止まらない駅はほとんど乗車人数10人以下という駅で、車窓に家が見える駅も少ないのが実情です。

音威子府は8:53で10分停車。皆めいめいホームに降りて写真撮影会です。音威子府駅は今も駅員さんがいますが、1人勤務で応対は大変そう。それでも見計らって入場券購入。今でも硬券で発券してくれます。駅は天北線の分岐点でもありましたが、材木輸送が盛んであったこともあって町から少し離れています。駅の裏は自然に帰っていますがチップヤードや油槽所まであったこの地域の貨物拠点でありました。その貨物輸送は1984年には全廃しています。

有名な音威子府そばは以前はホームにあったものが新駅舎になって駅構内に移転していますが、営業時間外(9時半-15時半)でほぼ列車で来て食べるのは難しい案配です。宗谷バスの案内所は駅より営業時間が長く、天北線の資料館はリニューアルのためと銘打って閉鎖中でした。
こぢんまりした中で必要な機能が入っている交通ターミナルは私個人としては好みですが、何しろ発車本数が少なく、ここが賑わうのは休日の蕎麦目当てくらいと思われます。

鹿との衝突で7分ほど遅れてきたスーパー宗谷を待って発車。カーブの続く険しい道のりを馬力を上げて走ります。川を挟んで反対側が国道で、国道もまた険しいカーブの続く山路ですが、音威子府バイパスが2018年開通予定となります。筬島駅前はその道路の工事事務所になっています。その先には神路信号場の跡地があるはずですが全くわからず、森を抜けたら立派な駅舎がある佐久で、その先廃止された琴平駅はちょうどそこが音威子府バイパスとの交点となかなか車窓は飽きさせません。

私が宗谷線に乗るのは基本的に特急ばかりでしたし、まして仕事での移動は夜行がほとんどだったためこれほど沿線を見ながら移動したのは初めてかもしれません。天塩川を見ながら各集落と農地、山と意外と飽きさせない車窓だなと思います。

幌延には10:20着。ここからは4325Dとなりますが、運転士さんはそのまま直通のようで、その休憩時間を兼ねているように思えます。30分ほどの停車で駅近くのスーパーへ。全日食チェーンのスーパーですが手作り総菜充実。ちょっと遅めの朝食兼お昼にします。ちなみに栗茶碗蒸しは私の幼少の頃に食べたものに近く、栗、鶏肉椎茸かまぼこに白滝が入っている。少し甘めになっているのはきっとこの地域独自な気がする。ここでも入場券を購入。

天塩川と別れて牧草地帯を走ります。時より牛が見えるのもいい風景で、ここからは平坦なこともあってスピードも上がります。しかし、線路自体はそれほど良い整備されているわけでもなく、犬釘止めで枕木もそれほど良いものであるようには見えない。しかし、幌延、豊富とそれなりに地元乗降があるのが救い。抜海を出ると海が見えて、最後に雄大な景色を見せてくれます。

稚内市街地に入りますと、南稚内駅。ここで運転士さんは携帯無線機を返却。ここから稚内まではスタフ閉塞同様の区間になっていて、あくまで1列車が往復することしかできません。18きっぷの観光客以外は降りてしまい、名残惜しいようにゆっくりと稚内に向かいます。1975年に高架になった区間ですが、高架自体の老朽化もあって速度制限がかかっているようです。

1線だけになってしまった稚内駅ですが、道の駅、バスターミナル、映画館、飲食店、コンビニが併設された複合施設に生まれ変わっています。地元客も観光客もいて賑わっており、この政策は良かったと思われます。もちろん昔の駅を知る方には寂しさもあろうとは思いますが、どこへ行くにも不便でバスも一部駅には入っていなかった頃を考えると、今の方が格段に便利です。ただ、フェリーターミナルへのアクセスは難があり、もう少し導線さえ改めればそれほど遠くないのですけどね。タクシー業界との問題もあるのかもしれません。

到着の車両はすぐに南稚内に回送。これを営業したところでなんでしょうが、90年代くらいまでは何便かこの2駅連絡の列車がありました。とはいえ、稚内の市内線バスは以前ほどではないとはいえ頻発していて、この区間の移動は困りません。
早速東急からやってきたノンステ車に乗り込みます。車内もご老人ばかりではありますが安定して乗り降りがあり安心です。しかしまぁ本当に東急のままというか、外装も目黒あたりで走ってたのがそのままという趣です。以前は雪の地域のノンステ車は敬遠されていましたが、坂の多い稚内で大丈夫だったら他の地域でも行けそうです。今の稚内市内線はほとんどノンステ車で回しているようで、同じタイプの車両を多数見かけました。

南稚内は初訪問。食券型券売機があります(以前はちゃんとしたのがあったはず)がみどりの窓口も営業。てきぱきとした若い駅員さんが硬券棚から発券してくれました。駅自体は寂しいものですが、市内中心部はこちらの方が近く、先ほども降車の多い駅でした。

南稚内の駅前バス停は「南駅前」で、市内バス乗り場と国道40号そしてこまどり団地方面へのものと乱立されていますが案内が無いのでわかりにくいことこの上ない。とはいえ稚内駅に戻るだけなので国道バス停で待つ。この便も途中から市内バス通りに入り込む。そのおかげで市内バスの入らない中央公園で下車できた。北防波堤の最寄りバス停になります。

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