北海道の交通関係

旧夕張鉄道線線路跡を巡ってみました②

2020/08/26

前回に引き続き夕張鉄道の廃線跡を自転車で巡っています。夕張市内の夕張鉄道跡地は概ねサイクリングロードとして整備されていましたが、夕張市の財政の問題もありますし、サイクリングを楽しむ観光客も多くはないでしょうから、サイクリングロードが維持されなかったようです。それでも2000年頃まではサイクリングロードは整備され続けていたはずで、その頃は私も今のように活動的ではなかったこともあって、通行できなかったのは残念な話です。

前回の記事
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=979

当サイトで作成した石勝線廃止区間の線路設備と、旧夕張鉄道駅の位置情報をプロットしたGoogleマイマップも参考にしてください。


虹ヶ丘跨線橋

「夕製前」の名前の由来夕張製作所の建物を利用している柳原技研工業の工場群を右に見ながら、あれ?まだ先かな?と迷いつつ進むと右側に自動車の通行を阻害するポールを置いた細道が現れました。これが夕張鉄道の線路跡であるサイクリングロードの続きのようです。


さて、現役時代はこのカーブは築堤上でよく見えてたのでしょうが、今は鬱蒼とした森の中の一本道の形相で、しかもあまり自転車が入らないのか路面は苔や木の枝、枯れ葉などで時折パキパキと落ち枝を折りながらの走行です。
しかも、これまで石勝線の線路をオーバークロスするために高度を稼いでいたと思うのですが、思ったより下り坂です。現役時代とそれほど乖離していないと思うのですが、石炭を積んだ貨車を下り坂カーブで、しかもその先に国鉄をクロスする鉄橋とはちょっと運転大変だったろうなぁと思いますね。

さて、目前に橋が見えてきました。ここが虹ヶ丘跨線橋で石勝線をクロスする鉄橋になります。上を夕張鉄道が、下を国鉄線が走る(しかも昭和初期なら複線であったわけで)という非常にダイナミックな光景が見られただろうと思います。


橋の銘板がありました。昭和61年11月(1986年)竣工ということで、新しく架けたのではないかと思われます。さて、夕張鉄道のサイクリングロードは、夕張鉄道廃止直後に整備したものではありません。1980年代に入ってから石炭の歴史村事業とともに整備が始まり、1984年に社光(初代夕張駅付近、閉鎖しているが花畑牧場夕張店)にサイクリングターミナル「黄色いリボン」を開業。全面開通は1988年でこの虹ヶ丘跨線橋の竣工年とサイクリングロード開通時期が一致します。橋脚は夕張鉄道時代のものをそのまま使用しているように見えます。1982年の航空写真では橋はそのままだったように見えますが、この跨線橋が夕張鉄道の橋を転用したのかどうかまでははっきりした資料を見つけられていません。ちなみに夕張鉄道ではこの跨線橋は「若菜辺跨線橋」(若菜邊跨線橋)と称していたようです。なかなか現役時代の写真がネット上にも見当たりません。

橋からは石勝線の病院前通り踏切が見えます。平和工業の病院が近くにあったはずでこの名称です。石勝線の単線線路の他に北側に線路があったっぽい舗装の直しがありますが、これはなんでしょうかね?1976年の航空写真でも夕張線(石勝線)は単線に見えますし、近くに専用線は見当たりません。



この跨線橋にすぐ接続するのは虹ヶ丘橋こちらは平成4年12月完成ということで、1992年ですね。道道38号夕張岩見沢線が清水沢へ延長されたのが1993年で、この頃にこの地域の道路付け替えが行われ、そのときにサイクリングロードの延長としてこの橋ができたものと思われます。こちらの橋は夕張鉄道とは特段の関係はないはずです。


礦業所前駅

虹ヶ丘橋を通過すると、急なカーブを描き、急な坂で降りていきます。当然ここは線路跡ではありません。サングリンスポーツヴィレッジ(夕張市平和運動公園)となっているサッカー場のあたりが礦業所前駅の跡地と考えられます。


礦業所とは北炭平和炭鉱でありましょう。現在は野球場、サッカー場、陸上競技場を備える広大な運動公園となっています。その傍らに舗装路のサイクリングロードが続いています。さすがに競技場内なので整備はされており、走りやすい道です。


平和駅

サイクリングロードと線路が一致しない状況はしばらく続きますが、これはサッカー場などに場所を取られている以上仕方のないところでしょう。むしろ完全にトレースすることができないでもないはずです。さて、川の音が近づいてきて、橋が見えてきました。



志幌加別川を渡りますが、この橋はどうも現役時の鉄橋を道路化したように見えます。いよいよ路面は怪しくなり、こちらを自転車で走る人はほとんどいないことが見て取れます。


平和駅跡地にありますサイクリングロードの千代田休憩所です。建物は閉鎖されていますが、思ったよりも新しい建物なのがわかります。ここから先は峠道ですので、ここで自転車を返却することもできたのかもしれません。

サイクリングロードの地図もありました。この地図は他の場所にもあると聞いているのですが、今回はここでしか見つけられませんでした。


さて、もう少し先に進めそうですので、自転車を走らせますが、約300m先でチェーンによる封鎖です。写真の通り、もはや路面はあまり出ていない状況で、この先封鎖がなくても行きたくないなぁという感じであります。ここで撤退します。

平和駅跡地より少し戻ると一般道への離脱路があります。線路跡のサイクリングロードは一般道と接続できる場所がかぎられるので、この急ごしらえな感じの離脱路はこの先が封鎖された時に作られたのでしょうか。
平和駅下の妙に長いアンダーパス。ここは交換可能駅だったようで、駅の幅も広かったのが伺えます。さすがに鉄筋がむき出しの箇所があったりしますが、もう上を重量物を乗せた列車も走りませんし、このアンダーパスの先も住居はありません。

錦沢駅

夕張側からの訪問はこの先でトンネルが封鎖されており無理のようですし、熊も出そうなところですから軽装で行くべきではありません。この路面の整備状況ですのでトンネルまで行くこと自体も難しいと思われます。なお、平和駅跡地(千代田休憩所)から錦沢駅までは夕張鉄道時代の第三隧道、第二隧道のトンネル2つを経由します(サイクリングロード化時に夕張側からトンネル名を振り直し第1トンネル、第2トンネルという名称になっています)が、当然2箇所とも閉鎖されています。
さて、反対側ですが道道3号札幌夕張線が新トンネルになって線形改良を受けた際に、夕張鉄道の廃線跡を一部使用しています。結果サイクリングロードも分断されることになります。



夕鉄バスの錦沢入口バス停より少し夕張側、錦冬橋の栗山側に入口があります。見ての通り完全に廃道化しているように見えます。踏破は難しいと思われます。(もちろん絶対できないとは言いませんが、私はやりません)


富野休憩所

サイクリングターミナルの終点は夕張市富野地区になります。道道3号線の一部と化した廃線跡は、さらに伸びるのですが、この先も廃道化しているように見えます。ここから富野休憩所までの間に第一隧道(サイクリングロード第3トンネル)があり、こちらも封鎖されていると思われます。



地図で探しますと、富野に近い1.3kmほどは通行可能のようで行ってみました。ただ、当然線路跡を巡る理由が無ければわざわざ坂を上がってこの位置に来る必要はありません。
錦沢側はなんと電気柵にて閉鎖されていました。一応開けられるとなっていますが、不用意に開けるのもはばかられますし、その先は明らかな激薮ですので、とても行く気は起きません。振り返りますと、サイクリングロードとしては整備されたと思われますが、現在は車の通行も可能なように柵を撤去した形で道路が延びています。


山側は電気柵が続いており、舗装も所々剥がれてダート状態になっています。元々自転車用で丈夫ではないところに農業機械などが入っているためと思われますが、とりあえず通行に支障はありません。


終点は富野地区で、その先にも道は続いていますが完全な農家の作業道のように見えます。こんな場所で終点と言われても・・・って感じですが、夕張市の境界に近いことが要因と思いますし、このあたりの農家が早いうちに線路跡地を購入したという事もあるかもしれません。もう800mも整備すれば道道3号に近いところまでいけますが、まぁ、仕方ないところです。

なお、夕鉄バスのサイクリング休憩所バス停があった富野休憩所は解体されてしまっていますが、このサイクリングロード終点とは随分離れていますので、どのような形でサイクリングロードが利用されていたのかはよくわからないところです。

道道3号線に戻れば、夕張市から栗山町への町境を抜け新二岐駅に向かいます。

続く・・・かも。

旧夕張鉄道線線路跡を巡ってみました③
https://traffic.north-tt.com/09_article.php?article=1266


北海道の交通関係 JR北海道 夕張鉄道 自転車 輪行 夕張支線 廃線跡

検索入力:

記事カテゴリ