北海道の交通関係

夕張に行ってきました②「バスまちスポット」と清水沢・清陵町を歩いてみた

2017/09/22

前回:夕張に行ってきました①夕鉄バス(新さっぽろ駅-夕張南部)に乗ってきた
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=826



●夕張南部発新さっぽろ行き夕鉄バス

さて、バスは15分ほどで折り返し。うまそうにタバコを吹かし終えた運転手さん。このような風景は以前どこでも見られたもので、今ならクレームも入るのかもしれませんが、ハンドル時間以外は運転手さんは休憩中。適切な休憩を取ることが安全運行に繋がるわけです。
南部から乗車してきたのは一人。高齢者が多いとこのステップの高いバスは敬遠されるでしょうね。残念ながら夕鉄バスの車両代替がうまく行っているようには見えず、東京都からのバス譲渡は1台に留まっています。

お客さんはすぐに降りてしまい、その後はしばらく乗降無し。清陵町で1人乗ってきまして、私は中学校前で降りることにします。この便が土曜、休日運休のため南部から帰る足が無いことから今まで躊躇していた南部訪問、車では何度も訪れ、ダム見学などもしてきているわけですが、またバスから見る風景は新鮮でした。



●中学校前(バスまちスポット)

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さきほど車窓から確認していた「バスまちスポット」を見学します。南部行きに乗ってきた方が「待合室見てきたわぁ、これいいわ」と絶賛していた待合スペース。これは一部報道にもなっていましたので、興味深く、是非確認したかった施設です。

朝日新聞報道では
http://www.asahi.com/articles/ASK8Y4Q9NK8YIIPE021.html
>今後の交通網再編を見据えた整備事業の一環で、市は内部のデザインを夕張高校の生徒たちに依頼。現在の利用者であり、将来の街づくりを担う世代でもある若者たちは、子どもから高齢者まで幅広い層が利用しやすいように工夫を凝らした。利用は今月1日から始まる。
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とのことで、設備自体は簡素なものであるものの、中身は学生が頑張って考えた様々な施策が入っています。

まず、このバスまちスポットはなぜ設置されたのでしょうか。
夕張市は、清水沢地区を「都市機能が集約した、ゆうばりの新たな拠点となるまち」として整備することにしました。清水沢地区に市内唯一の高校、市内全中学校を統合した中学校があり、また、この地域に住宅を建設し、公共施設を再編するという目標を掲げたことによります。
そして、この地区に必要な公共施設をまとめた「拠点複合施設」をつくることにしました。
この拠点複合施設は
・児童、生徒の放課後の居場所となる児童館機能
・図書館機能
・市民交流施設
・交通結節点(ハブ)機能
を持たせるべく設計されています。これはJR夕張支線の廃止後、そしてその代替バスとデマンドバスの集積も関わってきます。
今回、そのうちのバス待合室機能と、放課後の居場所をつくることを目的に拠点複合施設までの「つなぎの施設」として開設されたものです。
空間デザインやアイデアを高校生の授業の一環として依頼することで「自分達のこと」ととらえることと、次の世代が使うことを念頭にした施設になったはずです。
例えば「小上がりスペース」はお年寄りや子育て世代が使いやすいという目線で設置されたようです。また、部屋を分けた自習スペースもその一つです。

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外観は階段とスロープが設備されており、手すりも含めて入りやすく出やすい構造が目を引きます。建物こそ工事現場のプレハブなわけですが、内装も含めて意見が取り入れられているようです。また、管理人氏が常駐しているようで、少し話を聞きましたが、まだ拠点複合施設の正確な場所が決まっていないので、早めに準備した旨を言っておりました。

なによりバス待ち時間も勉強でき、寒い思いをしたりしないのが大事なわけです。いままでの「小屋」はどうしても暗く寒いわけで、バスという多少時間にアバウトな交通機関では必要な設備と思います。

なお、電気、暖房、Wifiの設備がありますが、予算の厳しい中で水回りの供給が行えなかったようでトイレの設備がありません。これは隣接するホームセンター「ホーマックニコット夕張店」の設備を使えるよう高校生が依頼文を考え、同店も快く受け入れたとのことが広報されています。

広報ゆうばり2017年8月号に、このようなことばが掲載されています。

「破たんから10年
できない理由を言ってきた
しかし、一番の被害者は誰であったか
それは子どもたちだ
彼らがChallengeできる環境をつくる
そのために
我々大人には、何ができるのか」

たかがバス待合室ではない、夕張市の本気が、まずバス待合室なのかもしれないですね。

先ほど書きましたが、栗山町がJR、中央バス、夕鉄バスを分け隔て無く案内する「交通案内窓口」としての機能を駅に持たせたことを私は素晴らしいと思っているのですが、同様にこの施設は将来的には図書館などの施設や役場機能の一部、バス案内関係の施設も入るであろうと思うと、究極の「ワンストップ型」施設になるわけです。
今後どの自治体も制限の厳しい中公共施設の集約をしていくことになります。この施設が「拠点複合施設」として整備される時に、どのような形になるのか、私は注目しています。



●清水沢地区を歩く

さて、夕張市を地図で見ますと、市街地が大きく3つに別れていることに気がつくと思います。市役所がある本町地区から鹿ノ谷、若菜付近。清水沢、南清水沢、清陵町地区。そして沼ノ沢から新夕張駅(紅葉山)付近です。この3地区を結んでいるのがJR夕張支線であり、路線バスとなります。
そういう意味で市の中心部となり、学校も集約された清水沢地区は、今後の夕張を象徴するような場所であるはずです。次のバスを待つ間この地域を歩いてみます。

今私がいるのは先の「バスまちスポット」がある中学校前バス停です。北側には南清水沢駅、南側には夕張高校の校舎が見えます。また、ホームセンター、セイコーマートなどの店舗も見える典型的な国道沿いです。

この中学校前バス停。以前は児童公園が広がっていました。しかし遊具は放置され危険なため閉鎖されていて、今回この場所をバスまちスポットとして整備したものです。また、その近隣のホームセンターも2015年に移転開業したあたらしいものです。

南清水沢駅側に歩きますとAコープ清水沢店と新しい公営住宅が見えてきます。過去には当時の石原都知事が「夕張の公営住宅を都民の別荘にすれば良い」と発言したようですが、この新しい公営住宅と、既存の公営住宅の差を見れば、朽ちたような公営住宅を「別荘」にする都民がいるわけがありません。私も含め、現状を見ないで「思いつき」で発言することくらい危険なことはないわけです。それは必ず悪い影響として跳ね返る。その立場が上であればあるほど。

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南清水沢駅は簡易委託が維持されているものの、平日は6時-9時という短い営業時間となっています。土曜は11:45-13:00も営業しているようですが、2年前の訪問時はもっと長い時間営業されていたはずです。委託係員の体調が思わしくない話は聞いており、廃線まではなんとか全うされて欲しいとは思っています。
駅待合室は飾り付けなどはされているし、決して不快な空間では無いのですが、残念ながらトイレの臭いが酷くホームのベンチで休憩。元々この駅は旅客専用で交換扱いもなかったことからこの片側だけのホームが開業当時からのものと思われます。そういう意味では支線内の他の駅とは起こりも利用者も全く異なる異質な駅だったわけです。だからこそ今も委託駅員氏がおられるとも言えます。

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駅から1本東側の道に入ると鉄道や国道からは見えない南清水沢の「街」が現れます。郵便局に診療所、理容室、美容室、ビジネスホテルに障害者施設に幼稚園といった先のAコープも含めて生活に必要な施設が集約されます。
そしてここには目新しい集合住宅が建ち並びます。背景に見える炭鉱住宅とは大きく異なる外観に新世代を感じるわけです。

ここからは夕張川を挿んで対岸の清陵町に渡ってみます。特に車両通行止めの看板は見ませんでしたが歩行者と自転車用途思しき通路を歩きますと川を渡る橋が見えてきます。
清陵通学橋という214mある長い橋で1982年に完成したものです。
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夕張川の河川敷といっていいような場所にも、ほぼ住んでる人がいないような住宅が並んでいます。

ここで夕張の歴史を少しひもとくと、人口が最大だったのが1960年で11万6千人。この頃に大夕張地区に大夕張ダムが完成。南清水沢駅が開業したのもこの頃です。夕張鉄道の廃止が1975年、北炭夕張炭鉱としては1971年から1977年までに全て閉山し、石炭の歴史村の計画と工事にとりかかります。、石炭の歴史村は1980年に第一期開業し、1983年に全面開業することになります。
よくバブル時代に無謀な観光投資をして夕張は破滅したと言う方がおられますが、時代背景的に全くの誤りであることは年表を見れば明らかなことです。夕張のインフラは石炭とともにあり、石炭が無くなり住民数が減っても11万人が生きていたインフラを「処理」する必要がありました。観光投資が破綻の一因であったことは否定しませんが、観光投資を行わなければ夕張が生き延びれたわけでも無い訳です。
(このあたりはJR北海道問題にも繋がる話です、あのときの施策が悪かったと結果論だけで批判することなど意味の無い話です)

「ビルド鉱」としてできたのが1975年から産出を開始した北炭夕張新炭鉱となります。1980年当時夕張に残った炭鉱は北炭夕張新炭鉱、北炭真谷地炭鉱、三菱南大夕張炭鉱の3つだけでした。1981年の事故で夕張新炭鉱は閉山。真谷地は1987年、南大夕張は1990年閉山となり、夕張から石炭の坑内掘りは全て姿を消すことになります。

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その夕張新炭鉱の従業員が多く住んだのが清陵町です。この地域に唯一残るスーパーコープさっぽろのあたりが清陵町バス停。そこからいくらも歩かずにたどり着くのが北炭夕張新炭鉱の入口である通洞と事故慰霊碑です。「川向こう」といわれた清陵町自体が北炭夕張新炭鉱の炭鉱住宅街として都市計画されできた街です。1970年代に建設された団地型の住宅はそれまでのいわゆる「炭住」に比較すれば大きく新しいものです。
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これだけの大きな人口が急激に減ったからといって、インフラをすぐに小さくすることはできません。住宅は市が買い取り市営住宅とし、失業者対策としての観光業、工業団地造成による企業誘致などできることはやった結果の破綻であることを理解する必要があります。
(これも当時の利用客を捌くために投資し、運行してきた設備を、今1/10以下の人口を運ぶために運行する設備にすぐに縮小することはできないJR北海道の事情にも通じます)

その時代背景を考えると清陵通学橋は北炭夕張新炭鉱の閉山とともにできあがったという非常に悲しい運命な橋といえます。清陵町地区から鉄道や高校通学にはこの橋ができる前は大きく迂回する必要がありました。その通学の便を図るための投資は、閉山とともに清陵町地区の人口が激減してきた歴史を見続けたわけです。

清陵町を含む清水沢地区は現在3,300人が住んでいます。これは夕張全体のおよそ4割を占めることになります。夕張市が清水沢地区を「中心地」として事業を行う意味があるのです。


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