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夕張に行ってきました①夕鉄バス(新さっぽろ駅-夕張南部)に乗ってきた
2017/09/22
●はじめに
夕張は私にとって身近に感じている町。札幌から60km程度の距離であり、ドライブするには適当な距離で、財政破綻前はそれなりに見る場所も多かったし「観光地」なわけです。妻と結婚前に初めて遠出のデートをしたのも夕張だったりしますし。産業文化系なものをとりあえず気軽に見ることができるという意味でも夕張は手頃な場所。
今でも年に2回ほどは夕張に足が向いています。ただ、交通機関としてはどうしてもクルマになってしまう。現地での足が乏しい以上どこを見るにも車が便利なわけです。
私は幼少期江別市内で過ごしていました。1980年代前半、一番近いバス停は夕鉄バスのもので、ちょっと「おめかしして出かける」とすれば札幌都心部より新札幌でした。
新札幌は札幌市の厚別副都心開発基本計画で高架新線の千歳線と高規格な道路である南郷通が整備され地下鉄が開業。ショッピングセンターや青少年科学館や水族館が建設され、ある程度今の形になったのが1982年ですので、ちょうど私の「物心」がつくころに合致します。
当時車を持たなかった私の家族が出かけるといえば夕鉄バスで新札幌だったわけです。当時の夕鉄バスは今に比較すれば本数は多いものの、非常に混雑していた印象があります。過去の時刻表を公開しているサイトで調べますと、1983年の時刻表では快速便の表記があります。この快速便はよく利用しており野幌若葉町付近から新さっぽろ駅まで無停車という便。このようなバスを運行せざるを得ないほど江別市内から新札幌への需要があったと伺えます。
ほどなく快速便は廃止になったものの当時の夕鉄バス江別付近は現在とは比較にならないほどの頻発運転を行っていたことがわかります。また、新札幌から都心部、大通西3丁目への直通便も30分から1時間おきにありましたので、時間こそかかるものの都心への買い物も夕鉄バスを使っていたのでした。
幼少期より帰りの便の行き先は不思議に見ていました。江別市内である「あけぼの団地」のほか、南幌、栗山といった地名にさらに「夕張清陵町」「夕張南部青葉町」なんて表記は子供心にどのような場所なのか想像もできず、地図を見て遠い「果て」に思いを巡らせました。
我が家では移動は交通機関ということで必ず時刻表がありました。定番は弘済出版の道内時刻表で、親戚の多い留萌方面に行くための時刻を調べるとすぐ横は夕張方面の時刻を掲載してあるのが常でした。江別市内にいるとなじみの無い札幌夕張急行便や大夕張、登川、真谷地といった地名を多く目にします。「夕鉄バス」の違った一面を教えてくれたわけです。
さて、時は流れまして、それから約30年。夕鉄バスの路線は大きく減少し、本数も恐ろしく減少しました。2009年から急行線が新さっぽろ駅始発に短縮、減便理由も乗客減の他に乗務員不足が挙げられるようになっています。2015年に札幌急行線と登川へのバス乗車をしてみまして、その厳しさの一端に触れたわけですが、今年はその登川も含め南部、真谷地への路線も廃止されることになります。
夕張市内の夕鉄バス路線は
・(急行)新札幌-由仁-夕鉄本社ターミナル-清水沢・南清水沢駅前
・新札幌-栗山-夕鉄本社ターミナル-清水沢・南清水沢・中学校・高校-新夕張
・社光-夕鉄本社ターミナル-清陵町・高校・中学校・南清水沢-夕鉄本社ターミナル-社光(循環)
のわずか3路線になるということです。
幼少期に見た「南部」という地名、大夕張(鹿島)が湖底に沈んだあとも残されていたこの地域へバスで訪れることはもうできなくなります。
今回平日の休みが1日だけ取得できたので、1日夕張を巡ってくることにしました。
●新さっぽろ発夕張南部行き夕鉄バス
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平日朝9時台の新さっぽろ駅はまだラッシュの余韻がある感じ。ショッピングモールの多くの店舗は10時開店でその従業員が出勤する姿も見えます。いくつか営業している喫茶店でコーヒーを飲み、複雑な階段をつかってバスターミナルに行きます。
1990年に再整備された新さっぽろバスターミナルは駅ビルの1階を占めていて、駅ビル内から階段等でアクセスできるものの、いまいち出入口がわかりにくいきらいがあります。JR駅、地下鉄駅に行きやすくJRバスの案内窓口(北レーンから移転した)が近くにある南レーンはともかく、北レーンはわかりにくく感じます。その北レーンの中程12番乗り場が夕鉄バス専用として使われています。
10時を前に館内施設の「開店3分前です」という従業員向け放送が流れる中(バスターミナル放送も駅ビルと同一となってるのだろう)バスが着けられます。いまとなってはかなり古く感じる日野製の大型路線車です。ナンバーが札幌22か3089ということは分類番号3桁化が札幌は1998年で、3000番台は2桁最終期のはずですのでこの車両は1997年頃の車両となるはずです。少なくとも20年走り続けていることになりますね。なお、類する車両を見たことが無いので夕鉄バスが新車で自社発注してると思われます。
新さっぽろからの乗車は5人ほど。国道12号線に出るとしばらくはジェイアール北海道バスと同じ停留所に停車します。細々と乗車があり、江別市内へ。酪農学園を超えると右に折れます。国道を直行し野幌駅前に入る国鉄(ジェイアール)バスと異なり夕鉄バスは鉄道の東側通称鉄東線を走り、この地区では大きな需要があったものと思います。長らく存在した測量専門学校(その後北海道理工学院の後閉校)の学生がよく乗っていた印象もあります。
江別市内に入っても細かく乗降があり、意外と使われている印象です。平日の昼間で学生らしい姿は見られず、ほぼ客層は高齢者か中年女性なのですが、利便の良い時間帯なのでしょう。
野幌駅手前から鉄道は高架となります。以前地平を走っていた頃は踏切だった白樺通(2号線)はアンダーパス化されていましたが、これを埋め戻す工事が行われています。実質的にアンダーパスが機能したのは30年無いのではないかとおもいます。当時を考えるととても線路を高架にするという発想は無かっただろうとは思いますし、致し方ない話かとは思いますが、若干のもったいなさも感じるところです。
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旧北海鋼機前駅だった野幌バスターミナルで5分ほど停車し乗務員が交代します。それまで運転していた方は定年間近か嘱託ではと思われる年齢の方。交代した運転手さんも50代と思われます。夕鉄バスの乗務員不足を報じる記事では定年退職に対しての新人確保が難しい旨いわれていますし、車内に掲示されている乗務員募集案内では時給1000円の準社員募集で、これではなかなか集まらないだろうとも思います。
夕鉄バスの江別市内は上江別を経由する便、新興住宅地のゆめみ野・早苗別を経由する便、一部の速達便が経由するきらら街道経由便がありますが、この便は鉄東線を直行する一中経由となります。便数の少ないこの経由便でも乗降があり、少ないながらに使われているのが「地域の足」として素晴らしいことです。
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江別駅前では10人ほどが乗車。奥様方で華やかになりますが、ほとんどあけぼの団地までで下車。そういえば見ていて皆さん現金払いです。回数券を使う方も全く見られず、これは結構珍しいことだと思います。
江別市内はジェイアール北海道バス、中央バス、夕鉄バスの3社がメインで運行しています。夕鉄バスを除く2社は札幌市内と共用の車両を使うことからSAPICAに対応し、結果的に乗車カードの共用化が図られました。現在ではkitacaやsuicaといった交通系ICカードにも対応しています。しかし、夕鉄バスにICカードは導入されず、それもまた地域で2社と併走する場合の「使われなさ」に繋がる部分があります。(ただし、SAPICAは車内での販売を行わず、購入できる場所が限られるだけに江別市民のSAPICA所持率は気になるところ)
札幌のベッドタウンとして注目された南幌町。ここへのルートはいくつかありますが、かなり古くからあるのがこの江別からのルートと思います。道道1056号江別長沼線といいますが、その後夕鉄線路敷地を道路に転用したきらら街道開通でメインルートから外れています。さらに数年後にはゆめみ野地区とを結ぶ橋が完成するので人の流れも変わりそうです。
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南幌町内へ入った頃に乗客はついに2人になりました。札幌近郊では人気のある日帰り入浴施設南幌温泉に寄りますが乗降無し、しかし、南幌町市街地で1人乗車します。旧南幌駅近くの複合施設南幌ビューローで3分ほど休憩。「ビューロー」は役所的な機能を言うのかと思いますが、役場などは別ですし、どのような命名意図があるんでしょうね。
南幌町もジェイアール北海道バス、中央バス、夕鉄バスの3社のバスが運行します。3社が南幌ビューローに乗り入れ、駐車場も完備されているのでパーク&ライド的な利用もあるように見えます。
ジェイアール北海道バスは北広島を経由して地下鉄大谷地へ、中央バスは栗山や夕張からの便が高速道路を経由して札幌へ向かうという形で9往復が運行されています。夕鉄バスは江別や高砂で鉄道への連絡ができるという利点があり、また南幌東町付近のニュータウンに乗り入れるのも特徴です。
バスは刈り取り目前の稲穂を見ながら道道1080号栗山北広島線を走ります。途中道の狭い場所を通過、このあたりが南幌町と長沼町の境でバス停も「村境」そして夕鉄駅跡になる北長沼にかかります。大きくない町ですが農業倉庫などに鉄道の痕跡を感じます。何度か曲がるとまた夕鉄路盤を使った道路に、夕張川を渡ると栗山町です。野幌-栗山間のほとんどが道路に転用されている夕鉄跡地ですが、相当に平野を貫いて作られたことがわかります。
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栗山駅で5分ほど休憩。運転手さんは外でタバコタイムです。もちろん時刻表上もここで休憩となっており、単調な「田舎道」を走ることもありますし、休憩は大事なことです。
ここでは鉄道とバスの乗り換え拠点となっていてターミナル機能を維持しています。中央バスは岩見沢、長沼方面と札幌への高速バスを運行しており、夕鉄バスの路線の一部も代替している町営バスもここを拠点とします。駅横には大規模な駐車場もあり、ここでもパークアンドライドが機能しています。
特筆するべきはこの駅の案内機能。駅内に案内窓口を有しており、栗山観光協会によりJRの簡易委託、中央バス、夕鉄バスの定期券、回数券発売が行われています。ちなみに私の知る限り中央バスの回数券、券売機発売以外の「常備乗車券」はここでしか発売していないはずです。
バスや列車の行先案内アナウンスまで行い、コインロッカーなどの設備や駅構内、自由通路、トイレのバリアフリー化も行われている「理想」な交通接続施設です。栗山町すごい。
休憩時間に飲料水を調達、乗降はなかったものの、栗山市街の役場前や日赤病院前では乗車もあります。栗山高校近くには新規オープンのホームセンターがあり渋滞。車社会であり、施設を巡るには車が便利なのは否めませんが、それなりに域内利用もあり、なんとかバスの本数は維持していってほしいものだと思います。
角田地区も夕鉄の駅のあった地域で、集落が形成されています。少し大回りに夕張橋から道道3号札幌夕張線に入ります。ここからはバスの速度がぐんと上がる感じがいたします。実際坂を上っていく形ですし、車の流れも速い感じですね。継立も夕鉄の駅があった地域、このあたりで栗山からの利用者はあらかた降ります。それでも車内は数人いますので心強い。
新二岐は夕鉄時代の駅舎が現存しています。中央バスのバス停は「新二股」と書き方が違いますが駅があった頃は「新二岐駅前」だったはずでどこで変わったのでしょう。
バスは人家もないような山路を走っていきます。鉄道時代はスイッチバックだった錦沢は夕張市のサイクリングロードが閉鎖されており、現在は訪問の難しい廃駅になっています。錦沢入口というバス停こそ存在しますが、もし行かれるのでしたら熊対策とそれなりの装備が必要だと思われます。
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この付近の道道は廃線跡も活かして大きく弧を描くように高度を稼ぎ4つの橋を越えて新しい夕張トンネルに入ります。この4つの橋「四季の橋」となっておりまして札幌側からですと「錦冬橋」「錦秋橋」「錦夏橋」「錦春橋」となります。橋の銘板は夕張に縁のある方が書かれています。
夕張の入口にぽっかり口を開けるこのトンネルは2代目。先代トンネルは埋められています。町に入るのにトンネルが必要であるということは、夕張は他の町とは独立した地理であったことがわかります。トンネル開通前は山路で超えていたはずですし、鉄道をここに通すためにスイッチバックが必要と考えると札幌までの短縮ルート完成は当時どれだけ喜ばれただろうかと思います。旧トンネルの開通は1965年のことです。
トンネルを抜けると観光地の案内が並ぶT字交差点があります。左が市役所、本町、歴史村方面、右が清水沢、新夕張方面になります。この看板の裏に夕張支線が通っており、旧夕鉄の線路も並んで走っていました。右に曲がってすぐに夕鉄本社バスターミナルとなります。ここは野幌と違い鉄道施設の跡地では無かったようです。乗車も5人ほどあります。ここでも3分ほど休憩。運転手さんはトイレに行かれるようです。
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ここからは「夕張市内線」と同じ扱いで停車していきます。今まで案内放送に広告が無かったのですが、急に介護施設やパチンコ店の広告が流れるようになりました。(というかこの2社しか広告を聞かなかったような気がする)夕鉄は鉄道時代国鉄と併走しながらも駅だけは別に作っています。黄色いハンカチロケ地前近くに若菜駅、平和運動公園に繋がる道路を越える自転車道陸橋も夕鉄の鉄道跡なはずです。この運動公園も石炭施設で平和駅や鉱業所前駅があったはずです。
夕自工前というバス停、U字溝?と思ったら夕張自動車整備工場。ここは以前停留所名が若菜中央小学校前だったはずで、学校は閉鎖され変わったわけです。石勝線列車とすれ違って、温泉橋バス停も聞き慣れない。ここは「自動車教習所前」だった。教習所はすっかり廃墟。葬祭苑前はそのままで、ここから線路を越えて清水沢の集落に降りていきます。ここで数人下車。
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南支所を超えると、以前の市内バスとは違い「ゆうばり小学校」へ入ります。清水沢小学校だったこの小学校に市内全ての小学校を集約したため、バス停ポールが行き先別に別れた「ターミナル」となっています。まだ時間が早く乗降無し。
清陵町で話し込んでた2人がボタンを押すのを忘れて慌てて下車。バスは川を渡り工業団地を横目に夕張高校正門へ。
以前市内バスは国道から線路を挿んだ1本東側の道路を経由していました。実際に集落としてはこちらの方が良いのでしょうが、高校、中学校を経由するため国道を経由するようになったわけです。南清水沢駅で1人下車。
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ここからバスは国道452号線を進みます。遠幌で1人岳見住宅で1人と降りていきます。バスが使われていること、そして、今月でなくなる区間であることを考えると、利用が全く無い路線が廃止になるわけではないというのが残念な部分です。夕南町バス停も幌南中学校前だったはずで、ここで一人下車してついに誰もいなくなりました。
ある程度の区間一人で乗ると思っていたこの路線ですが、最後の最後、ここまで一人では無かったことにちょっとした驚きを感じます。
運転手さんは廃止区間を利用する人にデマンドバスの登録について訪ねています。南部地区は先行してデマンド運行が行われているので多くの利用者は登録済みのよう。ただ、夕鉄バスはデマンド交通に関わらないため運転手さんも実際は登録方法を聞かれても困るはずです。
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バスは三菱大夕張鉄道の車両が保存されている旧南大夕張駅に近い南部バス停に到着。もともとバスの転回を考えて設計されているような場所です。運賃は新さっぽろから1,800円、バス停の数は129、80コマの運賃表にいっぱいになるほどの区間を2時間40分かけて走破しました。
折り返しの時間運転手さんと少しお話ししましたが、自分より若い運転手が少なく5年、10年経つと路線維持は不安だと。あと、夕鉄バスはスクール便を現在運行していないという前段ではあるが、この地域に高校生は2名ほどとのことです。また、タクシー会社もデマンドとスクール便などの業務と人手不足でタクシーとしてはあまり走れない、迎車依頼してもすぐ来ないという話もしていました。
今回廃止、また以前廃止となったバス停留所
市民健康広場清湖町入口
住の江町
遠幌
岳見町
岳見住宅
幌南町
夕南町(旧幌南中学校)
南部霊園
新光町
南部
となります。過去にはこの先、
シューパロダム前(三菱大夕張前)
シューパロ湖展望台(湖畔)
明石町
千年町
大夕張(鹿島)
と停留所がありました。この区間は1997年廃止となっています。
さらに、南部からは
新緑町
菊水町
苗畑町
青葉町
という枝線もありました。青葉町へのバスは1990年頃廃止となっています。
1981年頃までは清湖町入口から分岐した先にも便があり、清水沢ダムの頂上部を走り清湖町に向かっていました。
温泉入口
遊園地
療養所
清湖町
現在は無人と思われますが、当時は温泉施設や結核療養所などがあったようです。
大夕張といえば、美鉄バス(三菱鉱業バス)が1997年まで運行されていました。京王プラザホテルから発車する札幌特急線は、当時としてもかなり古い車両で運行されており、清水沢までノンストップだったこともあり乗車できなかったことは悔やまれます。
美鉄バスは大夕張に営業所を持っており、夕張駅-大夕張車庫、札幌-大夕張車庫を運行していました。夕張-清水沢は夕鉄バスに対して快速運転し、清水沢からは若干経路が違っていたように見えます。
夕張駅前(夕張神社前)
市立病院前(炭砿病院前)
市役所前
レースイハイランド前(現夕張駅)
北高前(末広一丁目)
鹿ノ谷
若菜
清水沢
清栄町(市民健康広場)
住ノ江町
遠幌駅前
北菱
若美町
南部
診療所前
三菱大夕張(シューパロダム前)
湖畔
吉ノ沢
明石町
千年町
宝町
岳富町
大夕張
会館前
代々木町
病院前(鹿島)
車庫前(礦業所前)
また、南部から
新緑町
案内所前
菊水町
という支線もあったようです。最終期は夕張神社-大夕張までの運行でした。
次回
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