北海道の交通関係

宗谷線と天北線転換バスに乗ってきた2

2016/08/29

北防波堤近くの広場では最北端・食マルシェなるイベントがありましたが、時間なくパス。なんとなく食イベントは覗きたかったんだけどね。

稚内駅に戻ってバス乗り場に行きますと既に列ができています。天北線バスは2011年から宗谷岬を経由するように改められています。曲淵までは宗谷バスの曲淵線が、その先小石までは公共交通機関の存在しない区間、さらに小石-鬼志別は村営デマンドバスとなっています。

●稚内-鬼志別
バスターミナルには真新しいバスが入ってきました。今時は国鉄転換路線も2代目3代目となっていますのでノンステップの新車も見かけるようになっています。この車両はAT車というのも目新しいですね。補助のあまり受けられない市内線は基本的に中古車で、補助の大きい、地域限定車両は新車となるようです。バスはほぼ満席で出発。途中国道40号線各停留所に停車します。西條百貨店前の大黒4で2人ほど乗車、その後高速バスとの乗り換え停留所の汐見5で1人乗ってきましたが、その後は全く乗降がありません。

その汐見5は宗谷バスの案内所と市内バスの待機所がありますが、天北線の宇遠内駅の最寄り。このあたりの廃線跡は道路として活かされていますので、廃線跡は確認できません。声問付近は住宅地に入るためにバスは国道を外れますが、その国道が廃線跡を利用して拡幅されています。

ここからバスは天北線と経路を離れ宗谷岬へと向かいます。天北線をトレースし恵北-樺岡-沼川-曲淵と結ぶバス路線は3往復と少なく、往復できる便はさらに少ないために部外者の利用は困難な状態です。なお、この曲淵へのバスは以前増幌地区を経由していましたが、これを旧天北線バスルートに変更して、増幌地区はデマンドタクシー化しているのが現状です。ほぼバスを仕立てるだけの住民がこのあたりにはいないということです。

バスは国道を淡々と走り続けます。全く乗降がなく、車内の多くの人が居眠り。景色は左に海が広がるわけですが、それもどことなく単調になってきます。宗谷岬に到着しますと車内のほぼ全員が席を立ちます。しかもほとんどが駅で販売している往復乗車券を持っているのでスムーズ。確か運賃も割引があるはずです。

車内は老婦人3人と私のみ。その2人は宗谷岬地区で下車してしまい車内は実に2人だけという惨状と相成りました。確かに天北線沿線は大きな町はありませんが、これほどの惨状となりますと、宗谷岬経由では無かった頃はよほど酷い成績だったのではないかと思われます。

旧大岬線の終点大岬小学校を通過しますと、アップダウンの激しい国道をひた走ります。民家は全く見えず、停留所も存在しません。バス自体は自由乗降制を取っているのでどこでも下車できますが、これでは利用客がいるとは全く思えない場所です。

やっと集落が見えて東浦。ここまではまだ稚内市で、この先猿払村に入ります。旧猿払村営バスは東浦までの越境運行を行っていて、鬼志別を結んでいましたが、この経路変更で天北線バスの統合して廃止。その旧村営バスのルートをバスは走り、浜猿払から内陸に進路を取ります。猿払村の中心部は旧鬼志別駅近くにあります。

●鬼志別-浜頓別
もう1人の老婦人は鬼志別で下車。目の前には猿払村のデマンドバスが止まっているけど乗車は無かったもよう。
鬼志別駅跡には切符売り場のあるバスターミナルが建っています。バスも10分程度休憩とのことで、ターミナル内の天北線ゆかりの品々を見学。駅名標などがよく残されています。2階はカフェになっていて会合でも行われているのか笑い声が聞こえています。こういう施設っていいと思うんですよね。バス待合室だけでなく地域のコミュニティを担保できる施設。それが駅なりバスなりの交通ターミナルになっている姿。
時刻表上鬼志別ターミナルから浜頓別までの区間は10分後くらいに便があります。乗換は浜頓別にしていますので元のバスに乗車。
バスはワタシ一人を乗せて元来た道を浜猿払まで戻り国道に復帰します。しかし少し走った猿骨で右折。全く誰もいないような地域を走りますとそこが芦野。少し駅跡から離れています。鬼志別から猿払はほぼ線路をトレースした道路があり、ここからはこの道路を使いますが、猿払からはまた線路を外れて国道まで向かい浜猿払地区を経由します。確か快速便があった頃は国道を直行していたはずですし、今でも特急バスは直行します。
猿払から浜頓別までは線路跡をサイクリングロードに転用しているはずですが、国道からははっきりした痕跡は確認できません。
浅茅野、飛行場前、安別、山軽と駅から離れた国道沿いにバス停があります。実際駅よりも国道の方が集落に近いこともあります。いつか自転車で線路跡を回ってみたいものです。

●浜頓別-音威子府
バスの運転手さんの行路表ではこのバスは稚内営業所から稚内ターミナル-浜頓別高校まで運行するとまた稚内まで回送で戻る経路のよう。それだけの長距離回送は大変だけど、それなら少し時間をずらしてもう1便出した方がいいんじゃないかとも部外者的には思う。
浜頓別は駅跡地にターミナルと公園になっていて、元々興浜北線が分岐していただけに大きな駅でありました。駅は立派なターミナルに生まれ変わっていてで2階が図書館になっています。バスターミナルでは高校生が2人携帯ゲームに興じていて、2階からは子供の歓声が聞こえている平和な感じ。
街自体がコンパクトな感じではありますが、雨が降っているので散策は断念。それにしても1人でバスに乗っていると気が滅入ってきますね。景色が悪いわけではないのですが、雨でもありますし、なんとなくね。
バスターミナルはこちらも係員がいて切符を購入。軟券のゴム印押しで、こういう乗車券発売の会社も珍しくなった。そのうちに先ほどのバス運転手さんが戻ってきてターミナルで休憩、10分後には稚内まで回送とは、正直大変だなと思う。

鬼志別を私の乗ったバスの約13分後に走ってきた音威子府行きのバスが到着、当然のように車内は空っぽで、私が乗ろうとすると驚く始末。一番前の座席には衣類バッグとカップ麺の入った袋が。行路表では稚内から鬼志別まで回送、鬼志別から音威子府まで営業して音威子府宿泊とのこと。正直通学と反対方向のバスを2台続ける理由がなく、事情はあろうが効率が悪い。

浜頓別からのお客さんは結局私だけ、次の浜頓別高校ではやっと高校生10人ばかりが乗車。日曜日なので部活帰りだろう。田舎のバスに珍しく皆静かで携帯ゲームに興じているように見える。そのほかに乗ってくる人はおらずバスはひたすら雨の中を走り続ける。
常磐乗降場はすぐ脇を通るはずだが全くわからず、下頓別は廃止後に設置した駅名標があるらしいのですが確認できず、新弥生もまったく見えません。寿は縁起の良い駅と有名になりましたが確か局指定の乗降場だから国鉄時代は入場券とか無かったと思う。ここは国道から離れてるので未確認。

中頓別はしっかりしたターミナルで天北線関係展示があるはずですが時間なく下車せず。高校生は皆ここで下車。またも車内はワタシ一人です。
ここには真っ青のキハ22が展示されていますがさすがに状況が悪く窓がいくつか割れているような状態。既に車内には入れないようです。

雨の中国道をひた走りますが、気が滅入るほど同じような景色なんですよね。
上駒は確認できず、松音知は多分あれかなぁという建物が見えるだけ(結構施設が残っているらしい)周麿は確認できず、敏音知はピンネシリ温泉バス停のところの道の駅がそうなはず。軽く一瞥して通過。恵野、上頓別もわからないですね。

小頓別で久々に駅跡バス停。一旦右折で折れて入りますが、例によって乗客なし。それ以上に目を引くのが木造の和洋折衷建築旧丹波屋旅館ですね。バスから見ることしかできなくて残念ですが、国の登録有形文化財に指定されてるはずで、是非こんどは車で訪問したいものです。

峠を越えると音威子府村に。この先は集落が少なくバス利用もほとんど無いことから音威子府村は天北線協議会を脱退しています。あくまでこのバスは浜頓別などから音威子府を経由して特急等を利用するという目的になっています。

上音威子府あたりも離農が進み無人地帯で道路だけがある状態。もうすぐ音威子府というところであの音威子府バイパスの音威子府ICが現れます。もう橋はできていて、あとはICを作るだけの状況です。しばらくは中川方へのハーフICなので簡素な作りのようです。このICも天北線の線路跡地が一部使われているはずです。

さらに宗谷線を潜れば音威子府駅に到着です。

かなりの区間を一人移動であったのですが、休日とはいえ本当にバス利用客は車を持たない老人と高校生に限られるということがいえます。大型バスが必要な区間がほとんど無いが、通学輸送では大型車が必要という矛盾でバスを廃止できないという状態はなかなか苦しい状況です。

バスはすぐに駅横のバス待機所に向かい、運転手さんは明日まで休憩なのでしょう。


https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1d7dzjqpBGfGgkWDr4lxvGeAE1y0&hl=en_US
このあたりの旧バス路線をプロットしたものがあります(これ、ずいぶん前に私が作成したものだったりする)猿払村営バスと旧天北線バス経路と旧曲淵線経路がわかります。
ほとんどの区間は現状と変わっていません。


さて、既にJRの駅員さんがいない音威子府駅から4330Dで帰ります。この列車は4329Dからの折り返しで、一応名寄の高校生の帰宅列車なのでしょうが、音威子府到着時には誰も乗っておらず、運転士さんは2名運行。一人は乗務員待機所に入っていきました。少ない本数ながら運行する手間や乗員の手配は大変なものがあると思われます。

4330Dは4人の客を乗せ出発。全て普段乗らないであろう人ばかりです。こんどのキハ54はR51リクライニングシートが並ぶ集団見合い式。前向きの席を選ぶとリクライニングを倒して寝に入ります。少しシートが柔らかすぎて余計に尻が痛いのですが、それでも寝てしまえばこっちのもの。名寄まで乗降無く、名寄と士別からは高校生が乗り、和寒で大量下車、最後の区間は10人程度と寂しい車内でした。南線区間も含め宗谷線の乗客数はかなり厳しいですね。

本当ならそのまま札幌まで18きっぷで帰れる時間ではありますが、某駅に放置した車を拾い帰宅は深夜。さすがに疲れた強行旅でございました。乗りっぱなしだしね。


(コメント追記)
ちなみに廃線跡のサイクリングロードですが「北オホーツクサイクリングロード」といいますが、行った人の談を読みますとこれが「ろくに整備されていない」(路面が荒れているらしい)「入ったら飲料水補充や休憩できる施設がない」(旧駅待合室があるが破損が進み使い物にならない)「一般道へ接続されている場所が少ない」(そりゃ廃線跡だしな)「熊出没注意」とかで、それなりの装備が無いと行くべきではないようです。閉鎖までされていないようですが「熊出没のため立ち入り禁止」の看板があるようです。

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