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北海道の交通関係
旧夕張鉄道線線路跡を巡ってみました①
2020/08/25
最近現地まで輪行し、現地では自転車での移動ができるようになりまして、今まで徒歩では時間がかかってなかなかできなかった移動ができるようになりました。
以前から気になっていたのが江別市にあります野幌駅を起点に南幌、栗山をへて夕張を目指していた夕張鉄道の廃線跡です。江別市内から南幌、北長沼にかけては広域農道「きらら街道」として道路としての整備が行われておりますので、比較的廃線跡を辿るのは容易です。栗山-夕張は一部が道路、一部は自転車道として整備されていました。しかしながら、夕張市の財政的な問題もあり自転車道は一部が通行止めとなっていると聞いています。しかし、夕張市内の一部は通行可能とも聞いていますので、確認したくなったわけです。
今回夕張鉄道の廃線跡をたどることに関しては北海道廃線路線図様の地図情報も参考にさせて頂きました。
今回は夕張側から辿っていきたいと思います。当サイトで作成した石勝線廃止区間の線路設備と、旧夕張鉄道駅の位置情報をプロットしたGoogleマイマップも参考にしてください。
旧国鉄初代夕張駅
さて、夕張鉄道の前に、廃止時の石勝線夕張駅は3代目となります。初代は明治25年に開通しており、現在の夕張市石炭博物館のあたりに駅があったようであります。その後駅新築などがあり、1985年までは夕張神社の真下付近に駅があったことがわかります。
夕張神社からみた初代夕張駅付近。石炭の歴史村(夕張市石炭博物館)への道路分岐を知らせています。また、撤退しましたが花畑牧場の夕張店の建物も見えます。このあたりが「黄色いリボン」というサイクリングターミナルだったはずです。過去の写真などではこのあたりもふくめて広大な夕張駅・機関区などの鉄道敷地であったことがわかります。ここから夕張本町・2代目夕張駅までの線路敷きは道道夕張岩見沢線の道路に転用されています。元の道路は神社前の細い道だけで、道の両側に商店が密集していたことがわかりますが、今は廃墟どころか森に還っているという感じです。
夕張本町駅・2代目夕張駅
夕張鉄道の終点は夕張市役所・夕張市民会館の裏手にありました。夕張市民会館自体が夕張本町駅の駅舎となっていたようです。国鉄線はその北側を走っており、昭和7年までは複線でしたので、夕張鉄道と合わせて3線走っていたことになります。一部は道道夕張岩見沢線の道路築堤になっていますので、面影はありません。

夕張市民会館は1963年(昭和38年)のオープン。元はこの夕張本町駅から丁未までの北炭専用線の接続があったようですが、このときは既に夕張本町駅を終点に旅客駅としていたように見えます。国鉄夕張駅は石炭運搬のため夕張市街地から離れていたこともあって夕鉄の駅は利便は高かったと思われます。その後1971年に夕張本町駅を廃止。
国鉄は1985年に既に運炭を行っていなかった石勝線夕張駅をこの位置まで短縮し、2代目夕張駅として開業。駅舎は貨車駅舎だったようで、市民会館脇に置かれていました。

ここから夕張鉄道末広駅、JR夕張駅(3代目)へは草が生い茂っており、跡をたどるのは難しく見えます。少なくとも1990年まではここにJRの線路があったはずなのですが、30年も前の話ですからね。
末広駅・3代目夕張駅
夕張本町から末広は道道夕張岩見沢線の脇を線路が走っていたと思われます。JR夕張駅の短縮後の1993年の航空写真でもこのあたりははっきり残っているのが見えます。しかし、現在は多くの場所が完全に草に埋もれて、一部は作業用通路のような形で通れないことも無さそうですが、道路と併走でもありますので、道路を通って進みます。

旧末広駅は現在セイコーマート夕張本町店が立っている場所ではないかと想像できます。ここから見えるのが支線廃止時の終点であった3代目夕張駅になります。マウントレースイの前庭であろうと思いますが、3代目夕張駅方面へ怪しげな舗装路が見えます。ここがサイクリングロード跡=夕張鉄道跡、その横がJR線跡と考えられます。1993年の航空写真ではレースイリゾートの建物は見えますがセイコーマートは見えず、ホテルの前庭を線路が走っていたことが想像できます。

3代目夕張駅は1990年に移設開業。夕張市のリゾート誘致の一環での移設となりました。夕張市の財政破綻の記事にはあまり、このレースイリゾートを運営していた松下興産の名前は出てきませんが、当時、新千歳空港に駅があり、ここに線路があることでのリゾート列車等の構想もあったようではあります。とはいえ、結果的にレースイリゾートは夕張市が26億円で「肩代わり」することで松下興産は撤退。その後松下興産も夕張市も財政的に破綻することになります。
さて、その3代目夕張駅とレースイの湯(ここは以前はリゾートホテルのプールだったはず)の間の道路、これが夕張鉄道の跡地のはずで、サイクリングロードから一般道に変化したものと思われます。
鹿ノ谷駅

この道路の歩道を少し進むと舗装されたサイクリングロードに直接接続されているようです。舗装は思ったより荒れておらず、すれ違う人はいませんが、地元の人のウォーキングコースなどになっているのかもしれません。


途中にJRが設置した看板が。どうやらJRが公式に設置されていない歩行者踏切だったようで、JRとしては線路横断を禁止する看板を立てざるを得なかったのでしょう。ちょうど暗渠になっている小川がクロスしており、その上のコンクリートの蓋位置が歩きやすかったため自然発生的にできたものでしょうか。鉄道が廃止されてもこの看板が残っているとは思いませんでした。

珍名踏切として一部に有名だったファッション通り踏切も今はそれを示すものは何もありません。夕張ドレスメーカー女学院があったことでつけられた踏切名とされています。5,6年前まで建物が残っていたはずですが、今は更地ですね。

サイクリングロードはこの踏切から線路跡を外れて一旦既存道路に合流して橋を渡ります。石勝線では第五志幌加別川橋梁が複線時の鉄橋も残る状態でかかるあたりで、橋梁も長く、しかも比較的高い場所を通ることもあって鉄橋の転用を行わないことにしたのかもしれません。石勝線橋梁とこの道路橋の間には夕張鉄道の橋脚が残っています。
ちょっとわかりにくいもののサイクリングロードに復帰、急な坂で線路跡に復帰します。

上にかかる人道橋は鹿ノ谷駅脇に作られていた鹿の谷跨線橋。石勝線と夕張鉄道をまたいでいます。サイクリングロードは鹿ノ谷駅にも、この跨線橋にも接続されていません。このあたり機関区まである広大な鉄道敷地があったはずで、両側を草に阻まれたアスファルトの一本道である現在からは想像もできません。
営林署前駅

石勝線の線路が近づいてきましたら、また線路を渡れるような小道を見つけました。線路の東側の炭鉱住宅から鹿ノ谷駅舎のある線路西側への短縮ルートだったのだと思われます。炭住は住む人が少なく、鉄道は廃止になり今や利用する人も少ない小道でしょうが、ここにもJRが設置した立入を制限する札がありました。

若干の下り坂を快適に進みますと営林署前通り踏切に出ます。その先に見える夕張葬祭の建物が旧営林署前駅だったとのことであります。

そのためか建物にはきっぷの絵が描かれています。この駅では交換ができなかったと思いますので、脇を石勝線(夕張線)の複線が走っていたと思うと、壮観な眺めだったと思われます。
若菜駅
このあたりまでサイクリングロードの路面は酷く荒れている箇所は少なく、荒れていても多少の草が生えていたり枯れ草が落ちているくらいで走りやすい路面です。日常利用がそれほどあるとは思えませんし、市が最低限手入れしているのか、地域の住民がサイクリングロード脇の草を刈っていたりするのか、とかく、ここまで状況良く残っているのは嬉しいことです。
緩やかなカーブを描く目の前に夕鉄バスの本社ターミナルが見えてきました。夕張鉄道はバス部門も持ち、その後地元の夕張バスも買収。夕張と札幌を最短で結ぶ夕張トンネルの開通は1965年で、スイッチバック区間を有する夕張鉄道線に対して直行バスは時間も短縮できたこともあり1971年には鹿ノ谷-夕張本町を廃止、1975年には全線が廃止になります。


さて、急にサイクリングロードの路面がダートになったと思ったら運送会社の敷地のような場所に入ってきました。石勝線の線路とは少し高低差が付いていて、線路の側には踏切があります。ここが若菜駅前通り踏切です。若菜駅そのものがあった場所がこの運送会社の敷地ではないかと思いますし、ここは交換可能な駅だったのだと思いますが、倉庫や物置などが乱雑に配置されている場所です。



この駅の特徴は今もホームが現存しているところです。約70m程度にわたって線路側ホーム端の石垣が残っており、ホーム上も立てることは立てますが、さすがに草に覆われています。雪の少ない初冬ならはっきり残っているのがわかるのではないでしょうか。
国鉄線路を挟んだ向かい側に若菜バスターミナルがあったはずで、近くには古い夕鉄バスの車庫も現存しています。その後バスターミナルは札幌へのトンネルとの接続点に近い現在の位置に移転しています。

ただ、駅ホームのあったあたりからこのあたりからは急にサイクリングロードの路面が悪化してきました。苔や木の枝などが散乱しており、しばらく自転車も通っていないことが伺えます。先の運送会社敷地から斜めに降りれば快適な道道に出ますので、この先サイクリングロードを通らなければいけない理由はないとも言えます。
夕製前駅
夕製は「夕張製作所」です。元々炭鉱用の機械製作、整備を行っていた会社で、1965年には北炭機械工業と名前を変え1995年に倒産しています。現在閉館しているユーパロの湯のあたりが北炭化成工業所、その手前の柳原技研工業の工場が北炭機械工業の跡地と思われます。夕製前駅はこのあたりにあったと思いますが、特定できるようなものはありません。

あとからユーパロの湯や老健施設方面への道路が作られた関係で(石勝線の踏切は製作所通り踏切となっていた)サイクリングロードも切断されています。この道路が北炭化成工業の専用線跡になろうかと思います。
このあたりは「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」への入り口になります。幸福の黄色いハンカチが公開されたのは1977年。その頃は既に夕張鉄道は廃止済みだったことになります。映画のクライマックスシーンである黄色いハンカチが見える直前「踏切渡った」は製作所通り踏切を渡ったあとの夕張鉄道の踏切だったのではないかと思います。
次回に続きます。
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=980