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夕張に行ってきました④社光から本町、夕張駅へあるいてみた。そして未来へ。
2017/09/22
前回:夕張に行ってきました③夕鉄バス(清陵町-真谷地-新夕張)に乗ってきた
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=828
●社光から本町へ
社光でバスを降りる人は「物好きしかいない」だろうと予想していましたが、まちがいなくその状態です。時刻はまだ17時になっていないが、周りに人の気配が無いのです。フォト
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まず、比較的新しい建物なはずの郷愁の丘ミュージアムに向かってみます。もちろん現在は閉鎖されていますが、2001年にオープンした「シネマのバラード」「生活歴史館」「センターハウス」があったはずです。私も間違いなくここは見に来ており、かなり混雑した施設だったと記憶しています。資料などはそのままなのかはわかりませんが、窓から西部警察のパトカーらしい展示は見えています。中に明かりが付いてる場所があるので全く使われていないようには見えませんし、あちこちに立入禁止の札があります。「郷愁の丘セミナーハウス」と書いてありますので、用途が観光から合宿所のようなものに変わっているようです。
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さらに進むと古びた橋が架かっています。これが「高松跨線橋」で下は立入禁止となっています。つまり、今歩いてる場所が北炭専用線の跡ということになります。
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その先には「北の零年」希望の社への入口ですが立入禁止のようです。この施設は2005年に映画セットの移築でのオープンだったはずです。
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このあたりは社光の炭住が密集していた場所で、施設運営も加森観光から花畑牧場になり、生キャラメル販売やホエー豚の食事提供などを行っているのは聞いていたが、2012年に管理を市に返却しているはずです。
その先に行くと本来は石炭の歴史村へ続く橋になってるはずですが立入禁止。施設が破損し、危険な状態になっている場所も少なくありません。
郷愁の丘ミュージアムの駐車場だったと思われる広い空間に抜け戻ります。車は入れないことはなさそうだけど所々地面が隆起しており、車を壊す心配があるかもしれません。
さすがに熊は出そうにありませんが、とかく人がいないので寂しい感じです。まぁ、近くにまだバスは止まってるだろうけど。
時間が時間だけに花畑牧場は電気は点いているものの閉店。結果的にうまく行かなかったかもしれませんが、夕張に進出しようというのは勇気のある行動だったとは思います。ただ、手広くやり過ぎたかな?と思うところです。
花畑牧場自体は現在生キャラメルだけではなく業務用チーズなども製造しているのでメディアにはあまり取り上げられない中頑張っているようには見えます。
花畑牧場の向かい側が夕張神社です。この神社を創建したのは北炭だったはずですので、それはもう夕張と石炭と切り離せない施設です。旅の安全を祈願。
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神社から見えるズリ山、そして石炭の歴史村施設の数々。この神社の前に初代の夕張駅があったはずです。
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道を行くと花畑牧場の工場の隣が公営住宅。H58と書いてあるので1983年の建物と思われます。反対側は丁未風致公園で石炭の歴史村と同時くらいにここにできた施設のはずです。
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その先が夕張医療センター。この病院は夕張炭鉱病院-市立病院と歴史を刻んでいます。炭鉱病院はもちろん北炭の施設だったわけです。市立病院移管は1982年。そう、北炭が炭鉱事故後閉山になった時期と一緒です。「診療所」としては規模の大きい建物は所々壁が剥がれるなど老朽化が進んでいることが伺えます。
診療所の向かい側に栄改良住宅。改良住宅とは老朽化した住宅密集地などを整備するために改良地区として指定して新しく住宅を建設するものです。夕張には炭住密集地を「改良」したこのような住宅が設置されています。北炭の建設した炭鉱住宅を市が買い取り、市営住宅やこのような改良住宅にした例も多々あるわけです。
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ホテルシューパロが見えてきました。このホテルは夕張市立の宿になります。この場所には「丸丹おかむら」という百貨店がありました。百貨店協会に加盟した「百貨店」は私の知る限り空知地方に他に無いはずです。それだけ当時の夕張が景気が良かったことがわかります。丸丹おかむらが閉店したのは1980年。人口がピークの半分になった夕張で百貨店を経営できなくなったのはある意味仕方の無いことでした。丸丹という名前からわかるとおり、創業者は丸井今井出身です。
その跡地を1986年にホテル化したのがホテルシューパロです。石炭の歴史村とセットで宿泊施設も必要というリゾート開発としては順当な方法だったわけです。
ちょうど後ろから循環バスがやってきました。診療所で乗せたのか数人の利用客が見え、ホテルシューパロ前でも5人ほど乗車します。夕張市内のバスはこれほど減便されてもちゃんと利用客がおり、夕張市が考えるJR廃止後の再編がうまくいくなら今より交通は便利になるはずです。しかし、今日は平日ですが、このあと18時10分社光発が最終。これでは飲むこともできません。せめてその便の折り返しを本社ターミナルまで運行できないかとは思うところです。
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この通りは「ゆうばりキネマ街道」と名付けられ、往年の名画の看板が至る所に掛けられています。その映画を見たとか懐かしいと思える年代の方にはお勧めな場所です。私も「猿の惑星」の看板なんか興味深く見ましたしね。
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橋を渡ると谷が深いことがわかります。道道側に見える建物は旧夕張図書館。図書館は2007年に閉鎖になりました。ただ、夕張は当時破綻直前まで比較的潤沢な予算を図書館に入れていたわけで、これは財政再建団体化で致し方なかったこと、また、清水沢方面から利用しずらいこともあったわけです。現在は保健福祉センターに図書館機能が移っており、ここは夕鉄バス本社ターミナルの裏とまだ使いやすい場所ではないかと思います。ただ、蔵書を増やす余裕が無く寄付に頼っているのが現状です。(スペースが少ないので個人寄付は受け入れていない)
(なお、図書館潰すなんて市長はバカみたいなページもヒットする。夕張の図書館がどのような状況でどうしたかというのがちゃんと調べられるならこのような間抜けな意見は出てこない)
簗詰医院の歴史を感じる建物なども残っていて、隣のNTT電話局舎は貸しオフィスになってるのか明かりが点いており、IT関係らしい雰囲気、さらに隣は蕎麦店。大きな立派な建物が見えてきました。これが夕張市役所。
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市役所庁舎は1978年に立てられています。炭鉱の閉山は続いていたとはいえ、北炭新炭鉱は産出を開始した直後。夕張が石炭を産出しなくなるなんて当然その当時想像していなかったであろう夕張市にこの庁舎を「先を見なかった」と批判する意味も無いことです。
隣は閉鎖された市民会館。1963年建築で夕鉄の夕張本町駅と合築で作られており、2007年に財政再建団体化で一旦閉鎖しNPOが再開、その後アディーレ法律事務所とネーミングライツ契約し「アディーレ会館ゆうばり」となりました。2015年耐震診断費用捻出、補強の断念で閉館しています。
その隣はハローワーク。このあたりも住んでいない廃墟と思われる建物、半壊したまま放置されている建物が多く、胸が痛くなります。坂を下りて、階段をさらに降りると本町地区の団地が見えます。夕張小学校と夕張中学校がいずれも廃校で並んでいるものの、小学校はレストランとして使っている模様。
●夕張駅
坂を上がると大きな建物が見えてきます。これがホテルマウントレースイ。横にはスキー場へのゴンドラ乗り場がありますが、夏季は閉鎖になっています。このスキー場は大和鉱業が開発したもので、大和鉱業は穂別などで炭鉱を開発しており、1972年に「レースイ国際スキー場」をオープン。1984年に経営権が「石炭の歴史村観光」に引き継がれます。フォト
1988年に松下興産がレースイスキー場そしてホテルシューパロを買収し、1992年にホテルマウントレースイをオープンすることになります。松下興産はその名の通り世界の松下グループであり、スキー場の拡張ゴルフ場の開発など相当な投資を夕張に行っています。
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JR夕張支線の夕張駅がこのマウントレースイ前に移転したのが1990年。市役所、市民会館の真裏という常識的に市として最適な位置にあった夕張駅をここに持ってくることになったのは市の要請にJRが応えたからで、新千歳空港駅開業とリゾート列車をここに走らすことも当然目論んでのことだったと思われます。
トマム、サホロ地区へのスキーリゾート列車が当時ブームだったことを受け、千歳空港から1時間程度というレースイリゾートへ列車を走らせることは当然考えていたはずでしょう。
2002年松下興産は夕張の各施設の営業から撤退、夕張市はその施設を買い取り冬期は営業できない石炭の歴史村とともに通年型リゾートを目指したことが伺えます。
結果論で言えばそれがその後の財政再建団体化に繋がるわけですが、様々な本を読んでも松下興産の名前を出せない本がいくつかあるように見受けられます。また、新聞等でも「石炭の歴史村」の失敗について掘り下げるもののレースイリゾートをはじめとする松下興産がらみの記事はあまり見かけません。
そして、今年レースイリゾートを含む3ホテルは中国資本の元大グループに売却されることになりました。
●中央バスで帰宅
フォト少し時間が余りましたので駅舎に入っている喫茶店「和」に入ります。コーヒーだけだったのはもったいないほどのメニューもあり、次回は食事も取りたいところ。コーヒーもフレンチとモカが選べるのも素敵です。
同窓会なのか少々酒の入った地元の方が話し込んでいるのを聞きますが、地元の人に駅の喫茶店が愛されるのは素敵なことです。人なつっこそうなお母さんがバス来るまで待ってなと引き留めて貰って、長居します。
中央バスは札幌への高速ゆうばり号を3往復運行しており、その回送を兼ねた形で岩見沢への路線を1往復運行しています。19時近くなっており既に夕張から市外に出るにはこのバスかJR最終便しかありません。
札幌から来る高速車の折り返しなので当然のようにICカードをタッチして乗り込むと、これはローカル路線だからICカードは使えませんとのこと。まぁ、代わりに回数券を使うことにします。
夕張と中央バスの関係は1956年まで遡るはずです。早くから札幌と岩見沢への便を出しており、夕張市内から札幌市内へは夕鉄バスとともに競合していた歴史があります。また、岩見沢線は共同運行していたはずです。
石炭の歴史村には夕鉄バス共同のターミナルが設置され、最盛期には増便するほどの利用があったものの、現在ターミナルは閉鎖、マウントレースイまでの短縮となっています。
この路線こそ私一人かなと思っていましたら夕張郵便局前で1人乗車。その後も夕張市内で1人乗せて栗山に向かいます。この最終便になるわりに意外に乗ってる印象です。角田付近からは中央バスの既存路線と同じ停留所。細々乗ってくるのは意外です。通勤があるのかもしれませんが、周りに街灯も何も無いような場所から乗ってきますので、運転手さんもたいへんでしょう。
岩見沢市内に入ると今度は下車も多くなります。夕張から一緒だった方は回数券を1冊購入しそのまま入れていきます。もちろんそういう使い方もOKなのでしょう。
岩見沢駅に到着したのは20時10分過ぎ、運賃は1400円でした。札幌方面は1時間近くの待ち合わせですので、さらに高速いわみざわ号で札幌へ戻ります。こちらはICカードが使えます。岩見沢市内でも利用があるのは先日の苫小牧市内でも同じで地域のローカルバス減便で高速バスの方が本数が多く利便が高いこともあるわけです。岩見沢-札幌の高速バスは昼間15分間隔で20時台でも20分間隔と頻発で市内線より多いわけです。
●おわりに
さて、今回は廃止間近の夕鉄バス南部、真谷地路線を乗車してきて、夕張市内を見てきました。わずか半日見るだけで私がどうこう言えるようなことはまったくありませんが、だいたい夕張を取り上げるサイトは「廃墟」をメインにしますし、実際それは目立ちます。しかしながら財政破綻から10年たち、少しづつ街の先を見えるようになってきています。決して暗い話題だけではない夕張を、もしよければご自分の目で確かめて欲しい。そう思っています。そのときは是非地元のバス会社にも乗ってみてほしいなと思います。車では見えない街の顔が少し見えるはずです。