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北海道の交通関係
札沼線全踏切に行ってまいりました
2020/10/10
今年5月に廃線となった札沼線の北海道医療大学-新十津川。この区間も含めた札沼線(学園都市線)のすべての踏切にアクセスしました。この区間は札幌にも近く、なおかつ自分で行動できるだけの手段を持っていることが、今回の思い立ちにつながったわけです。
通常一般に知ることができる路線の距離は時刻表に掲載されている駅間の距離のみです。これは100m単位に丸められています。しかし、踏切に設置されている踏切名称と距離表示は1m単位での起点からの距離が記載されています。これは一般が知ることができる唯一の正式な距離とみていいでしょう。橋梁にも同様に距離が記載されているものもありますが、これは橋梁側面等に設置されている銘板を確認するしかありませんので、訪問も確認も非常に大変であります。札沼線についてもすべての橋梁は確認できていません。
鉄道と人がかかわる大きな場所は駅ではありますが、踏切は鉄道を利用する人ではなくても関わる。そこに住む人、訪問する人すべてがかかわる場所であります。ですから、踏切があるということは、そこには人の営みがあり(無人地帯であったとしても過去にあったともいえる)そこに非常に魅力を感じたというのもあります。さらに踏切の名称にはその路線が開業した当時からつけられているものが多数ありますので、その時代背景を知る手がかりになるというものもあります。
さらに、札沼線には数多くの正規の踏切ではない、俗に「勝手踏切」といわれる名称のわからない、距離もわからない、そしてJRとしても正規の踏切としていないために、廃止後もその前後に線路側への立ち入り禁止の柵を設けない踏切が多数あります。この踏切、「正規ではない」と書きましたが、場所によっては踏切脇に踏切名と距離を記載した表示看板が設置されていたり、踏板に踏切使用者名が記載されていたりという思わぬ発見があることも見逃せません。これも鉄道と沿線に暮らす人のかかわりを示すものであります。路線廃止とともにこの踏切は当然将来撤去され、そこに線路があったことすらわからなくなることでしょう。
まずは、私が確認できた踏切、橋梁についてGoogleMapにプロット、訪問した場所については写真を添付したものです。一つ一つの踏切は同じような見え方ですが、よくよく見ると特徴があって面白いなと思います。ネット時代になり航空写真と地図を重ねて見ることができ、なおかつストリートビューなどで、その場所の確認が容易になった面があります。
札沼線の特徴的な踏切をいくつか挙げてみます。
人道踏切
車両の通行を制限している踏切は、その地域の人だけが利用するという意味で地域に密接であることもあり、魅力的だなと思うのです。●杉田作場踏切

札沼線の札幌側最初の踏切です。札沼線は札幌も含め、札沼線の起点である桑園から約7㎞にわたり立体交差化工事が行われました。新琴似を過ぎたところで高架は終了となり、石狩街道の新琴似こ線橋をくぐり、太平駅に。その太平駅を出てすぐにある人道踏切です。以前は冬季のみ人道踏切で夏季は自動車通行可能だったと記憶していますが、複線化ともに人道踏切になったと思われます。
●興産社踏切

拓北-あいの里公園にある踏切です。現在大きなマンションが建つこの一体は藍染を行っていた興産社の農場、工場があった場所になります。今では一面の住宅街で面影はありません。興産社については札幌市北区がWEBサイトで概要を紹介しています。
https://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/episode/045.html
●豊ヶ岡踏切

秘境駅と言われた豊ヶ岡駅への出入りの踏切です。ポールが建てられ人道踏切としていましたが、鉄道廃止後はポールが外され自動車通行が可能となっています。ただし、車両通行止めの標識は残っているので設備撤去などのための一時的なものかもしれません。いずれにせよ駅が無くなった以上この踏切を使用しての行き来の必要性はなく、最終的には自然に還っていくことになるのでしょう。
●寺道路踏切

札比内駅近くにある西光寺境内内の踏切です。この踏切を通らないことにはお寺に入れない構造のようです。前後に警報機付きの踏切がありますので実際に通るときの危険はなかったと思いますが、常に出入りに踏切を使うというのは珍しかったかもしれません。
●神社道路踏切

同様に浦臼神社への石段には踏切がありました。こちらは警報機がついています。行ける先が石段ですので、当然車は入れません。こちらの神社は裏手から車でアクセスできる通路があるはずです。
●元山踏切

この踏切は鉄道防雪林の脇に設けられた踏切で、基本的には自宅から作場への踏切と考えられますが、作場側にタイヤなどを置いて車両が入れないようになっている踏切です。地面の感じからしてもほぼ使われていない踏切なのでしょう。名前はここに住む使用者のお名前と考えられます。
札幌稚内線踏切

大正9年に制定された地方費道4号札幌稚内線を線路が跨いだ場所に設置された踏切です。札沼線の札幌-新十津川間には第1から第8までが存在しました。現在も北海道医療大学駅の手前に第1札幌稚内線踏切のみが残っています。その後道路整備でバイパス的に完成した国道275号線がメインルートになり、この道路は地方費道としては戦後に廃止され、作場や集落への道路として残っています。
北1号線道路踏切と美中線踏切
この2つの踏切が極端なので取り上げましたが、離農などの関係なのか、近隣の道路を迂回できるからなのか、正規の踏切なのにほとんど交通量がなく、全く使用されている気配のない踏切です。●北1号線道路踏切


踏板すら設置されておらず、また廃線後にもJRの線路側への立入を禁止する柵も設置されていないという踏切です。夏草(しかも背丈以上の)で覆われて、道路からの訪問は非常に困難という笑うしかない踏切になります。

この踏切には使用者が立てた看板があり、公道では無い可能性がありますが、JRが正規の踏切に設置している踏切名称板が存在しますので、鉄道廃止時は廃踏切だったわけでもないように思われます。
●美中線踏切


浦臼市街地に近く、農機具の販売店が付近にあり、また、太陽光発電の施設もあるのですが、線路の向こう側の作場側に用事がないのか、ほとんど通行されている形跡がありません。しかし、1種踏切で警報器が設置されています。遮断機のあった形跡もありますね。

先日訪問しますと、道路の草が刈り取られており、道路部分の線路が外され整地までされていました。これはJRが行っている踏切撤去作業の一環とは思いますが、その先の道路は薮の中でとても通れそうな気がしません。
廃踏切
札幌市内の高架部分では(たしか)12カ所の踏切が廃止されています。このほかに複線化と前後して札幌市内の太平-百合が原間の中西作場踏切、あいの里公園-石狩太美の芳賀作場踏切が廃止されています。今後篠路駅付近の高架事業で学田作場踏切、札幌篠路線踏切と、篠路人道地下歩道が廃止される予定です。

このほかで比較的最近の廃止と思われるのが月ヶ岡-知来乙間の踏切が1か所廃止されているようです。ここは月形町の北海道ペレット(現在はIWS月形工場)の裏にあたり一般の立ち入りは難しいようです。西側の農地からのアクセスは良好で、踏切の標識類が残っていますが踏切名称の記載は見当たりません。もとから踏板のない踏切だったようでもありますが、路線廃止時に鳴動していなかったと思われますので「廃踏切」としています。
また、私の車のカーナビには月形刑務所の西側の門付近から、線路を渡り、線路北側の道路までの道が記載されており、踏切、または架道橋的なものがあったとは推定できますが、場所が場所だけに確認は容易ではなさそうです。
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=636147
1992年の航空写真でははっきりその道路がわかります。
勝手踏切
勝手踏切と称していますが、札沼線で多く見られるものは地元住民が駅などへの短絡路として自然発生的に踏み跡を付けたものとは異なり。あくまでも国鉄・JR北海道の管理外の踏切であるが、踏板などを設置して自宅から作場への農機などの移動をできるようにした半管理的な踏切が非常に多く見られます。踏板は列車の運行に関わる設備ですので勝手に設置することはできず、国鉄、JRが設置していると考えられるからです。
これについてある踏切で作業していた農家の方にお聞きしたところ
・戦前にはここに踏切があったが、戦中に撤去されてしまい、農機具の機械化で線路を渡ることが難しく、その後とても困っていた
・農家が集まって国鉄と交渉して踏切の設置が認められることになった。
・特段費用を支払ったりはしていないが踏板については破損した場合、交換する費用だけ請求される。
とのことで、全ての踏切がそうかはわかりませんが、一部の踏切に踏切名称([人名]作場踏切)と距離を表記した札が設置されていることから、ある一時期にこのような各作場への踏切を設置、整備したのではないかと思われます。


踏板について、一部の踏板には使用者の氏名が記載されたものがあり、これが使用者に請求され、設置された(使用者に購入して貰った)踏板なのではないかと思います。とかく、この非正規な作場への踏切の数だけでも札沼線には50カ所を超えます。

なお、離農したなどがあり、踏切名称の板は残るものの踏板のないものもいくつか見つけています。そのような踏切は枕木に踏板を設置していたボルト跡が見られますので、丹念に調べればまだ見つけられるかもしれません。
ところで、札沼線では札幌市内でも見られる「○○作場踏切」この「作場」は農作物を作る所、耕作地のことをいいますので、杉田作場なら杉田さんの耕作地への道路が通っていた踏切となります。現在札幌近郊ではこのような名称にはなっているものの、現実的に周りには耕作地はないところも多いのですが、そのまま名称だけ残っているというものもあります。


また、札沼線では作場ではない非管理踏切もあり、特徴的なのは新十津川駅の先、線路終端までの間にある踏切。これも管理外の踏切のようで、新十津川の農業倉庫への出入で日常的に使われているようです。
踏切の撤去作業


札沼線廃止区間の設備撤去の現状ですが、現在のところ踏切の道路部分の線路除去、一部の警報器等の除去以外は進んでいません。駅舎なども姿を留めています。これは耕作地に近く、収穫が終わるまで大規模な工事が難しいためと思われます。
今年度は降雪期まで踏切部分の除去作業を行い、来年度以降は新十津川町付近の線路にて耕作地が分断されている区間の撤去も行われるものと思われます。

また、線路沿いに通信線もありますので、この除去も行われるものと思われます。古い木製の電柱にハエタタキと呼ばれる碍子での通信線保持の様も今や珍しいのですが見納めですね。



新十津川駅にほど近い下徳富上5号線踏切は大規模な踏切撤去作業が行われています。これは踏切部分を中心に勾配になっている道路を水平にする工事で、完成後は全く線路の形跡を感じられなくなると思います。ちょうど工事がお休みでしたので道路脇に設定された歩行者通路から見ましたが、踏切部分ってこんな感じに施工されてるんだなぁと。なかなかこういう状況は見られませんので貴重です。
先日新十津川駅では駅舎の閉鎖前にセレモニーが行われたようで、来年度には駅舎も解体とのことです。線路が無くなりより利便が高い、住民が暮らしやすい新しい町ができていけばいいなと思っています。正直地域が利用しない線路は「迷惑施設」でしかないのです。